30
もうろうとした意識の中、一雷精は暗い世界の中にいた。鉄臭い自分の血の匂い、痺れるような両肩の痛み、興奮で声を震わせるウルヅスの呼吸。それら全てがぼんやりと体の器官に入り込んでは抜けていく。
「やっと終わったか。さて、最後に宿泊の国の奴等に挨拶でもしてあげるか」
ビビビと高音を鳴らし、ノイズの音が鳴る。微かだが、ウェル達の喚き声も聞こえた。
「よう、宿泊の国の諸君。元気かね?」
ウェル達の声が聞こえなくなる。どこからかウルヅスの声が聞こえ、驚いているのだろうか。
「お前たちが期待していた英雄はたった今俺に敗れた。これで、完全にお前らの望みは無くなった」
ざわざわとした声が聞こえる。ウルヅスは反応を楽しんでいるのかくっくと小さな笑みを漏らした。
「でも心配することはない。なぜならお前たちも、もうすぐ同じ場所に行くんだ」
ガハハハと大笑いをする。
「今日まで俺にバカみたいな大金をくれてありがとよ。お陰でいい暮らしができたぜ。でも俺が悪いんじゃ
ないぞ? 弱くて何もできないお前らが悪いんだ」
「違う……」
力なく立ち上がり、鋭い視線をウルヅスに向けた。槍の状態で放置されていたフィアルをつかむ。
「何が違うんだ? 現に、お前は弱いから俺にまけたんだろ?」
「悪いのは、あの人達じゃない……」
ふらつきながらウルヅスを指さす。
「強いから正しいとか、逆らえない弱者がいけないとか、そんなので正義は判別できない……理由もなく罪のない人間を痛めつける。それだけで、君はもう正義じゃないんだよ」
体が揺れようと、視線がぶれようと、ウルヅスから目は逸らさない。
「君が本当に正義なら……あの人達はもっと、自由に生きたっていいはずだ。笑い合ったっていいはずだ……どうして、あんな、あんな残酷なルールを作ったんだ?」
ウルヅス二秒ほど沈黙すると、右手に顔を覆い、豪快に笑う。
「何が、おかしいんだよ。悲鳴の願いを探すだけなら、あんな残酷なルールを作らなくてもよかったはずだ」
まだ笑っているウルヅスに怒鳴ると、長い長い笑い声を静かに消していき、ウルヅスはいびつな表情を浮かべて言った。
「俺の運命魔法自体はあまり強くない、人一人殺せない小さな能力だ。全てを体に刻み、その経験や知識で自分を導く運命。簡単に言うと、完全記憶能力だ」
「だが、その貧弱な力も、ようは使いようだ。俺は記憶能力を生かして色々な知識を詰め込んだ。運命魔法
の知識や、エリアリーの歴史、国を崩壊してきた地震も、幻覚も、そして死体を消し去る術も、全て本に書
いてあった知識を覚えて実践で使えるようになるまで鍛えこんだ。そっからは世界が変わった。まずは憎ん
でいた嵐を使う運命魔法を持っていたやつを殺した。最高だったぜ。経験と知識で自分を導いた。正に運命
通りの人生さ」
感情に浸るように震えるうるづス。一雷精は無表情で、ウルヅスの言葉を聞く。
「だが嫌いな奴を皆殺してからはまたつまらない世界へと変わっちまった。なにもすることのない人生に飽き飽きしていた。そこでだ、俺は五年前にこの国で石像を見て世界崩壊の話を聞いたことを思い出した」
「でもそれはあくまでも作り話だ。そんなものが動機だとは思えない」
「その通りだ。いくら退屈しているとはいえ作り話を本気にするわけがない。本気にしたのは、その作り話が事実だということを、三年前、ある女から聞いたからだ」
「女」
「三年前の戦争でエリアリーを支配しようとした革命家だ。その女はエリアリーを支配したあとの計画として、石造のことを入れていたらしい。俺はその話を聞いて、決心した。石造全てを集めて、世界を終わらせる英雄になるとな」
「その間の弱者いじめは楽しかった。特にこの国の人を守らせないルールは傑作だったな。人間を守れず悲痛な表情を見せるあいつらを見るともう笑いが止まんなかったぜ」
一雷精は何も言わずウルヅスを見つめるだけだった。静かな怒りが、心の底から湧いてくる。
「わかったらさっさと消えろ! その惨めな正義感は、あの世で玩具たちと一緒に語り合ってろよ」
何もない空間から青い光を放ち、小刀を召喚させる。鋭い切っ先はとても短く、破壊力もさしてないだろうが、身動きできない一雷精の心臓を貫くには問題ない代物だ。
飛翔しているかのようなスピードで、ウルヅスは一雷精との距離をあっというまに縮めていく。距離が縮まるということは、それだけ死ぬ瞬間が近付いてきているということだ。きっとそれは怖いし、どうにもな
らないのかもしれない。
しかし、一雷精は逃げずに、ちゃんと目の前の敵に向き合った。非人道なことを繰り返してきたウルヅスはとても怖いし、あのスピードで襲ってくる小刀にもできれば触れたくない。きっと刺されたら一溜まりもないだろう。
それでも逃げるわけにはいかない。たった一人の殺戮者に怯えたりはしない。
自分が今ここにいられるのは、様々な眼に支えられてきたからだ。
英雄人を誇りに、悪を薙倒そうとするフィアルの強い眼。理不尽な運命を受け入れ、それでも希望を捨てずに地球の人間と、宿泊の国のみんなを守ると決めたラリアとフクレイの真っ直ぐな眼。人の上に立てないという運命を生まれてまもなく決めつけられても、堕落しないで前向きに歩むことを選んだセルボスの儚い眼。
そして最後に悲しみを受けいれ、自分達に最後の望みを託したウェルと、その国に住んでいるみんなの。すべての眼に背中を押され、一雷精は戦っているのだ。
負けるわけにはいかない。自分の全てを捨ててでも、ウルヅスに言ってやらなければいけないことがある。
風を纏い、ウルヅスはどんどん間合いを詰めていく。目を凝らし、ウルヅスの一振りをじっくりと待つ。風圧で髪がなびく、白い塊が肌に触れる。その塊の中に、ウルヅスの聞き飽きた声が聞こえた。
「じゃあなゴミがあ」
銀色の閃光が身を襲う。この時を待っていた。そう心で叫び、一雷精は左手を突き出した。
血飛沫が舞う。
スローモーションに舞い落ちる鮮血は相対する両者の頬に滴る。一雷精の視界が赤色に染まるが、そんな変化にいちいち反応していられなかった。
焼けるような激痛が左の掌に走る。次いで左肩、右肩と貫かれた箇所にも痛みが迸った。
体中が麻痺する。冷汗が体中に流れる。体温が低下しているのを肌で感じる。左腕の感覚がなくなっていく。もう頭もぼうっとしていて何も機能しない。気を失うまで、そう時間はかからないだろう。
それでも、一雷精は歯を食いしばり、意識を懸命に留める。視界の先で面をくらっているウルヅスに全ての感情を放つために、殺到する痛みに悶えながら、小刀に貫ぬかれた左手を動かしてウルヅスの右手をしっかりと握った。
「な………う」
振り払って掴む手を離そうとするが、一雷精は離さない。
「自由に生きたっていいはずだ……笑い合ったっていいはずだ……」
狼狽するウルヅスを睨みつけると、右手で槍を大きく引き、精一杯の力で放った。
「自分の子供くらい自由に愛したっていいはずだ」
自分には子供を愛する資格がない。そう言って泣いた。まを思い浮かべて攻撃する。効かないとはわかっ
ているが、一雷精はもう一度槍を引き、再度放った。
「感情に正直でいたっていいはずだ」
笑うことを止めた少女を思い浮かべて突き刺す。轟音が鎧に響くが、やはり効果はない。
「この……離せ」
もがく。裂かれるような痛みが体中を巡るが、歯をくいしばってその痛みを吹き飛ばし、一雷精は弓のように槍を引き、最後に豪快に受理放った。
「人を守ったっていいはずだ」
見たこともないオルツとウェルが仲良く話している光景、そして触れ合った国の人々の顔を思い浮かべ、豪快に鎧を鳴らす。
「ぐあああ」
胸部を抑え、ウルヅスは痛みに悶えていた。鎧に付着している赤い血は、一雷精のものではない。
「どう言うことだ……」
そう言いかけたところで、ウルヅスは一雷精を見て押し黙った。何事かと思いウルヅスの視線の方角へと目を向けると、槍が微量の光を纏っていた。
「ずっと精様の叫びを聞いていました……私も、同じ気持ちです。もう迷いはありません共に心を一つにしましょう」
フィアルの声が聞こえる。その声に先程までの震えはない。それは一雷精も同じだった。
二人の思いはただ一つ、全てをウルヅスから守ることだった。
途端、槍から光が爆発的に溢れ、空間を包みこむ。その眩い視界に無限大の力を肌で感じ、一雷精は己の運命と対面