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人で溢れる混雑を最低限の動きで縫いながら、一雷精は走っていた。
目的は当然、暴走している伊賀を見つけて説得するためだ。
先程は姿を見失ってしまったが、まだそう遠くへ入っていないはずだ。
異世界へ繋がる喫茶店があるだなんてまだ半信半疑の内でしか捉えきれていないが、もしそのような店へ伊賀が辿り着いたとしても、まだ引き留められるだけの余裕があるはずだ。
周囲を見渡すが、伊賀らしき女性はいない。
行き交う人は顔も知らぬ他人ばかりだ。
ならば声だと聴覚に全神経を注ぐが、車のエンジン音と、商売繁盛に精を出す出店の威勢のいい掛け声しか聞こえなかった。
人が疎らな朝はともかく午後になると主婦や老人、帰宅途中の学生が一斉に集い、激しい熱気が町中に渦巻く。
活気があるのは良いことだが、急を要している時は控えめにしてほしいものだ。
「ハアハア……喫茶店はどこにあるんだ」
頬に滴る汗を袖で拭い、一雷精は【召喚者の手紙】に視線を映す。
文面には駅前の近場に集合としか記されていないが、よく考えてみればこの地区の駅前に喫茶店なんて山ほどある。
一店舗ずつ入店して伊賀を捜索するのも一つの手だが、それでは時間がかかって伊賀を止める前に異世界に転移してしまうかもしれない。
「あれ?」
人通りが絶えない街の中で、一際異彩を放っている店が一雷精の視界に止まった。
喫茶店『エコノミア』という文字が刻まれている看板を店の傍らに設置しているお店だ。
一昔前のレトロな印象を与える喫茶店で、設置されている椅子はカウンターの前に配置されてある5台だけ。
カウンター上にはコップも客の私物もなく、微かにクラシックのような音色が店内から聞こえるだけだ。
硝子製のドアなので中の様子も見渡せるが、中には人気は皆無だった。
どの店も黒山の人だかりとなっている中、その店だけは空いている。一応開店はしちるみたいだが、店主すらいない。
これはいったいどういうことだ。店主がたまたま休みなのか、ただたんに客足が少ないからサボっているだけなのだろうか。
「いや……」
店全体を見回していると、ある箇所に視線が集中した。
じっと目を凝らしてみると、紫色の光がドアを囲うように発行している。
紫に輝く光はとても薄く、よほどこの喫茶店を凝視していないと気付かない程度のものだったが、紫に発行し続ける光に一雷精は名状しがたい感覚に陥る。
「人がいなく、謎の光がドアを囲ってる。そしてこの店は喫茶店……」
店内に入ってみるだけの価値はありそうだと判断して一雷精はドアノブを握り、右にひねる。
店内にはやはり人はおらず、クラシックの音楽が部気味に鳴り続けているだけだった。
「変なところだな」
無造作にカウンターをさする。瞬間、体全体が紫色に発光しだした。
その中でも一段と強い輝きを放つのは【召喚者の手紙】が閉まってある。ズボンの右ポケット。
そして、カウンターを見てみると光と同じ色で『ようこそ、手紙の持ち主様』と書かれていた。
どうやら自分は当たりを引いたようだ。一雷精は反射的に理解した。
白一色の世界が一雷精の視界を染め、一瞬で消滅する。
目の前には、薄暗い景色が広がっていた。
そこにいるのは自分だけではない。街に集まっていたほどではないが、500人ほどの群衆がこの狭い場所に立ち並んで垣根のようになっている。
「伊賀ちゃん!?」
人だかりの先頭の方に、伊賀らしき人物を発見した。一雷精は出来る限りの声を振絞ってで叫ぶが、周りの雑音に掻き消されてしまう。
どうにかして伊賀の方へ移動しようかと思考を巡らせていると、どこからか陽気な声が聞こえてきた。
「やあ皆の衆。静まるのじゃ」
威圧も恐怖も感じない、本来なら一雷精の時と同じように掻き消される程度でしかない声量だったが、何故だか周囲の人間は一斉に口を閉ざした。
瞬間、人だかりの最前列に大きな光がともされる。
「良くぞ来てくれたな。私の名はベルディング・ディフォと申す。お主等をここへ呼び、異世界へ誘う人間じゃ」
光の中から現れたその支配人は、年端もいかない幼い少女だった。
大人びた口調にしては小柄で、全体的に幼い。垂れた目はどこか眠たそうに半開きで、パジャマと思われる服はボタンが所々ずれている。
こんなどこにでもいそうな少女が【召喚者の手紙】全国各地にばら撒き、願いを叶えるために自分達を異世界へ誘ってくれる人間なのか? とてもそうには見えない。
「まずはこんな場所へ転移させてしまってすまない。ここは異世界と地球を繋ぐいわばゲートの様なものじゃ。全国各地に集まった異世界召喚を希望する人間が一斉にこの場に収めているのじゃ」
「ざっと見たところ五百人くらいかの? 前回は千人ほどいたんじゃが……」
一雷精達を一望すると、ベルディングは残念そうに肩を落とした。
前回だって? 前にもこのようなことがあったのか?
「第二回ということは、既に第一回は開催されたということでしょうか?」
端正な顔立ちの少女が銀色のポニーテールを揺らしながら、ベルディングに質問した。
「そうじゃ。第一回を開催した年は二年前じゃったかの。全国各地に手紙をばらまき、それに食い付いた者達をここと同じような空間へ転移させて異世界へ連れていってやったわ」
一泊の間を置き、ベルディングは歪んだ笑みを見せた、
「合計で五千人いた人間も、今で十四人しか残っていないがな」
その発言に沈黙ムードだった空気が壊れ、ざわついた。一番前でおちゃらけている幼女の発言を冗談捉えて笑い飛ばす人間と、真に受けて顔色を悪くさせる人間の割合は六:四といったところだろうか。
「お前が異世界に連れてってくれるやつだって? お前俺を騙したな! くだらないことをしてくれたな!」
雑音の中から一際鋭利な怒号が空間に響いた。
声の主は、人混みの前の方にいた中年男性だった。
中年男性は激高すると飲みかけのペットボトルをベルディングに向かって投げた。
ペットボトルは鮮やかな放物線を描いてベテルングに直行していく。このままでは直撃だ。
「黙れ」
囁くようにベルディングがそう呟いた瞬間、大きな爆音が周囲に轟いた。
ペットボトルは小さな炎を纏いながら煙を上げ、粉々に飛散した。
驚愕する一雷精達の表情をベルディングは満足そうに見つめていると、今度は指をパチンと鳴らす。
「う、うあああああ!」
悲鳴の方向に、信じがたい光景が映っていた。
先程ペットボトルを投げた男の体が、風船のように膨れ上がっていたのだ。
体の面積を急激に増やしていく男はどんどんその体の規模を拡大していき、ついにはパアンと張れてしてしまった。
生臭い体液の代わりに、火薬の匂いがここ一帯に充満する。
ガス臭い匂いに鼻が曲がりそうだ。
もしここが自分の部屋で、よくある日常生活だったら迷いなく鼻をつまんでいるだろうが、誰一人そうする者はいなかった。
いいや、出来なかったのだ。
もし自分が他の全員とは違う行動をとってしまえば、次の標的は自分になってしまうかもしれない。
その身を指パッチンだけで爆散されて、選択の意志もなく死へと直行していく末路をたどるのはごめんだ。
視線を合わせずとも、顔を見合わせて意思をくみ取ることもなく、五百人全員が同じ考えに至った。
「ほっほっほ。そう畏まる必要はないのじゃ。今のはほんの警告じゃ」
愉快に笑いながら再度指を鳴らす。
今回は誰かが爆発するなんてことはなく、つい数瞬前に爆破して死亡したはずの男が無傷で生前いた場所に立ち尽くしていた。
「お、俺は……どうして」
男は自身の体とベルディングを交互に身ながら混乱する。それは一雷精も同じだ。常軌を逸した出来事ばかりで脳の処理が追いついていない。
「簡単なことじゃ。魔法を使ったのじゃよ。まあ、普段は蘇生なんてことはできんのじゃがな」
ベルディングは男にそう告げ、一雷精達の方へ体を向ける。
「今回は余興として蘇生させたが、次はそうはいかんからの。あまりうぬに逆らわぬほうがよいぞ」
脅迫にしては効果がありすぎる一言だった。
一同は両手で口を隠し、必死に首を縦に振る。
これから、一つの挙動が命取りになるのだ。緊張感が背中にビンビンと伝わってくる。
鼓動がこんなにも明確に聞こえてくるのは始めてだ。周囲に人がいなかったら一雷精は間違いなく恐怖に押しつぶされて号泣していただろう。
伊賀は無事なのだろうか。本当なら今すぐにでも声をかけてやりたいが、動けば即死だ。命の有無は目前にいる少女の裁量によってかかっているのだ。
「さて」
一息漏らすと、ベルディングは口を開いた。
「もう一度名を述べよう。うぬの名はベルディング・ディフォ。そして先程の力はうぬが住んでいる世界の魔法じゃ」
やはり先程の不思議な力は魔法だったのか。
半信半疑であった異世界の存在が確実なものになりそうだ。
「魔法の名を運命魔法といい、名の通り自分の運命を魔法として体現されたものじゃ。ここまで質問あるかね」
返事は無音で答えられた。一人として手を上げようとはしない。
「うーむ。なら指名せいじゃな。そこのお前、質問してみろ。逆らうと後でどうなるかわからんぞ」
脅迫紛いなことを最後につけたしてから、ベルディングは手前の男性を指さした。
「えっと……運命魔法の、運命の規模とはいったいどういうことでしょうか?」
その問いに満足したのか、ベルディングは年相応の無垢な笑みを見せる。どうやら彼女のご機嫌取りに成功したようだ。
「簡単なことじゃ。地球では違うようじゃが、うぬの世界では運命とは最初から決まっておるものじゃと言われておる。 生まれた時から自分が全うする人生が、【魔法】となって身に宿るのじゃ。まあ、端的に言ってしまえば、生まれながらに全うする人生を要約し、それを魔法として具現化したものじゃ」
一拍の間をおいて、ベルディングは口を開いた。
「うーむ。そうじゃな、例えばアイドルがいるじゃろ?」
そう言ってベルディングは男を指さす。急に話しかけられた男は驚愕のあまり口をポカンと開けていた。
「国民のアイドルじゃ。常にスポットライトを浴び、人々に尊敬される。そうなる未来を確約された運命はさぞ明るい物じゃ。その中でも、歌が得意なアイドルがいたとしよう」
は、はあと首を傾げる男を面白がるように笑うと、ベルディングは続きを話した。
「歌とは、その音色を通して思いを伝えることが何よりの武器じゃ。愛を主題にした歌は思い人だけじゃなく世界中の人に届き、悲しみを込めた歌は同じく世界中の人が涙を流す。全世界の人間と、歌を通じて気持ちを伝える」
アイドルの真似なのか、ベルディングは楽しそうに踊っていた。
「そんな人生を歩むことが決定つけられたその人の運命を一言で表すのなら、きっと『伝達』じゃろうな」
国民的アイドル、明るい、その中でも歌に特化した、歌は音色を通じて人々に思いを届けるのが強み、だからそんな運命を一言で表すと『伝達』。
うん、意味が分からない。
いったいその決められた運命が、どうやって魔法になるんだ。
「人々に思いを『伝達』する運命魔法。そのような魔法を持っている人間は実際にうぬの世界にいるんじゃ。そいつの魔法は自分の思っていることを歌い、全世界の人間の脳に直接届ける魔法を持っておったわ」
自分に向けられる全ての視線を眺めてから、ベルディングは口を開く。
「歌うことによって思いを伝えることこそが、彼女の運命であり、宿命付けられた人生であった。地球ではその運命は可視できないが、うぬの世界ではこうした人生の縮図が魔法となって視認できるのじゃよ」
頷く男を確認し、ベルディングはさらに説明を続ける。
「今度は規模の話じゃが、これは簡単に言って運命の規模じゃ。名を運命階級といって、運命――即ち人生が壮大なものほど位が高くなる。最底辺がDで、最高位がSじゃ。その国民的アイドルの運命階級は最高位のSじゃ」
ふーと息を吐くと、彼女は無邪気に笑い、視線を男から集まっている人間全員に移動させる。
「ちなみに、うぬの運命魔法は爆発で、さらに運命階級は最高位のSじゃからお主らは余り舐めたことをしない方が身のためじゃぞ」
ゾッと空気が凍る。
彼女にとって、人を制圧するのには笑顔だけ事足りる程度のものでしかないのだ。
そして、その世界にはベルディングと同等の人間がわんさかいる。
一雷精は思わず卒倒しそうになった。完全なる弱肉強食の世界で願いなんて叶えられるわけがない。ますます伊賀を説得しなくてはいけなくなった。
「さて、魔法のことも話したし、そろそろ本題へ入ってみようかの」
新たに孕んだ覚悟などつゆ知らずといった風に、ベルディングは話を進める。
ベルディングが両手を叩くと、後ろの壁から大きな画面が出てきた。液晶テレビよりもはるかに透明な異世界製らしき物体に全員が釘づけになる。
「お主等がこれから行ってほしい世界は、ここじゃ」
途端、画面に地球に似た円状の青と緑が混雑した星が映し出される。
「名をエリアリーといって、うぬが住んでいる世界じゃ。国の数は140ヶ国あり、まだまだ増える予定じゃ。そして、お主等にはこの世界を救う希望なってもらいたい」
「ど、どうやって世界を救えばいいんですか」
先程指名された男が今度は自分から訪ねてきた。ベルディングは待ってましたと言いたそうに唇を舐め、回答する。
「エリアリーには長い間伝わる【予言魔法書】という本があってだな。その本は大天使穎ディオスがこれから起こる世界の情勢や出来事を予知した事柄を記述した、予言の本じゃ。
その本に記されている予言を実行していけばいい。最後のページになるまで綴られた予言を実行し、一番予言魔道書の本に貢献できた者だけが願いを叶えることができる」
ベルディングは再度両手を鳴らす。今度は埃被った分厚い黒い本が映し出された。
「一番貢献した者は誰か知る方法は、予言魔法書を見てくれ。一番最後の予言を終え次第、裏表紙にその名が刻まれているはずじゃ」
画面を見ながら、ベルディングはニヤリと意地悪な笑みを浮かべて補足をくわえる。
「ちなみに、予言魔法書のページ数は未定じゃ。終えても終えても予言が完遂できない限り、いくらでも増えていく。現在クリアされているページは120ページ。お主等は二回目じゃから、先駆者の後を追う立場になるが頑張ってくれ」
「待ってください。願いを叶えられる人間は一人だけなのでしょうか」
「って、ええ!」
どこか聞き覚えのある声だと思えば、質問者はまさかの伊賀だった。表情の方はぼんやりとし視認できなかったが、声はとても震えていた。
「そうじゃなあ……。願いを実現できるのは一番貢献した人間だけなのじゃが、同率一位という可能性もある。全員が等分に貢献したら全員願いがかなえられるし、全滅したらみんな願いは達成できぬ」
「成る程。あともう一ついいですか? どういった要素を基準に貢献者を決めるんですか?」
「予言に参加したら一つのポイントを与えられ、予言成功のアシストをしたら五ポイント、予言成功の立役者となったら10ポイント贈呈されるようになっている。一番になりたければ一番成功の立役者になることじゃ」
伊賀は数回頷くと、ありがとうございます! と慇懃無礼に頭を深々と下げた。
立役者になれればいい話だとベルディングは簡単に言っているが、その座を掴むには相応以上の運命魔法が必要なのは自明の理だろう。
運命が全ての世界で、もしその能力が欠けていたら?
その瞬間、殆ど願いを叶えるレースに脱落したことになると断言できる。
案外シビアな世界なのかもしれない。願いを成就するためなら、ポイント上位の人間を殺めることも厭わない者とかも出てきそうだ。
「さて、次はエリアリーで行動する際に守ってもらいたいルールを教える」
ベルディングは両手を叩く。今度は三つの制約と書かれた長い文章が映し出された。
【一・自分が地球から来た人間だということを関係者以外の人間に知られないこと。バレた瞬間その者は死んでしまう。
二・密告も違反。一の規則はライバル潰しのために作られたものではなく、あくまでも一般人に地球とのつながりを隠すための規則だ。密告した人間も、された人間も、死ぬことになる。
三・一度エリアリーに転移したら地球へは戻れない。予言を遂行するまではな】
「それ以外は自由じゃ。同じ参加者を騙すのも自由、殺すのも自由。うぬは予言さえこなしてくれれば問題ない。自由に暴れてくれ」
案の定、懸念していた事態も起こることが判明した。
自らを有利に進めるために阿多岐の命の奪い合いも黙認されるらしい。
聞けば聞くほど物騒なレースである。
そんな危難な目に伊賀を合わせるわけにはいかない。
確かに、手を伸ばせば地震で失った犠牲は奪還できるかもしれない。
伊賀を何とか説得してから、一雷精が変わりに向かうのも一つの手段だろう。
しかし、伸ばした先が異世界となると話は別だ。そこは手を伸ばすだけでも多大なリスクを冒さなくてはならない。
希望を助けるために、希望に救ってもらった命を投げ出すなんて本末転倒もいいところだ。
急いで伊賀ちゃんを探そう。
内心で呟いたところで、ベルディングが新たな話を始めだした。
「さて、あと何か説明することはあったかのう……うーむ。忘れてしまったので詳しくは現地で聞いておくれ」
てへへ、とウィンクを飛ばし、可愛らしく舌をぺろりと出した。酷薄非常な人間かと思っていたが、案外茶目っ気な一面もあるんだなと一雷精は面食らう。
「じゃあ、そろそろ異世界へ向かう準備を始めようか」
そう言うと、これで四度目となる両腕を叩く動作を始めた。
しかし、今度は画面には何も映し出されなかった。変わりに、彼女の両手が黄色く発光した。
「嘘……」
収まりかけていた震えが復活する。足だけではなく全身にまで震えは伝い、嘔吐感も湧き出てきそうだ。
鼓動が先程の比ではないくらい脈打ち、反射的に足が逃げ出そうと動いてしまう。
目の前に出現してきた物体は、無数にある黒い拳銃だった。
冷徹な闇色の鈍器は、文字通り殺しの武器だ。感情はなく、憐憫の念もその銃口にはない。機械的に人を傷つけるためだけに作られた残忍な平気だ。
「今から、この銃で脳天をぶち抜いてもらうぞ。死ねば素質なし。そのまま死亡ななるが、素質が少しでもあるものはそのままエリアリーへ転移じゃ」
鈴を転がすような口調で彼女は言った。
この平坦なペースで語られた言葉を瞬時に捉えることが出来たものは、いったいこの中に何人いるだろうか。
再度周囲がごたつき、騒然とした空間へと変貌する。
黒光りする武器を凝視したあと、人々は混乱状態に陥った。
各々近くの人間と顔を見合わせ、口々に何事かを叫んでいる。
「これはいったいどういうことだ?」
雑然とした中で、一雷精も現状を把握できないまま、狼狽気味に呟いた。
参加できる者はこの場の全員ではないのか?
そのために今から自殺行為をしてみろだって?
いかれてる。一雷精ははっきりと眼前にいる少女に向かってそう告げた。
その訴えが声に出せていたかは本人ですら判別できない。声量以上に自分と、他人の鼓動の音と叫び声が聴覚に伝わってきているからだ。
「嘘だろ……。全員が行けるんじゃなかったのか!
興奮気味に叫んだ一人のおじさんの方へ視線を向ける。小太りしている男性だったが、彼は右手を失っていた。
「前回はな。前回の参加者五千人は何の試練もなくそのままエリアリーへ転移できのじゃが……それが甘かったようじゃ」
「五千人のうち、現在生存者は十四名。しかも、その内の半分はもう予言の遂行を放棄して自分が生き延びる方法しか考えておらんという頽落っぷりじゃ」
「うぬはただ異世界ライフを満喫させるためにお主等を異世界へ連れていくのではない。世界を救ってくれる人間を求めているのじゃ――」
なのでと付け足してから、ベルディングは説明を続ける。
「今回は運命階級B以下の人間は参加権を無効にしようと思うておる。このうぬ特別制の銃に貫かれない人間は、向こうの世界で運命階級B以上ということじゃ」
ベルディングは魔法を使って銃弾を一雷精達に転送していく。
遠くから見るだけでもおぞましいのに、それを至近距離で見たら自分はどうなってしまうのか想像するだけでも気を失ってしまいそうだ。
「じゃが、それでは流石にかわいそうかと思って運命に選ばれなかった人間にもチャンスを与えた。この銃の中に、一つだけ弾が入っていないものがある。それを引き当てた人間は特別にノーリスクでエリアリーへ行く権利を与えてやろう」
配布された銃弾を握ってみる。何だか思っていたより軽い代物だった。というか、見た目からして玩具の鉄砲だった。こんな代物に銃弾が入っているわけがない
「あれ? これもしかして……」
一つだけある、弾が入っていない拳銃。それを手に入れたのだ。
当たりを引き当てたと内心でガッツポーズをとってから、一雷精は伊賀のほうに視線を向けた。
顔は色を失っていて、呆然と配布された拳銃を見つめていた。唇も青色に染まり、目も滲んでいて今にも泣きそうだ。
いつもはふてぶてしい彼女でも、この混沌とした状況では不安そうに縮こまっていた。
降りかかってくる恐怖に抗うことすらできないでいる。
それは一雷精も同じだった。今すぐ伊賀の手を引いてこの場から脱したいが、両足が地面に硬直していて動き出せない。
「自分がその運命かどうか、今から試せってことかよ」
配布された銃を見つめて、一人の男が呟く。
彼はポケットに閉まってあったスマホを手に取った。画面に映っているのは自分と妻らしき女性と、小さな子供だ。
「その通りじゃ。でも無理にとは言わん。挑戦したくない者は今すぐ手を上げるんじゃ。うぬが喫茶店の外へ転移させる。じゃが外へ出た瞬間今までのことは全て忘れでしまうが」
願ってもない提案が施され、恐怖に染められた人々の顔色が元の色を取り戻し始めた。自分の願と命を天秤にかければ、当然命の方に傾くに決まっている。
「皆の衆も色々思うことがあるじゃろう。二十分の間だけ考える時間を与える。その間は無言を貫け私語は厳禁じゃ。口を開いたものは、先に殺してしまうぞ」
私語をさせない狙いは、きっと他者と相談させないことだろうと一雷精は推測する。
自分自身で最終的な決断を取らなくてはこの時間は意味がない。
一同で集まり意見を言い募っていると、最終的な判断は必ず無難な方向へ働く。
勿論、今回は規模が全く違うため、その大衆の答えに逆らう人間もいるかもしれない。
しかし、中には自分の意見を二の次にして場の流れを優先する者もいるだろう。そんな人間が素質アリの逸材だったらベルディングも痛手を負うことは間違いない。
周りに流されず、自分だけで運命を切り開く。そうした判断がここで求められている行動だ。
伊賀を呼び出して挙手を促せようとしていた一雷精だったが、こうなってしまったは成す術がない。
一雷精の銃弾は欠陥品だ。勿論挙手しないで銃弾を扱う展開になったらベルディングにバレて面倒くさい展開になりそうだが、そんなもの挙手して喫茶店の外へ転送してしまえばどうにでもなる。
元来一雷精はそのつもりだ。伊賀の方はまだ不明だが、流石にこんな野蛮な試練を受ける度胸はないだろう。
ここは、彼女自身の判断に任せよう。