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「いいかげん飲み物を口に入れてください。朝食をすませていないのは精様だけです」
フィアルは怒りを見せて湯呑を指さす。他の四人はとっくに朝食をたいらげ、各自の目的を果たすために家を出て行った。
「……うん」
「それ、お皿です」
「……ああ、これか」
「その湯呑は私のです 中身が空じゃないですか」
「……そうか、じゃあ、これか」
「それ、お箸です……」
「……ああ、お箸おいちいな。ところでフィアル、飲み物はどこだい?」
「……だめですわ。もう手が付けられません」
一雷精は上の空のまま沈黙し、自分の箸をがりがりと噛んでいた。フィアルはそんな主人を見ながら息を吐
く。
「元気を出して下さい。こんな状態ではウルヅスに勝つことは不可能ですよ」
「……あー」
空返事で答え、一雷精は皿に乗っている料理を口に含む。ゴリっという鈍い音が口内に広がる。
「それ、もう既に食べたお肉の骨なんですけど」
フィアルのツッコミに頷きだけをし、口に含めた骨を噛み続ける。もう全てがどうでも良くなっていた。
昨日のウェルとの一件以来、一雷精は考えることを放棄していた。自分では国だけでなくウェル一人すら救
えないという事実と、唐突に蘇った過去の記憶が合わさって一雷精の心理層を大きく壊していた。
「フィアル、今すぐ武器形態になって俺の心臓を貫いてくれ。好きな人を守れないクソゴミ野郎に生きている価値なんてない」
「何を言っているんですか。まだまだこれかれですよ」
そう言うと、フィアルは一雷精が咥えていた骨を軽々と抜き取り、空の食器に乗せる。
「もう、もう俺は、俺」
ひっくひっくと嗚咽を漏らしながら一雷精は涙を流す。昨日、ウェルが最後に向けたあの眼差しを思い浮かべる度に胸がはち切れそうになる。何が希望だけの未来にさせるだ。この口だけ野郎。
「精様……」
どう接したらいいかわからずフィアルが戸惑っていると、玄関からピシャリと大きな音がした。
「アグスさんかしら? それにしても落ち着きのない開け方ですね。行きますよ、精様」
何事かと思いフィアルは一雷精の裾を引っ張り玄関の方へ行く。強引に引っ張られ、引きずられる形となった一雷精だが、何も抵抗はせず無言で床を這っていた。
「どうしてんですか――ってえええ」
絶句しながらフィアルは叫ぶ。目の前にいたのはアグスだけではなく、およそ八百人ほどの老人、若者、
子供がざわめいていたからだ。
「大変よ」
「おいどうするんだよ」
「ウェルちゃんが……そんな」
若い男と老人が顔を青ざめて呟いていた。ウェルという単語を耳にした一雷精は我をも忘れる勢いで立ち
上がり、二人の会話に割って入る。
「ウェルがどうかしたの? 教えてくれ、彼女になにがあったんだ」
問われた二人は力なさそうに二回首を振ると、無念そうに答える。
「ウェルちゃんが……」
「ウルヅスに誘拐されたんだ」
「な、なんだって」
予期しない返答に言葉を詰まらせる。ウェルが規則を犯したのかと反射的に推測するが、これまでの彼女
の言動や行動を考えるととてもそうとは思えない。ウルヅスはウェルを攫ってどんなことを企んでいるのだ
ろうか
「どこでさらわれたんですか」
ウェルの質問に一人の老人が迫した声で答える。
「ワシがその現場を見たんだが、誘拐されたのは森の近くだ。あそこでのんびりしようかと思ったところ
に、偶然ウェルちゃんを見かけてな。声をかけようとしたらいきなり黒い影があの子を覆って。気がついた
らいなくなっちまった……あそこにはクロツブは沢山いるが、人気は少ない。攫うには絶好の場所だ」
「森……そうか」
そこで兄の許しを探すために今日もウェルは森に行って見つかるはずもない探し物を探し、国を活気づけ
るために木も植えていたのだろう。国の人達を思っての行動が、こんな危機に陥るなんて。あまりにも不公
平だ。
「バカ野郎そんなところを見てたのになんで助けようとしなかったんだよお」
若い男性が先ほどの老人の胸倉を掴む。
「仕方がないじゃろ……あの子を助けてもしクロツブがそれを見ていたらワシの家族も、お前さんの家族も
国ごと壊滅するんじゃぞそんなこと、ワシにはできぬ」
振るえる声で叫ぶ老人に、男性はすまないといって掴んでいた腕を解いた。ここは人の命と国全体を天秤
にかけている国だということを改めて思い出す。
「ウェルちゃーん。死んじゃいやだよ。」
「最近話してないけど、友達だもん助けてあげてよ。私の命あげるから―。助けてよ」
ウェルと同い年くらいの二人の少女が泣き叫んでいた。自分自身を、そして友人をこれ以上傷付けないために縁を切り、一人で生きることを選んだウェル。
そんな彼女だが、心の底ではみんなと生きていきたいと
願っていた。
そして、それは周りのみんなもそうなのだ。家族と笑い、友と喧嘩し、でも困っているときは互いに助け合う。
そんな生き方は決して間違いではない。ウルヅスはいったいどんな身分でそんな自由を奪っているのだろうか。そう考えると、腹が立ってしょうがない。
「彼女の安否確認だ。ウェルに以心通話しないと」
右耳に手をかざし、通話機能を開く。脳内でウェルと命じ、彼女との脳に呼びかけを行うが、応答は来なかった。
「ウェルがでない。どういうことだ」
苛立ちを含ませた声が一雷精の口から飛ぶ。
「出ないということは、通話相手の意識がないということです――」
意識がない。ということは彼女はもう――と考えた所で首を激しく振り否定をする。まだ最悪の展開を考
えるには早すぎると言い聞かせて他の対策をフィアルに提案した。
「なら外にいるラリアさんとフクレイに森へ行ってもらおう。俺達もあとからいくけど」
「そうですね」
同時に頷くと急いで右耳を二回触り、ラリアに連絡をかける。
二秒ほど経過したところで、ラリアの声が脳に流れた。
『どうした一雷精?』
『ウェルが何者かに攫われた』
『な、どこで攫われた』
緊張した声が向こうから届く。一雷精も顔を緊張の色に染め、続きを言った。
『森の近くらしい。フクレイと一緒にいるのなら二人でそこに行ってほしい。急いで俺達も行く』
『わかった。直ぐにいく。札を持ってくのを忘れんなよ。あれがねーと幻覚でできたウルヅスの住み処を見
破ることなんてできねーからな』
『わかった』
ラリアの返事を確信すると、一雷精は耳をまた二回触り、通話昨日を遮断させた。
「わたしたちも行きましょう」
フィアルがそう言う。一雷精は頷こうと首を動かすが、そこで硬直した。 自分を戒めていた過去の記憶が再び脳内に流れたのだ。
消えろ、消えろ。俺は、ウェルを……
必死に己に念じていたそのとき、集団の中から大きな声が飛び出した。
「待ちな」
人の群れを割って出てきたのは、アグス立った。輪とした表情が、一雷精とフィアルに向けられる。
「どうしたんですか?」
フィアルは首を傾げる。
「ウルヅスは森にはいない。恐らく、工事現場だろう。ラリアが知っているから、道を教えてもらいな」
普段通りの冷静を保っていたアグスだが、体がほんの少しだけ震えていた。その震えが怒りによるものなのか、それとも恐怖からきているものなのかは一雷精には推し量れない。
「おい、アグスさん なに言ってやがん――」
群れの中から大声で抗議してきた男を、アグスは右腕を上げることで黙らせた。沈黙が空間をつつむ
「どうして、そんなことを知っているんだよ」
トラウマで立った鳥肌を撫でながら一雷精は当然の疑問をぶつける。ピースメイン一同が今日まで厳密に調べていたが、
「簡単な話だ。ウルヅスが瓦礫にまみれた工事現場に出現し、そこで大きな城を出現させたのを偶然目撃した。その時は気が動転してただ立ち尽くしていたけど、今は違う。子供の命がかかっている場面で親である私が力にならないわけがない」
快活な笑みを見せ、アグスは胸をドンと叩いた。娘の危機は心配だろうが、周囲の人間達をこれ以上に不安にさせないために敢えて明るく振舞っている彼女は国王の鏡のように見
「そうですか……。なら急いで工事現場へと向かいましょう……精様?」
「俺は戦えるぞ、こんなの違うし、震えてるのは怖いからじゃないし が、我慢してた尿意が解放されてるだけだし」
「恐怖に打ち負けているじゃありませんか」
「しょうがないですね。精様、恐怖と闘っているところ申し訳ありませんが武器モードへと入ります」
「待ってくれ、戦えるか……」
意識が薄れ、暗闇に放り投げられる。結局最後まで自分の体で戦えなかったなと己の無力さ
を感じた。