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プロトタイプ  作者: アラ
14/35

13

 一筋の涙がゆっくりと床に落ちて四散する。

 次いで一粒、もう一粒と涙は両頬に幾つもの道筋を刻み、四散した涙の後を追う。

 どうして自分が泣いていたのかは、この時一雷精には分からなかった。ただ沸いてくる原因不明の感情に


 心を押しつぶされそうになり、小さく喘ぎながら右手で胸を押さえていた。

 荒くなっていく鼓動を全身で感じながら一雷精は涙で霞みきった視界で目の前の光景を除く。

 直後、沢山の涙が再び頬を伝い、床へと落ちて行った。


 嘘だ。これは悪い夢だ。幻想だ。そう自分に言い聞かせるが、体は思い通りに従ってはくれない。全てを喪失した心は、もう何も残ってはいなかった。

 名状しがたき喪失感に苛まれ、その場に倒れ伏す。必死に自分の思いを告げても、もう泣き叫ぶのは疲れた。きっと誰も信じてはくれない。自分は他の人間とは違うのだ。

 部屋で舞い散る白い花を最後に視界へとおさめると、一雷精は意識を失った。


 夢や希望が砕かれ、絶望と孤独しか残らない。

 この日を境に、全ての歯車が狂った。


 体が、何かに押されている。さっきまで見ていた妙に懐かしい夢のことなどさっぱりと忘れ、一雷精は何者かに揺さぶられている体を起き上がらせようとした。

 途端、頬に激痛が走った。予期していない力に途惑いつつ、一雷精は素早く起き上がり、反射敵に身を屈める。


「遅いです。いつまで寝ているのですか? 冬眠ですか? もしかして、永眠ですか」


 両腰に手を当てながらフィアルは一雷精に顔を寄せる。どうやら激痛の原因は彼女によってのものだったらしい。


「寝込みを襲われた……だと。うわあ、胸が膨張していく これは呪いだ。フィアゾンビの呪いだうわああああ」


「ふふふふ。よく聞こえませんでしたのでもう一回お願いします」


「くっ暴力に俺は屈しない。離せ! その手を……痛いんでやめてくださいお願いします」


 この世界に来て最大の痛さが全身を巡る。頬をつねるのは本当にやめてほしい。  


「おい、何やってんだ。早く行くぞ」


 ラリアの呆れがちな声が遥か遠くから飛んできた。一雷精とフィアルは急いで絨毯から降りて二人の元へと駆けていく。


「……そう言えば、さっきの夢はんだんだったんだろうか」


 うっすらとしか覚えていないが、夢に出ていた少年は泣いていた。自分には無関係なことなのに、思い返せば返すほど胸がきつく締めつけられる。


「まあ、思い出せられないのならいいか」


 気持ちを切り替えて、一雷精は歩みの速度を一段階上げる。夢の問題ではなく、今起きている現実と闘うために。


「見えたぞ」


 急な坂道を登ってから約二十分後、そこには、ぼんやりとだが、確かに大きな木の板で『宿泊の国』と刻まれている看板があった。まだその先は確認できないが、看板があるということは、そこを通過したらもう国の中なのだろう。


「この看板を超えたら、もう国の中に入っていると言ってもいい。簡単な手続きはあるけど、地球と違って面倒な検査を受けなくていいのがこのエリアリ―の魅力だね」


 ちょうど思っていたことをフクレイが右肩を竦めて全員に説明した。ゴール地点がわかったせいか、不思議と疲れが和らぐ。

 看板を通過して、荷物に危険物がないか調べるだけの簡単な手続きを済ませると、あとはもう入国するだけだ。一雷精を始めとする五人は表情に緊張を走らせ、地震の標的となるかも知れない国の全貌を見渡した。


「な……なんだここは」


 一同の予想を大きく覆すような景色がそこには映っていた。倒壊した家や建物。瓦礫の道を縫って歩く子供達の服は黒ずんでいてとても汚れている。

 宿泊の国が既に地震の餌食となっている。全員が瞬時にそう結論付けた。


「あれ? ですが地震の被害にあったほかの国とは違い、ここにはちゃんと人がいますよ」


 フィアルの発言に一同が無言で頷く。小数人しかいないが、全滅していた過去の国とは違って確かに生存者がいた。しかも、その誰もが普通に生活していている。親と楽しく話している子供もいれば、小さな小袋を抱え、湯気が立っている食べ物を美味しそうに頬張っているものもいた。


「何かを買っているということは、財産も奪われてはいないようだ。一体どういうことだ?」


 フクレイは両手を挙げ、降参のポーズをとる。それは残りの四人も同じだった。

 犯人が地震で国の住人を殺し、お目当てである石像を手にして財産を全て盗む。そして見せしめとして国の人間を消滅させる。それが犯人の手口だと思っていた。しかし、目の前に写っている光景は全く異なるものだった。一雷精達の推測はたった今破綻したのだ。


 予期しない出来事に一同が混乱するなか、一人だけ平然としている一雷精が提案する。


「わからないことがあったら、直接聞いてみるのが一番だよ」


「そうだな。もしかしたら只の大地震って可能性もある。地震はいつ起きたのか? その時見入らぬ人間がいたか――っておい 一雷精?」


 ラリアの指示を待たず、一雷精は単独で国の人間に訪ねる準備をしていた。純粋な疑問であり、決して悪気があったわけではない質問を口にする。


「ねぇ、君達はなんで今でも生きてるの?」


 沈黙が訪れる。 瓦礫を避けて歩いていた人達も、食べ物を頬に含んでいた子供も、その食べ物を作っていたおじさんも、全員が凍りつくように固まり、戸惑い、最終的にはその色合いを怒りに変えていった。


「ストレートすぎるんです!!」


 フィアルは颯爽と一雷精の元へ掛け、頬をつねる。呼吸を忘れてしまうほどの痛さだったが、どうやらそれだけでは国の人達は満足してくれないらしく、刺々しい視線をぶつけてくる。


「また地雷を踏んだのか俺のバカ」


「すみません。すみません。ほら、精様もはやく謝ってくださいよ!」


 引き攣った笑みをを迫ってくる群衆に浮かべ、一雷精の頭を強引に下げる。


「たく、お前は何やらかしてくれてんだよ。俺からもすみませんでした!」


 ラリアも一緒に頭を下げ、フクレイも同様の動作を行う。だが、それだけで事が収まるはずもなく、彼等の鋭い視線は五人を射抜いているままだ。この騒動の発端となってしまった一雷精も当然、何度も頭を下げた。


「本当すみませんでした。みんなは悪くありません 俺が悪いんです」


 涙目になりながら謝罪を述べると、頬にぬちょりと粘つくような感触が襲った。思わずその箇所に降れると、すえた臭いが鼻腔を刺激し、咄嗟に逆の手で鼻をつまんだ。


 腐った生物だった。地球でいう果物のような丸い形をしているその生物は、ぐちゃぐちゃに広がって一雷精の頬にこびりつく。


「な……」


 隣で絶句しているフィアルを一瞥し、一雷精は生物が飛んできた方向に首を動かす。


「ハァ……ハァ……」


 小さな少年だった。背は一雷精よりも低く、顔も幼い。恐らく歳は十代くらいだ。 息を荒らげながら興奮を隠しきれない様子で一雷精を睨んでいる。 騒いでいた大人も思わず黙ってしまうほどの迫力だった。


「この国になにをしにきた?」


 一雷精は速答する。


「君達を助けにきた……ていうのが正しいかな」


 その言葉を聞いた瞬間、少年の顔つきが変わった。怒りを露にしていた顔は一気に青く染まり、怯えるように後退さる。それを先程まで一雷精達に悪罵を浴びせていた国の人間全員が一斉に震えていた。


「か、帰れ!」


 人の群から誰かがそう叫んだ。その喚き声が拍車をかけ、今度はここから立ち去れという言葉が五人に殺到する。


「どういうことですか?」


 理解しがたい光景に狼狽するフィアル。


「落ち着いてください! 俺達は悪いやつじゃありません!」


 必死に騒ぎを沈めようとするラリアだが、その努力も叶わず集団の声は益々高まっていった。帰れ! 守らなくていい! 出てってくれ! と喧騒が延々と繰り返されているが、威圧的な言葉とは裏腹に、国民達の表情はどこか怯えていた。


「おかしいよ。守られたくないっていうのもおかしいけど、どうしてあんなに怯えているんだ?」


 守られたくないから帰れ! それだけでいいはずなのだが、平民達は切迫詰まった声音で守られるのを拒否し、一雷精達を追放しようとしている。  


 平民達に不審を覚えているのはどうやら一雷精だけではなかったらしく、ピースメイン全員がなにやら考える素振りを見せながら覆い被さるわめき声の対処をしていた。


「拒むのに夢中で話を聞いてくれないな……まさかこんな事態になるなんて。いったん国から出て対策を練るべきだろうか?」


 フクレイが問いかける。しかしラリアは首を横に振った。


「だったら、どうやってあの人達を説得するんですか?」


 一心不乱に叫び続ける平民達に怖じ気づきながらフィアルは半ば泣きながら言う。


「元はと言えば俺のせいだから俺が何か言って――」

「いや、遠慮しときます」


 全員一致の返事だった。何だか悲しくなるが、納得もしている。再び地雷を踏んでしまえばもう二度とここへこれなくなるし、当然の判断だろう。


「帰れ!!」


「デテケ!」


「こないでくれ!!」


 拒絶の激しさはとめどなく上昇し続け、一向に止む気配がない。まるで何かに取り憑かれているかのように、我も忘れて喉を酷使し続けている。


「ラリア、やはりここは一回退くべきだ」


「……くそ!」


 フクレイの忠告にラリアは悔しそうに手を握りしめた。


「そうですね……退いてからまた対策を練りましょう」


 全員がフクレイの提言に賛同し、この場を立ち去ろうとした――次の瞬間。


「黙れテメェラ!」


 雷鳴のように響き渡る大声が、周囲を圧し、声の嵐を鎮めた。 


「アグスさん……」


 一人の男が声の主の名前を呟く。先程までの緊迫していた空気は、氷のように溶けていった。

 音もない静謐な空間の中、一際異彩な空気を放つその女性に、ピースメインの視線は釘付けだった。それは、騒いでいた平民達も同じだった。


 街中の視線を独占するその女性は、尚も毅然とした態度で威勢よく腕を組み、円状で群がっている人達を一蹴した。 


「騒がしい。ウルヅスだけでなく、あんな奴らにまで脅えているのか? 情けないぞ」


 他を寄せ付けない風貌に、それに見合った情の薄そうな顔立ち。青で統一された騎士風の戦闘服が様になっている。


 彼女は力強い足取りで群れを通過すると、一雷精の前でピタリと止まる。


「フン」


 思いきり頬を殴られた。鈍い音と鉄の臭いを肌で感じながら一雷精は派手に尻もちをつく。


「ちょっ……あなたこれはいったい――」


 抗議しようと前に出てきたフィアルを右手で制し、アグスは一雷精を鋭い眼光で見つめた。


「命が欲しければ、私の家に泊まるんだな。もちろん宿泊代は法外な値段だが」


 そう告げると顔を動かし、フィアル、ラリア、フクレイを順に見つめる。


「お前達もだ。ついてこい」


 それだけを言い残すと、アグスは人の群れを手振りで散らし、去っていく。狂うように叫んでいた連中は三三五分に散っていき、その場にいるのはピースメインのみとなった。


「……行ってみる価値はありそうだな」


 小さくなっていく女性の背中を見つめながらラリアは囁く。フクレイも首肯する。


「そうだね。一雷精を殴ったことは置いておくとして、少なくとも悪い人ではないのだろう」


 置いとくなよとは言わず、地面に尻を密着させながら一雷精は殴られた頬を触っていた。


「なんか、最近女性に攻撃されすぎじゃないか俺?」


「さっきのは、いいえ、今のところ全て精様が悪いですけどね」


 皮肉を交えるフィアルを睨みつつ、一雷精は重々しく立ち上がった。


「俺達を拒まなかったし、他の人とは違って怯えてもいなかったね。彼女ならなにか教えてくれるんじゃないかな? 行ってみようよ」


「ようし、行くか」


 ラリアの声に一同は頷くと、先を行くアグスのあとを駆けて行った。

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