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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵のお小遣い稼ぎ
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10.旅の終わりと次の旅(5)

今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

「昔、きみを賭場で見たことがあるよ」

「ええ? おまえ、博打やるのか?」

「いや、おれはやらない。ただ、その、おれは上に用が」

「ああー、はいはい」


 いささか白い眼を、ルキシスは彼に向けた。さっと顔を背け、ギルウィルドはそれをごまかした。

 一部の娼館では一階が酒場兼賭場になっていて、二階以上が女たちが客を取る部屋になっている。上に用が、というのはつまりそういうことだろう。ルキシスは娼館の一階で男の客たちに交じって楽しく賭博をして、彼は二階だか三階だかで彼なりの楽しみを持ったものらしい。


「言っておくけどおれは別に買ったわけじゃなくて」

「わたしに言い訳しなくていいぞ。姐さんに可愛がってもらったんだろ」


 きっと何か物でも買ってもらったに違いない。


「おれの話は置いといて」

「置いとかない」

「――置いといて、賭場で見るきみは、見たことないくらい楽しそうだった」

「楽しいもん」

「楽しいもんじゃねえよ。小娘みたいな口のきき方しやがって。すっげえええ負けてたよ! 楽しそうだったけど負けてた! タコ負けしてた!」

「それは――下振れだ。どんな凄腕の博打うちだって確率には敵わない。下振れはある。でも上振れすることだってあるし、下振れしたってことはそろそろ次は勝つってことで――」

「博打中毒の喋るリーズ語は理解できねえな」


 下振れとか上振れとかは博打用語だっただろうか。分かりやすい言葉に置き換えて説明する必要があるだろうか。

 などと思ったところでギルウィルドに睨みつけられた。


「言っておくけど、単語の意味が分からないわけじゃないから。きみこそ確率って言葉の正しい意味を知ってるのかよ」

「勝つか負けるか、五分五分」

「ち、が、う!」


 一際強く腕を引かれ、前につんのめりそうになった。

 段々こちらも苛々してきた。殺そうかな。という気分である。この男が死んだらエルミューダは形見分けにもらって、大切にしてやるつもりである。


「きみ、真面目に言うけど」


 殺気を察したのか、ギルウィルドがルキシスの腕を放して向き直った。だが捕えようとすればいつでも捕らえられる位置だ。人が多いので逃げ道も作りにくい。


「きみが命を懸けて稼いだ金を、なんでそんな簡単に失えるんだよ。必要なことに使うならいいさ。娯楽だって多少は必要だ。だけど博打は違うだろ。しかもきみのは度が越してる。稼いだら稼いだ分、素寒貧になるまでやっちまうんだから」


 まるで見てきたように言う。だが時には、さすがにそこまで負けてはいけないだろうというところまで負けてしまうこともあったのであながち間違いではない。


「わたしの稼いだ金をどうしようがわたしの勝手だ」

「きみが命を懸けて稼いだ金だろ。きみがこれからの命を繋いでいくために必要でもあるだろうが」


 金がなくなればまた稼げばよい。

 むかっ腹を立てていると、向かい合う男がまた目を細めた。


「――リリ、今から神殿に行こう」

「は? 神殿? 別に神々に悔い改めようなんざ思っていないが」

「神殿に口座を作って貯金しよう」

「わたしに営業するな!」


 両替商に端を発する民間の金融機関のほかに、神殿という公的な組織でも金融機関としての役割を担っていた。つまり、銀行としての機能を有していた。神殿の方が大陸中に連絡網を敷いているだけ、一か所に留まらない人間には便利でもある。


「大体わたしはどこの神殿の人別帳にも載ってないし」


 そういう人間は神殿に口座など作れない。人に聞かれると面倒なので小声で言う。


「そんなもんいくらでも偽造できる。神殿文書書いてやるよ」


 これもまた、小声でろくでもないことを言う。本当に坊主だろうか。破戒僧め。


「いらない」

「だったら金を命の次に大事にしとけ」


 何やら上手く言いくるめられた。ルキシスはぶすっとして、目の前の男を睨みつけた。

 ギルウィルドは嘆息し、顎を上げて居丈高にルキシスを睨み返した。

 そうやってお互い、睨み合っていた。まったくもって無駄な時間である。


「――宿に戻ろう」


 どれほどそうして無駄な時間を過ごしたものか。しばらく経ってギルウィルドがそう言った。相変わらずため息まじりである。

 徒労感でいっぱいだった。


 仕方なく、ルキシスはギルウィルドに並んで歩き出した。もう面倒くさくなって、宿の個室で横になってごろごろしたい気分だった。


「……長逗留になるなら小遣いを稼ごうと思っただけなのに」


 口を尖らせる。


「小遣いを失うだけだからやめとけって。それに長逗留って言うほどじゃないだろ。ただ、まあ何もしないでも出ていく一方だから、何か仕事を探す?」

「うーん……」


 仕事を探すにしたって、いつまでもここにいるわけではないから中途半端だ。そうなると日雇いの仕事くらいしかできないだろうし、男はともかく女で日雇いとなると仕事の口が相当に限られる。これが農村なら農作業の手伝いなどもあるのだろうが。


「港で女でも雇ってもらえるかなあ」

「漁で獲れた魚の仕分けとか、漁具の手入れとかないかな」


 明日あたり、口入屋に行ってみるか。荒事でない仕事はあまり得意ではないが、暇を持て余していても仕方がない。

 そんなことを考えながら並んで宿への帰路を辿る。

 その途中、不意に視線を感じてルキシスは周囲を見渡した。


「リリ?」


 いや、気のせいだろう。周囲は多くの人間で賑わっており、喧騒に満ちている。今も他人がすれ違い、肩先が触れ合いそうになった。そんな中で誰かが自分を気に留めるとも思えない。さっきまで安酒場の前で揉めていたので多少目立っていたかもしれないが、既にその場を離れつつある。

 もう一度注意深く辺りを窺ったが、特段変わった様子は見受けられなかった。


 賑わう港町。

 行き交うひとびと。

 男。女。老人、青年、子ども。色々な人間たちがいる。黒い髪の人間が多い。ルキシスの髪色ともよく似ている。だが中には栗色や赤毛の人間もいる。金髪は少なく、特にギルウィルドのような色素の薄い白金のような色合いはまったく見受けられない。だが背の高いのも、低いのも、太っているのも痩せぎすのもいて、つくづく人間のかたちというのは色々だった。


 自分はその中のたったひとりで、確かに男装しているし髪を結っても覆ってもいないし、異様と言えば異様だが、過密な人間たちの群れの中にあってはただ溶け入るばかりだ。

 何でもない、と言ってルキシスは足を踏み出した。


 その時だ。

 横合いから、誰かがルキシスの腕を掴んだ。

 ギルウィルドではない。彼は一歩先を進んでいる。


「――ああ?」


 誰かにいきなり、腕を掴まれるいわれはない。ルキシスは不快をあらわにして眉を吊り上げ、掴まれた腕の方へ顔を向けた。

 知らない男がルキシスの腕を引き、顔を覗き込んでくる。食い入るように。何か奇妙な必死さで。


「なんだおまえ」


 年の頃は二十代の半ばか、もう少し上だろうか。長身で、髪が黒い。身なりがよい。明らかに金持ちだ。しかも隠し切れない品がある。成金の類いではあるまい。少なくとも、突然見知らぬ女の腕を掴んで顔を覗き込んでくるような無作法に及ぶ手合いには見えない。


 もしかして知り合いだろうか。全然心当たりがないが。ちょっと考えながら、まじまじと男の顔を見つめ返した。

 細い顎。削がれたような頬。一直線の鼻筋。

 ――茶色がかった紫の双眸。


 ふと鼻先を春の香りが漂った。

 瑞々しい、柔らかい、優しい、ほのかな甘さ。


(ミモザ)


 いつか嗅いだことのある香りだった。

 いつも包み込んでくれた香りだった。

 今は夏の終わり。

 ミモザの季節ではない。ミモザは春の訪れを告げる花だ。

 でも彼は一年中、ミモザの香水を身にまとっていた。

 この香りが好きだからと言っていた。

 自分も好きだった。

 ほのかな甘さ。

 尖ったところのない澄んだ香りは彼自身の優しさによく似ていた。


「ちょっと、兄さん。そのひとに気安く触らないでほしいんだけど」


 気付いたギルウィルドがからだを反転させ、男の腕に手をかけた。いつでも捻り上げられる構えで。

 だがそんなことはもうルキシスの目には映らなかった。

 自分が一本の木の棒にでもなったかのように、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。


「ラティア」


 見知らぬはずの男の唇が動く。

 それは紛れもない、生まれた時の名前だった。

 もう二度と呼ばれるはずのない名前だった。

 いつか、誰かが自分の手を取って泣いて詫びた。




「必ずおまえを探しに行く」




 その手の主が今、再び自分の腕を取った。

 違う。そんなことはあり得ない。

 そう分かっているのに、手も足も、ほんの少しも動かすことができなかった。

「2章 女傭兵のお小遣い稼ぎ」はここで完結です。3章はまた3か月後くらいに連載できるといいなあと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

よかったら続きも見てもらえると嬉しいです。

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