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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵のお小遣い稼ぎ
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10.旅の終わりと次の旅(3) 破戒僧の語るところ

今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

 嫌な予感はしたのだった。男女共用の雑魚寝部屋で構わないとルキシスが言った時に。

 でも彼女があんなことをしでかすというか、企んでいるとは知らなかった。想像もしなかった。なにを考えているのかまったくもって理解に苦しむ。しかも自分が隣にいるのに、それを許すとでも思っていたのだろうか。


(アホなのか)


 そうかもしれない。

 そうとさえ思った。

 ルキシスは膨れ面をしている。膨れ面をしたいのはこちらの方だというのに。

 もう二度と、絶対に、男女共用の大部屋なんて利用しない。それくらいなら野宿する。


 ギルウィルドがそう決意するに至ったのには、もちろん理由がある。

 まず、夕食を終えて部屋に引き上げてきたときはよかった。夕食はパンとチーズと、野菜くずに肉のかけらだのを何でもぶち込んで煮込んだ安上がりのスープだったが、傷んでもいないし味も悪くなかった。ルキシスは機嫌良さそうにしていた。スープをお代わりして、食後には自分で持ち込んだ果物を齧ったりもしていた。


 そして部屋に引き上げてくると、彼女は道中で買い込んだ美しい綿布を広げて裁縫を始めた。中着を作ると言っていた。作業の邪魔になるからだろう、下ろしていた黒髪を適当な三つ編みにもしていた。大した道具もないのに意外にも手際はよく、見る見るうちに布は衣類の形になっていった。明かりが落ちる前に一着、ほぼ完成していた。ここまではそう、問題はなかった。


 しかし小さな街のわりに宿には客が多く、しかも宿泊客が男ばかりなので落ち着かない感じはあった。雑魚寝部屋というだけあって、部屋には大量の寝藁を敷き詰めた上に粗末な麻の敷布が広げられ、そこに各人が勝手に寝転んで自らの領土とするというやり方が敷かれていた。これはこうした安宿にはよくあることで、寝藁や麻布がある程度清潔そうなだけ上等だった。

 部屋の中でなるべく端の方に彼女の居場所を作ってやって、自分はその隣に少し距離を取って寝場所を確保した。

 彼女は部屋の注目を集めていた。無理もない。婦人は彼女ひとりきりだった。


 自分の存在が多少は盾代わりになっているのだろう、彼女に声を掛けたり、あからさまにちょっかいを出したりするような奴はいなかった。

 だが時折、あまり感じの良くない視線が彼女に向けられているのには気付いていた。感じが良くないというのは婉曲表現で、要するに、下劣で、情欲の滲んだような眼差しということだ。

 そしてこれはこの時代の大陸中部以南によくある風習だが、男女を問わず、寝る時に服を脱ぐのだ。彼女がせっせと中着を縫い上げている間にも、周囲では宿泊客が服を脱いでごろごろと横になり始めている。


 何となく、地獄のような絵面だと思った。もちろん自分もこれまでこうした大部屋に宿を取ったことは数えきれないくらいにある。男たちが裸で雑魚寝している姿を、特にどうとかこうとか思ったこともない。

 しかしその中に婦人がひとりいるというのはやはり変な感じだった。一方、彼女はそれを気にした様子もなく針を動かし続け、やがて本人なりに納得のいくところまでできたらしい。

 道具を片付け始めたところで女将が間もなく消灯だと言いに来た。


「寝る」


 ルキシスはそう宣言するなり、あろうことかその時身に着けていた中着を脱いだのだ。止める間もなく肌着姿になってしまった。

 ぎょっとした。まさかこの部屋で自分も服を脱いで就寝するつもりなのか。


「リリ」

「寝ないのか?」

「おれは服脱いで寝る習慣ないんで……、いや、ちょっと」


 言いながら、彼女は肌着も脱いでしまった。上半身はもう何も着ていない。慌てて手をかざし、顔を背けた。

 当の本人は平然としている。からだを隠すそぶりも見せない。むしろ、怪訝な顔をしている。


「寝藁で寝るなら夏は脱いだ方が涼しいし、冬は脱いだ方が暖かいのに」

「いや、あの、こっち向かないで。服着てくれないかな」

「……もしかして裸は恥ずかしい方?」


 変なの、とでも言いたげな口調だった。その口振りからすると、彼女は「裸は恥ずかしくない方」なのだろう。土地柄もあるのだろうが、保守的な北国の田舎者としては信じられない風習である。


「きみだって戦場では服着てるじゃん!」


 先日も、肌着姿で太腿から下が丸出しだったとはいえ、一応彼女は着衣で休んでいたようだったのに。


「だって戦場では何かあったらすぐ起きられないと困るし」


 あっさりとそう言い、彼女は穿袴(ズボン)も脱いでしまった。いや、直視しているわけではないが、目の端に映る動きでどうしても分かってしまう。


「まあいいや、おまえは好きにしろよ。おやすみ」


 そう言って、彼女はその場に横になってしまった。一応丈の短い下穿きは履いているようだし、からだの上に自前の質素な寝具をかけてはいる。だが膝下や胸元はかなり無防備だった。


「いや、あの……」


 ギルウィルドは途方に暮れた。どうしてよいか分からなかった。

 これが婦人専用の部屋なら問題はないのだろうが、ここは男女兼用である。今までだってどこででも寝てきたなどと本人は言っていたが、こうした場合も服を脱いで寝ていたのだろうか。それで本当に何の問題もなかったのだろうか。

 女将が再び部屋にやって来て、消灯の刻限が来たことを告げた。


(――まあ、どうにかなるか)


 自分も隣にいるし。彼女の男除けに利用できる分には利用してもらって構わない。

 もし何かあったところで、ふたり揃って対処できないということもあるまい。

 そう信じて彼女から人ひとり分の距離を空けた位置に横になった。

 彼女はこちらに背を向けて、壁の方を向いて、もう寝付いているらしい。細い肩が規則正しく、小さく上下しているのが分かった。


 そしてことが起こったのは真夜中を過ぎた頃だった。

 寝藁が不自然に沈み込んだ気配を察してギルウィルドは暗闇の中で目を開けた。

 明かりひとつない中で、そこだけ一際影が濃くなっている。彼女の足元に。男の人影が。


「兄さん、やめとけよ」


 リーズ語で話しかけると、彼女の足首の辺りに手を伸ばしかけていた人影がぎくりと動きを止めた。リーズ語を理解しているのかどうかは謎だったが、明らかに彼女の連れである男が目を覚まして言葉を発したので、咎められたのは分かったのだろう。


 不安定な寝藁の上に上半身を起こす。ルキシスは気付いていないのか、まだ横たわったままだ。

 男が何かを言った。ソヴィーノ語だ。あまり詳しい内容は分からないが、咎められて何か言い訳をしているという雰囲気ではなかった。


(――ああ、こりゃ)


 おまえも一緒に楽しめばいいだろう、とか何とか。たぶんそういうような。

 不愉快だった。

 男の顔面をむんずと掴んだ。立ち上がり、その状態で男のからだを引きずる。顔面を掴まれた不自然な状態で、男は不格好な膝立ちのような体勢になった。男は抗ったが所詮は素人だ。為す術もなく、遂には部屋の外にまで引きずり出された。


 そこでよくよく、彼にはご理解いただいた。してはいけないことをしようとしていたこと。言ってはならないことを言っていたこと。

 事の次第は、同じ部屋で成り行きを窺っていたほかの宿泊客にも気配で伝わっただろう。これで牽制にもなった。

 一分もかからなかった。仕事を終えてギルウィルドが寝床に戻ると、何とルキシスが起きていた。自分の寝場所に座り込んでギルウィルドを待ち受けていたのだ。


「起きてたの」

「おまえ、よくもわたしの小遣い稼ぎを邪魔してくれたな」

「は?」


 予想外の言葉だった。そもそも、彼女が気付いていたことにも驚いたが。


「おまえ、あいつからちゃんと慰謝料いただいたか?」

「――はあ?」


 もう二度とこんな真似をしようと思うこともないような目には遭っていただいた。だが、慰謝料とは――。

 ここでようやく気が付いた。


(つまり、彼女は最初から)


 そのつもりだったのか。

 自分の肉体を餌に、不埒な男どもを引き寄せる。上手く食いつく愚者があれば、ぶちのめして慰謝料を頂戴する。

 唖然とするあまり、咄嗟に言葉が出てこない。

 暗闇の中でも、彼女が不機嫌そうに自分を睨みつけているのが分かった。


「……い、つも、こんなことしてるの?」


 やっと出てきたのはそんな言葉だった。


「たまに」


 臆面もなく、堂々と、彼女はそう言った。


「ばっ――」


 馬鹿じゃないの、と声を張り上げそうになって慌てて声量を絞った。絞りすぎて言葉が詰まった。いや、そうではなくて、やはり衝撃を受けたからかもしれない。まさかこんな、変則型の美人局のような、しかも我が身を危険に晒してまで。自分のからだを何だと思っているのか。


「二度とするな」

「わたしは悪くない。変なことを考える奴が悪い。そしてそういう奴から慰謝料をいただくのは当然だろ」


 まったく悪びれない。


「小遣い目当てでわざとやるのは違うだろ!」

「わざとかそうでないかは、結果に何か影響するのか?」

「リリ」

「おまえはもしかしたら分からないかもしれないが、目立たず慎ましやかにしていようがそうしていなかろうが、結果は同じでこんなことはよくある。だったら言い逃れできない現場を押さえて慰謝料をいただいて何が悪い?」


 ――ヨルクの配下の者が、彼女に良からぬ真似を仕掛けた夜のことを思い起こした。彼女の天幕は他の者たちから離れていたし、あんなことが起こるまでは夜着姿で外を出歩くこともなかったし、決して彼女自身がああした事態を招いたわけでないのは自分もよく分かっている。


 でも結果は同じだと、彼女は言う。

 確かにそうだと納得しそうになる。だがそれはどこか、本質的なところで話をずらされている気もする。


「――二度と、しないでくれ」


 せっかく馬鹿が餌にかかったのに。

 彼女が小さく文句を言うのが耳に入ってまた頭にきた。

 自分のことを餌だなどと。


 しかし自分自身を餌にする女が悪いのか。餌に引っ掛かって女を犯そうとする男が悪いのか。

 苦々しい気分だった。

 神官様は小うるさいことだ、とでも言いたげな皮肉っぽい気配が、彼女からは漂っていた。彼女はしばしばこうした皮肉っぽい雰囲気を身にまとう。そういう時の彼女の眼差しは苦手だった。いつでも。暗闇の中でも。


「とにかく駄目だ」


 ルキシスはむすっとしたまま、無言でその場に寝転がった。こちらに背を向けて、また壁の方を向いている。

 苦々しさよりも、今となっては痛々しい気分が込み上げてくる。

 彼女だって初めからこんなことをしていたわけではあるまい。

 こんなことをしてしまうのは、自分自身を軽々しく、価値のないものに見積もっているからではないのか。

 だが一夜明けてしまえば、また怒りがぶり返してきた。


(アホじゃないのか)


 それでお互い膨れ面をしていた。半日ばかりろくに口もきかなかった。だが馬たちが主人らのいつもと違う様子に不安がって落ち着かないそぶりを見せたので結局なし崩しとなって、そのことについてそれ以上言及することもなかった。

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