9.あちこち騒ぎがあるものだ(2)
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
「まあ、おまえの考えが今までおまえを生かしてきたことも事実だ。考えを巡らすことに拘泥して一瞬の判断を誤るなよ」
「分かってる」
戦場での勘は良い方だ。そうでなければ生き残れない。
「……おまえの受けたい仕事なら受けるといい」
アラムがそう言ってくれたので、ここでようやく本当に安堵して息をつくことができた。補償金に金貨五十枚も提示させておいて交渉決裂などとなったらフラヴィオやジャコモに何と説明すればよいか分からないところだった。
「ありがとう、親爺」
「この後おれたちは少し北の方に行く。その後は東か西かまだ決めかねてるが、おまえはどうする」
「この通訳の仕事が終わったら東に行くつもり。東の方が近いから手っ取り早く稼げるし」
東は以前から、異民族討伐に向かった諸侯が内輪揉めしてもはや収拾のつかない混乱状態に陥っているという。西は西で海峡を挟んで以前から帝国と敵対している某国が帝国の領土にちょっかいを出し続けており、そこもぼちぼち大きな戦争になりそうではあったが、ここから行くには少し遠い。
「剣を返してやる」
「うん」
もちろん他にも預けさせられたもの一式、返してもらえるだろう。さいわい荷物持ちがいるのでザネッティ家の宿営地までの持ち運びには不自由しない。
事務的なことや先のことなどをもう少しアラムと話した後で、荷物一式を受け取って団長の天幕を出た。ギルウィルドのいるところまで戻らねば。たまたま近くを歩兵第一分隊長のジャゾが手持ち無沙汰そうに歩いていたので、捕まえて半分荷物を持たせた。これをそのままギルウィルドの奴に渡して運ばせるつもりである。
だが、白蹄団の宿営地を後にする前に、できればトーギィやゾーエといった顔馴染みたちにひと声くらい掛けてから行きたかった。
そんなことを考えながら歩いているうちに、何か不穏なざわめきが聞こえてきて思わずジャゾと顔を見合わせた。
何だ、と口走りかけた時、女たちの甲高い悲鳴が響き渡った。
荷物を抱えたまま、咄嗟にその声のした方に向かってふたり揃って走り出す。あれはきっと白蹄団の娼婦たちの声だ。彼女らに何かあったのか。
林立する天幕の間を縫うように走っている間も、何度も女たちの悲鳴が聞こえてきた。その声を聞き付けてだろう、白蹄団の兵士たちが他にも声のした方に向かって集まってくる。
騒ぎの中心地にいたのは――娼婦たち。痩身の、黒衣の男。それからギルウィルドだった。
(あいつ、何やってるんだ)
彼が何かしでかした、というわけでないのは一目で分かった。
黒衣の見慣れぬ男はナイフを振り上げていた。ギルウィルドがその腕を掴んでひねり上げ、娼婦を背中に庇っていた。
「恥知らずな罪深い女どもを庇うつもりか」
黒衣の男が声を上げる。いささか発音がぎこちないが、リーズ語だった。
「女たちに罪があろうとなかろうと、裁くのは神々だろう」
そう反論しているのはギルウィルドだった。
「ジャゾさん、ルキシスさんも」
経理係のトマがふたりに気付いて駆け寄ってきた。
「何の騒ぎだ」
「あの黒い服の男はこの辺りの神官のようなのですが、どうも過激な思想を持っているようで、娼婦たちに悔い改めよと」
――なるほど。よくいる手合いである。保守的で、過度に禁欲的で、娼婦たちを目の敵にしている。しかしそれにしたって、刃物を持ち出すとはとてもまともな坊主とは思えない。
「神々は売春を禁じている。男を誘惑し堕落させる、汚れた女どもが救われるにはこれしかないものを!」
男はますます興奮して声を張り上げている。だがギルウィルドが腕を締め上げるので、遂にナイフを手の中から落とした。
「経典を読んだことがあるのか。ひとがひとを買うことは禁じられている。つまり罪深いのはひとを買う者であって、自らを売る者に罪があるとはひと言も書かれていない」
経典を読破したことがないのでよく分からないが、神々の中には娼婦の守護女神もいるので娼婦たちが神々の守りや赦しを得ていないとは思えない。しかし一方で禁欲を重んじる神もいるので、それを根拠に世間には売春を禁じる向きもないことはない。
「罪深いなどと――」
黒衣の男は明らかに不利な態勢でありながら、鼻で笑うような態度を示した。目を見開いたまま瞬きもしないのが、少し離れた位置から様子を窺っているルキシスからも不気味に見えた。
「女などひとではない。よって女を買う者に何の罪がある。罪深いのは男を誘惑する邪悪な女どもである。女が誘惑するから男が堕落するのだ。経典がどうと言うのなら、女がひとのうちに入ると経典のどこに書いてある」
理解しがたい妄言であった。
男はひとりで言ってひとりで興奮して、ますます目をぎらつかせている。禍々しい迫力があり、それが周囲を圧倒していた。ルキシスでさえどこか近寄りがたさを感じていた。ジャゾも同じだろうか。飛び掛かる機を狙ってはいるのだろうが、なかなか動けないでいる。
「悔い改めよ! 汚れた女どもも女どもに味方する堕落した男も!」
「なら」
ギルウィルドの声が一段低くなった。
「ひとでないものから生まれたおまえは何だ? 化け物か?」
女などひとではない。
この神官はそう言うが、女でないものから生まれた人間などこの世にひとりもいない。
男の顔が一気に紅潮した。神官を愚弄するか、と掠れた甲高い声で叫んだ。
「もう行けよ」
ギルウィルドが男の腕を放し、軽く突き飛ばす。
「おまえの負けだ。素人ひとり論破できなくて何が坊主だ」
実を言えばこの男は素人ではないのだが、それを知っているのはもちろんルキシスだけなので黙っていた。
男は自由を取り戻した腕を痛々しげにさすりつつ、数歩、後ろへ下がった。
周囲はすっかり白蹄団の兵隊たちに取り囲まれている。ここでやっとその事実に気付いたのか、男はそこで急に慌てたそぶりを見せた。
この男にかかれば男装しているルキシスなど邪悪な女の筆頭になりそうだ。ギルウィルドだから命を取らなかったようなもので、この男が突っかかってきたのがもしも自分だったらこいつは今頃死体になっていたことだろう。
そんなことを思って、一瞬注意が逸れた。男がぶかぶかした黒衣の内側に手を入れ、中から何かを取り出すのが見えた。
――刃物ではなかった。
携帯用の壺だ。蓋が外れて、その中身が一息にぶちまけられた。
ギルウィルドはよけなかった。よければ背後に庇った娼婦たちに壺の中身がかかってしまうからか。
「悔い改めよ!」
そう叫んで、男が駆け出していく。捕まえて殺すことはできる、が――。
「あんな小者、追わなくていいよ」
ルキシスが迷っていることに気付いているのだろう。頭から濡れ鼠になったギルウィルドが忌々しげに雫を振り払いながら言った。思ったよりも量があったようだ。
「薬品か?」
洗い流さなければ。男を捕まえるのは諦めて、ルキシスは彼の元に歩み寄った。どうも、芳香がする。
「いや、ただの葡萄酒」
芳香の正体はそれか。何とももったいないことである。
「ギイ、大丈夫?」
凍りついていた娼婦たちのうち、何人かが落ち着きを取り戻して水や布を持って近付いてきた。
「――何の騒ぎだ」
ようやく誰かが知らせたのだろう、アラムが数人の兵隊を引き連れてやってきた。そこからさらに遅れて、娼婦たちの取りまとめ役であるゾーエが下働きの若い兵隊や娼婦たち数人とともに走ってくる。
トマがアラムやゾーエたちに事情を説明する。その間、ギルウィルドは憂鬱そうな面持ちで髪や顔を拭いていたが、葡萄酒の染みの広がるシャツを見てますますげんなりした顔になった。




