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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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3.密約(1)

男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

1日あたり1、2話くらい更新します。

 自分も背中を斬られていたことをルキシスが思い出したのはジャデム家の屋敷に案内された後のことだった。


 屋敷は、砦と呼ぶにはかなり心許ない。だから屋敷と呼ぶほかない。だが古い時代に建てられた石造りの建物を改修しながら使い続けてきたものらしく、ごく小規模ながらも堀や木柵がぐるりと巡らされ、多少は防備というものに心も砕いているようだった。


 とはいえ屋敷の半分は村の公共の施設のようなもので、村人たちが出入りするため正門も扉も常時開け放たれている。ジャデム家の人間たちが日常生活を送るのは建屋の中でも東側に面した奥側半分で、さすがにそちらは限られた人間たちしか出入りできないよう要所要所に門番が配され、施錠もされているようだった。


 ルキシスたちが案内されたのはその奥側だった。私的な来客向けの客室もこちらにあるらしい。

 しかしルキシスが客室に通されることはなかった。少女がルキシスを離さなかったからだ。よってふたりは今、少女の私室――この屋敷の中で最も上等な女主人の部屋にいた。


 そこでちくちくと、ルキシスは縫物をしていた。背中の傷は血も止まっているのでもはや清拭しておくくらいしかやることはないが、切り裂かれた衣服は自然には直らない。縫うしかない。なおよくよく思い返してみれば顔面に石も直撃していたが、根が頑丈なのでちょっと腫れるくらいで済んでいる。ギルウィルドが手加減した――ということもあるのだろうが。


 そのギルウィルドはここにはいない。さして関心もないが客室の方だろう。今頃そこであの男も自分の腹をちくちく縫っている頃だろうかと思うとまた少し機嫌が上向いた。


「あの……お手伝いします」


 少女がそう言って、窓際の長櫃の上に腰かけて縫物をするルキシスの元へ歩み寄ってきた。彼女は召使いたちの手によって着替えを済ませた後で、今は淡い黄色の長胴衣の上に例のエメラルドの飾り帯を締めている。


「うん? いや、もう終わる」


 今針を通しているのが最後の一枚だ。肌着である。肌着を脱いで繕っているのだから、ルキシスは今上半身に何も身に着けていなかった。


「あの、お姉さん……、お召し替えは」

「縫い終わったらこれを着る」

「でも、その、血が」

「血が?」


 少女が何を気にしているのかしばしルキシスには分からなかった。だが要するに、血の汚れを気にしているのだ。洗わなくてよいのかと。血に汚れた衣服を着ることなど傭兵には日常茶飯事すぎて、少女の戸惑いに気付くのが遅れたのはいささか間が抜けた話だった。


「こちらでご用意した物はお気に召しませんか?」


 少女は隣の長櫃の上に広げられた女物の装束を指し示した。ご丁寧に下着から上着まで一式全て揃えられている。そのひとつひとつがこんな田舎には不釣り合いな上等な仕立てだった。


「わたしには過ぎたものだ」


 庶民は大体、衣服など一着しか持っていなくて普通である。貴族の令嬢だってこれほど上等な装束は年に何度も手に入るものではないだろう。


「お姉さん、あの」


 少女はさっきからしきりとためらいを示している。だが意を決したように顔を上げ、両手を胸の前で組み合わせてルキシスの前に立った。


「これから暗くなるわ。今晩泊まっていってくださる?」


 手を止めてルキシスは少し考えた。屋根の下で寝られるのはありがたい。食事も与えられるだろう。しかしこの申し出を受ければこの少女にまつわる揉めごとに否応なくどんどん巻き込まれていくことにはならないか。必要以上には立ち入りたくない。どちらかと言えば早くこの地を去りたい。しかし少女の手を振り払うのも気が咎める。


 ギルウィルド。あの男に託すというのも――いや、信用できない。少女を森の中で追い回していたあの兄弟たちに、大金を積まれたらころっと裏切るのではないか。だがこの少女の方が動かせる金が大きいなら、少なくとも金が続く間は裏切ることはあるまい。それをどう判断するか。


「分かった」


 結局、そう答えるしかなかった。

 少女の顔がぱっと明るくなる。花が咲いたように。


「できた」


 繕っていた肌着を顔の前にかざし、出来栄えを確認する。単純な縫物なので本当に単なる確認だ。


「お姉さんは縫物がお得意なの?」


 隣の長櫃の上の衣類を片端に寄せ、空いた場所に少女が腰を下ろした。


「わたし、刺繡が苦手でなかなか上手くできなくて……、いつも怒られてばかり」

「刺繍のコツは無心になることだな。針の向き、糸の長さと方向を揃えて、たるませず、引っ張りすぎず」

「難しいわ」


 突然、荒々しく音を立てて扉が開いた。三十がらみの女が忌々しげに唇を歪めて顔を覗かせる。


「できましたよ、お嬢さん」


 下働きの女らしい。だが戸口から入ってこようとせず、腕に抱えていた浅紫色の布地を部屋の中ほどの床へと力強く投げ捨てた。


「あ、ありがとう」


 少女が長櫃から立ち上がる。布地と見えたものは、森の中で少女が着ていた長胴衣だった。


「じゃ、あたしはこれで」


 長胴衣を床から拾い上げる少女にも、それを見ているルキシスにもそれ以上の関心を払うことなく、女は叩き付けるようにして扉を閉めた。重い木の扉があまりに勢いよく木枠にぶつかるので木枠の方が壊れるのではないかと思った。


「……何だってんだ」


 荒っぽい兵士たちには慣れているが、彼らとはまた一味違った荒れ方をしている女だった。


「躾が行き届いていなくてごめんなさい」

「そんなことはいいが」


 少女が俯きながら窓辺へ戻って来る。両腕に抱えた浅紫の長胴衣を広げ、少女は裾のあたりを確かめているようだった。


「あっ」


 少女が小さく声を上げる。

 そこには雪華を象ったような文様が金糸と銀糸で刺繍されていた。だが一部がほつれ、糸が無残に飛び出していたのだ。


「直してくれるように頼んだのに」

「刺繍が苦手な女中なんだな」


 侍女はいないのだろうか。ジャデム家の令嬢ならば下働きの女中でなく、身の回りの世話をする侍女や話し相手をつとめる専用の女友達が雇われているはずだが。

 頼りになる侍女が今留守にしていて、と少女は言い訳をするように口早に言った。

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