6.そんなこともできないの?(2)
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
テッサーロの街は西側が海に面した立地にあり、四方をぐるりと市囲壁で囲まれている。市囲壁には当然、いくつかの門が設けられている。そのうち、ザネッティ家の受け持ちとなった南西の市壁門は海からもっとも近い門だった。
海風に髪を煽られながら、ルキシスは市囲壁を見上げた。ぎらつく太陽の日差しが眩しく、目に痛く、眉の上に手をかざしてもまだ視界が白くなる。
(存外高い)
壁は、人間の身の丈七、八人分程度か。場所によって多少高さに差はあるが、全体的に高い方だ。厚みはあまりない。歩廊はひとがすれ違うのが難しい程度の幅しかなさそうだ。
門自体は大した大きさではなかった。大型の馬車がようやく一台通り抜けられるくらいだ。今は木の扉で鎖され、恐らくは内側から鉄の板を渡して補強されていることだろう。さすがにこの門扉は重厚そうだった。力任せに開かせるには、正直に言ってもう少し人手が欲しいところだった。
とはいえ全体的な所感を述べるならば、テッサーロの街の守りは大したことはなかった。正規兵も乏しいのだろう、見張りも常駐せず、時折市囲壁の上の歩廊を明らかに素人と分かる足取りの男がよたよたと歩いているくらいだ。彼らは当然ルキシスたちに気付いているだろうが、弓が届くほどには近付かったのでこれといって手出しされることもなかった。それに素人が弓を引いたところで、どうせそんなもの大して前に飛びもしない。
『どう思うか?』
栗毛の馬に跨ったフラヴィオが隣にいるルキシスを振り返って訊いた。ルキシスも似たような栗毛の馬を借りていたが、フラヴィオの馬は牡馬で、ルキシスの馬は牝馬だった。
『わたしの意見ですか? それとも彼らの意見を?』
『おまえの意見を』
『内側から開かせる方が簡単そうです』
どういう意味か、と少年は幾分目を見開いてみせた。
『市囲壁を登ります。歩廊から塔の内部に入って、地上に降ります。門の周辺の敵を排除して門を開きます』
市囲壁は二重三重の構造ではなく一重にしか巡らされていない。それに、堀もない。
『そんなふうに簡単にいくのか?』
『まあ、口で言うほどには簡単ではないでしょうが』
『何故正面から門を開かせない?』
『何か撒いてます』
ルキシスは手で市壁門の周辺を指し示した。
テッサーロの街は硬い岩盤の上に土が堆積した地層となっている。海に面した方は南側が切り立った断崖となっていて、北に向かうにつれて高さがなくなり、そこが港となっているようだ。ここから視認できるのは切り立った断崖の地形だけだが。
(でも、崖自体は大した高さじゃないな)
登れる。そう思った。
『何を撒いているんだ?』
乾いた土が市囲壁の外に広がっている土地柄である。しかし目的の門の周辺だけが妙に黒々として――ぬかるんでいるというのを通り越して、ぐちゃぐちゃの沼地のようになっている。
「何を撒いてると思う?」
フラヴィオにはすぐには答えず、ルキシスは男たちに訊いた。海水だろうという答えが返ってきて、その見解は一致していた。そしてそれを伝えると、フラヴィオは不快げに眉をひそめた。
『塩水など撒いたら植物が育たなくなる』
『そうですね。このあたりの植生は塩には強いでしょうが、それでも限度がある』
それは覚悟の上ということなのだろう。撒かれている海水の量は相当なもののようだった。堀の代わりのつもりか。あれだけ水分を含んでいれば人も馬も足を取られる。しかも海水など無限に等しくあるのだから、運ぶ手間さえ度外視すればぎらつく太陽の元でもいくらでもこの場に沼地を作り出すことができる。
「落とし穴があったりして」
沼地に見せかけて、実は下が落とし穴になっている。落とし穴には逆さにした槍だの木の杭だのが設置されていて、哀れな犠牲者を血祭りに上げるのだ。
「嫌なこと言うね、リリ」
そういう作戦は、実を言えばルキシスの好むところだった。主に兵力の劣る時などに用いる。今までそれでずいぶんと勝利を収めてきた。
「今ならまだ確かめられるだろ。おまえ、行ってくれば?」
「弓が飛んでくるじゃん」
「どうせ当たらないって」
「おれが行くよ」
ヨルクが傍らの部下に合図をして、数人連れだって馬を進めていった。
「落とし穴が掘れるほどこの辺の土の地層は深いと思う?」
ギルウィルドが珍しく真面目なことを訊いてきた。
「あまり思っていない。でもこの地域のことに詳しいわけじゃないから断言はできない。念のため確かめた方が――」
と言っているところで、門の上部の歩廊に人影が見えた。数人がかりで巨大な甕を運んでいる。
「おーおーおー、撒いてるなあ」
その甕を器具に設置して、市囲壁の上から中身をぶちまけたのが見えた。海水だろう。これが実際の戦闘の時には熱した油に変わるのだろうが。兵力が乏しいなら乏しいなりに工夫を凝らしている。
「ご苦労なことだな」
ギルウィルドがうんざりした口調で呟いた。
「こんなにぬかるんでいたらエルが汚れてしまう。可哀想だ」
「軍馬はそれが仕事」
本物の堀と違って、ただ足元がぬかるんでいるだけだ。爪先や足の甲くらいまでは沈むだろうが、腰や首まで泥につかるわけではない。それでも足元の悪さはそのまま戦力の鈍さにつながる。破城槌の代わりに丸太を手配しているとヨルクから聞いているが、その丸太をぶつける破壊力だって半減してしまう。
市囲壁近くまで馬を進めていたヨルクたちは手早く検分を終えて戻ってきた。彼らが検分している間、時々思い出したように弓や石つぶてが飛んできてはいたが、案の定誰かに当たることはなかったようだった。
「落とし穴はなさそうだ。だが、足場は思ったより悪い。相当量の水分を含んでいて、これでは騎馬の機動力は発揮できない。門を開かせるのには時間がかかると思う」
ヨルクが淡々とそう言うのを、ルキシスは訳してフラヴィオに伝えた。
ヨルクは言わなかったが、こうなると歩兵の損耗も増えるだろう。もう少し人数がほしいところだった。
ヨルクもギルウィルドも、ヨルクの仲間たちも皆、面白くはないような顔をしていた。それを察してフラヴィオもどこか沈鬱な面持ちだった。
「――登れば?」
一応言うだけ言ってやるか。そう思って口を挟むと、一同の視線が突き刺さった。
「あの市囲壁を?」
「梯子はないのか?」
ヨルクが首を横に振る。
「あの高さは」
確かにこのテッサーロの街の市囲壁は一般の都市と比較して高い方だ。対応できる梯子がなくても仕方がない。
「途中まででもいいだろ」
あとは手足を使って登ればよい。鉤爪などの補助具も、あるなら使えばよい。だがそういう戦法を取るにはいささか人数が心許ないのも理解はできた。
「じゃああっちは」
ルキシスは断崖の方を指差した。全員がその指の先を見た。
今いる場所から地続きでもある断崖は上部が少し反り返っており、要するにねずみ返しの形になっていた。その断崖の周縁、崖の断面をそのまま上に延長するような形で市囲壁が巡らされている。壁の外は空。下には青い海。
断崖という天然の守りがあるからだろう。その辺りの壁は他よりも少し低くなっていた。その上、崩れかかったような箇所も散見される。修繕が間に合わないのか、断崖に守られているからと油断しているのか。後者のような気配はしていた。見ていればさっきから、歩廊の上を時々思い出したように見張りが哨戒しているが、断崖沿いの辺りに達する前に引き返して、端までは回っていないようなのだ。もしかしたらここから見える以上に壁の崩壊が進んでいて、歩廊を進むのにも危険が伴うのかもしれない。いずれにせよあの一角の綻びは越えやすい弱みに見えた。
「ルキシスさん、ここから断崖の方に回るのは無理がある」
「それは上から行くからだろ。海からなら行けるはずだ」
地上からは確かに無理だ。周囲に身を隠す場所がなく歩廊からも側防塔からも見つけられやすいし、そもそも取りつく足場がない。崖っぷちに沿うように、そのまま壁が突き立てられているのだから。
「海から……って、断崖を登るってことか?」
ヨルクとギルウィルドが顔を見合わせた。そんなに変なことを言っただろうか。




