2.はたらくふたりとお水とごはん(9)
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
彼の食が進んでいないことに気付いたのは、皿が空になる速度の違いがあまりに目立ったからだった。おおよそ半々に分けたうち、ルキシスがその半ばまで食べ進めても、ギルウィルドは更にその半分も食べていない。
「――体調が優れないのか?」
ちまちまちまちま、雀の仔か小娘みたいに少しずつしか食べていない。大体が傭兵なんてやっている輩は他で食い詰めて、でも戦場に行けば腹いっぱい食べられるから、それでやっているようなものだ。逆に言えば兵隊に腹いっぱい食べさせられない軍は早晩瓦解する。それはさておき、そういうわけで兵隊というものは当然早食いに大食いで、ルキシスも女にしてはずいぶん食べる方だった。それで背が伸びなかったのは不思議だったが。
「え? いや、そんなことはないけど」
「日中、ちゃんと水分をとったのか? 酒が嫌で何も飲んでないんじゃないだろうな。後はずっと日向にいたとか」
「水は諦めて林檎酒飲んでたよ。それにさすがに暑いからなるべく日陰とか風通しのいいところを選んで歩いてたけど」
どうしたのか、とギルウィルドは戸惑ったような顔をする。
「全然食べてないじゃないか」
そう具体的に指摘すると、彼は虚を突かれたようにルキシスを見た。
日の長い地域である。夜と言える時刻になってもまだ辺りはうっすらと明るく、だが周囲に数多く焚かれた篝火がなければ表情のささやかなところまでは見分けられない。
「口に合わないのか?」
こんなに美味しいのに。そうは思うがもしかしたら、北国の人間の味覚には合わないのかもしれない。
「いや。そんなことないよ。ただ、食べるの遅いんだよね」
食に執着がないのか。変わった男である。戦場でそういうことを言っていると、普通は横取りされそうなものだが。
「食べたかったら取っていいよ」
彼の皿から、ということだろう。そこまで意地汚くはない。残すというのならばともかくとしても。
「時間はあるからゆっくり食べれば」
いつもこんな感じだっただろうか。同じ陣営について同じ鍋から食事をとったこともあるだろうが、特に関心もないので気にしたことがなかった。しばらく前、とある富裕な家に共に厄介になっていたことがあったが、そこではどうだったか。そもそもが上流階級らしく食事に長い時間をかける家だったので、彼が今と同じで小娘のようにちまちま食べ進めていたところで特に気が付かなかったかもしれない。
「……エルミューダの様子はもう見に行ったか?」
話題を変えようと思ってそう訊いた。
いや、とギルウィルドが首を横に振る。
「薄情なご主人様だな。あれはいい馬だ。日中、機嫌よく過ごしていた。そろそろわたしの顔を覚えてきたと思う。わたしが行くと近くに来てくれる」
持ち主と違って可愛い馬だった。目がくりくりとしてつぶらで、額には曲星と呼ばれる逆三日月形の白い模様があり、鼻先は少し桃色に色付いている。
「名付け親に懐いてるんだろう」
「年は?」
「四歳だって聞いてる」
馬の年齢は数えというのが通例だ。若い馬であるというのは分かっていたが、それにしても四歳の若さであそこまで落ち着いているのは得難い気質である。他の馬に威嚇をされても泰然として相手にしていなかった。葦毛は気難しいとよく言うが、そんなものは迷信だろう。
「この先まだからだが大きくなるだろうな」
足元には気をつけてやれよ、と言い添えた。エルミューダはわりあいに馬体が大きい。それでまだ四歳なのだから、この先もっと大きくなるはずだ。そういう馬は足元が弱い傾向がある。
「ずいぶん気に入ってるね」
「ご主人様と違って素直で可愛い」
林檎をねだって鼻先を押し付けてくる仕草など言葉にできないほど可愛らしい。噛みついてきたりすることもなく、優しい性格をしている。
「きみも機嫌がよさそうだ」
皮肉だろうか。そうも思って様子を窺ったが、違ったらしい。ギルウィルドは相変わらずちまちまとスプーンを動かしながら、目が合うと少し微笑んでみせた。
「きみこそ日中どうだったんだ。あの若君とずいぶん打ち解けていて驚いた」
「少し話を聞いた」
ギルウィルドの水を蒸留してやったり、合間合間にエルミューダの様子を見に行ってやったりしながら。
「疑問に思っていたことがあるんだ」
何を、とギルウィルドが眼差しだけで問うてくる。
「あの女、とフラヴィオ様の言っていた――つまり父親の後妻だな。彼女の手が回っていて募兵が上手くいかない。だがそのわりに羽振りがよすぎないか? 我らが陣営は」
広げられた料理の数々だけを見てもそれは明らかだ。更に言えば装飾品に彩られたフラヴィオの幕屋も豪奢であり、連れている使用人の数もそれなりに十分と言える。後妻の手は使用人たちには回っていないのだろうか。それは敢えてのことなのか。あるいは、回すことができないということなのか。
「きみの言うとおりだ」
「今から話すこと、よそに漏らすなよ」
当たり前だ、とギルウィルドが頷くのを待ってからルキシスは昼間収集した情報を頭の中で整理しつつ話し始めた。
フラヴィオの生母はザネッティ家の正妻であり嫡子であるフラヴィオを挙げたが、生来虚弱で十年以上前に流行り病をこじらせて亡くなったという。当時フラヴィオのほかにザネッティ家に子どもはなく、たったひとりの跡取り息子ということでずいぶん大切に、言い換えれば我が儘に育てられたようだった。
それでも、好敵手がいないうちはどうにでもなった。ザネッティ家は名門で、少しばかり当主がぼんくらでも先祖代々の莫大な資産と長年積み重ねてきた市民からの信頼でいくらでも立ちゆくことのできそうな家で、都市自体ものんびりとしておおらかで、その一方で内部の連帯感も強い気風であるらしい――と、これはルキシスがフラヴィオの話から受けた印象である。
何につけ鷹揚に、街に住まう人々から愛されて育った御曹司なのだ。何ひとつ、思いどおりにならないことなどなかっただろう。
子どもがひとりでは心許ないという声を受けてフラヴィオの父が後妻を迎えたのは今から八年ほど前のことだったそうだ。
当初、フラヴィオはやって来た後妻を姉のように慕っていたらしい。若く美しく優しい後妻もフラヴィオのことを可愛がっていた。この縁組はザネッティ家にとって最良の選択であったと、初めのうちは誰しもが思っていたようだ。
ところが後妻の方に子どもが生まれると風向きが変わった。初めに後妻が生んだのは女児であったのでそれでもまだぎりぎりの均衡が保たれていた。だが次に生まれたのは男児だった。決定的だった。
ありがちなお家騒動である。後妻はフラヴィオを廃し、自分の生んだ子を嫡子の座に据えたがった。後妻の生家もそれを後押しした。当然、前妻の生家はそれに反発し、強烈にフラヴィオを守り立てた。後妻にしろ前妻にしろ、共にザネッティ家に引けを取らない名家なのだという。ザネッティ家の当主は板挟みになり、相当に苦悩したようだ。しかしいずれにせよ、これまでたったひとりの御曹司として街ぐるみで大切に育んできた長男を、何の理由もなく廃せるものではない。長幼の順を、よくよく後妻とその生家へ言い含めて一家を治めていた――らしい。少なくとも、最初のうちは。
だが次第に当主の姿勢も変わってきた。亡くなった妻よりも今生きている妻。思い出や夢の中でしか会えない妻よりも、毎日直に接することのできる妻の言葉に強く影響を受けるようになっていった。
しかも悪いことに、どうにも後妻の産んだ次男は出来が良かったらしい。長男よりも。
フラヴィオは言葉を濁していたが、三歳にしてソヴィーノ語の読み書きをこなし、五歳の今は古クヴェリ語も流暢に話すらしい。
本当だろうか、といささか疑う思いもあったが、思い起こせばルキシスも五歳の時には島の言葉と宮廷リーズ語の両方を話していたから、教育次第ではそういうこともあるだろう。逆に言えばフラヴィオはそこまでの教育を受けることができなかった。後妻の側が、実子を嫡子に据えたいと全力を尽くした結果とも言える。フラヴィオの実母の生家は危機感を抱くのが遅すぎたのだ。後妻の方が台頭してからフラヴィオを後押ししても過ぎた時間は戻らない。都市全体が元来おおらかな風土だったというのもここでは悪い方に作用したのかもしれない。
実母の生家の後押しも空しく、徐々に形勢は後妻の方へ傾いていったという。
しかしさほど出来が良くないとはいえ、フラヴィオには廃嫡するほどの瑕疵がない。
そこにこの戦争が始まった。




