2.森の中の戦闘(4)
男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
1日あたり1、2話くらい更新します。
一体いつから見られていたのか。こんな子どもに近付かれていたことに気付かなかったなんて。剣を交えていたのは決して長い時間ではなかった。
若い娘、というよりは幼い小娘といった少女だった。年の頃は十二、三くらいか。
ルキシスはますます眉をひそめた。
このような田舎の小娘にしてはやたらと身なりが良い。豪農の娘、というよりも十段も百段も上だ。長胴衣は珍しい浅紫色で、襟ぐりや裾には金糸銀糸の縫い取りが細やかだ。よく見れば胴衣の下に着る中着も純白で、こんな混じりけのない白は到底庶民の手の届くものではない。
だが一番目に付くのは金襴の飾り帯だ。正確にはその飾り帯に留められた巨大なエメラルド。赤ん坊の拳くらいある。こんなものは王侯貴族でもそうそう持ち合わせてはいまい。大陸の覇者たる皇帝の王冠を飾れるほどではないかと思う。ルキシスには宝飾品を愛でる趣味はないが、それでも束の間目を奪われるほどの代物だった。
しかもその飾り帯を、少女は腰に巻いていたのではなかった。地面についた手の中に布地の一端を握り込んでいたのだ。当然、帯の大部分は手に余り、その繊細ながら堂々たる細工に似つかわしくなく無残に大地の上に投げ出されている。
それは神話の中で美しい姫君があたら若い命を散らす時、その長い金髪を乱して地面に倒れ伏す姿を想起させた。
こんな場所には場違いな少女の装い。エメラルド。
「……なるほど」
上等な身なりをしている。だが長胴衣の裾は土に汚れ、中着のあちこちにも不自然な傷が見えた。それに何より、フリルの胸元がひどく乱れている。まるで無理矢理引っ張って引き裂こうとしたかのように。
「……こ、ここで、ここで何をしているのですか」
喉の奥から引き絞るような声で少女が言った。嵐のような恐慌は確かにしばし彼女を打ちのめしたのだろう。だが早くも理知を取り戻しかけている。
そのことにルキシスは感心した。そしていくばくか、胸が軋むような心地がした。
なるべくなら子どもを怖がらせたくない。子どもの前で殺しもしたくない。
やはりそれは本心だった。必ずしも履行できるかどうかは別として。
「なにも?」
作り笑いを浮かべようとして失敗した。少女はルキシスの背後に視線を向けた。
「うそ! そこのあなた、女性を相手に決闘するなんてどういうこと? 決闘なら代理の騎士を立てて行うのが筋ではないのですか?」
決闘ではない。そんな御大層なものでは。
それにしても、随分と理屈立った口のきき方をする。こんなことを言い出すとは想定外だった。
「えー、そのお姐さんは賞金首だから別にいいんだよ」
長剣を鞘に納めたギルウィルドが、ルキシスから慎重に距離を取りつつも少しだけ近付いてくる。
肩越しに睨みつけると彼は両手をひらひらと振った。
「賞金首……」
少女が小首を傾げた。
「意に染まぬ婚姻を強いられて逃げ回っていただけだ」
一のことを百くらい大げさに、ついでに自分にとって不都合なことは最初からなかったかのごとく、ルキシスは述べた。
「結婚」
少女が息をのんだ。そろそろ縁談も近くなる年頃の少女にしてみれば身近な問題に感じられたのかもしれない。
「姐さん、それはちょっと無理が」
「おまえに姐さんなどと呼ばれる筋合いはない」
「リリ」
ひらひらと振られていた手が伸びてくる。ルキシスの腕を掴んで引き寄せる。近い。まるで娼婦を口説く時のように。服の中に隠し持った短剣で喉を突いてやることもできたが――子どもの前だ。
「視線を動かさないで答えて」
ギルウィルドが後ろから耳元で囁く。それこそ娼婦との睦みごとの距離だ。他の誰にも聞かれないように密やかに。
ふと嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔を刺激した。血の匂いだ。
思わず口元が笑いそうになって慌ててそれを抑えた。先ほどこの男のわき腹を刺してやった時の傷だ。愛剣はそう深くは突き刺さらず手応えもよくはなかったが、剣が抜け落ちたことで却って出血が増えたのだろう。致命傷とまでは言えないにせよ、よい気味だ。
「見た? あの帯」
「近い。殺すぞ」
「おれはヴェーヌ伯からこっちのご令嬢に乗り換える」
「雇い主を裏切るならばれないようにやらないと傭兵としてはお粗末だな」
「上手くやる。きみも協力しろ。報酬は山分けだ」
この少女には揉めごとの気配がする。そして揉めごとのある場所では金も動く。
確かにこのエメラルドはヴィング金貨百枚どころの話ではない。千枚でもまだ足りないだろう。そんなものを小娘が平気で持ち歩ける環境となると、どれだけ羽振りの良い家なのか。
金になれば何でもいい、というのは傭兵の常である。それにしても変わり身の早い男だ。
(だが)
多分この男は娘か娘の家から金をせしめた後、ルキシスをヴェーヌ伯に突き出し、娘にまつわる金、ヴェーヌ伯からの褒賞金、全てを独り占めする気だろう。傭兵というのは往々にしてそういうものである。手傷を負った今、時間を稼いで仕切り直したいという思惑もあるのかもしれない。
「おまえひとりでやれ」
服の中の短剣を確かめる。気配を察してギルウィルドがひらりと身をかわす。
「やめて!」
少女が悲鳴じみた声を上げる。
「お姉さんに乱暴しないで!」
「待ってよ」
ギルウィルドが両手を上げた。困ったような愛想笑いを浮かべている。
「今乱暴されそうになってたのはどう見てもお兄さんの方だよね? よく見てよ。女の人だからって無条件にそっちの味方にばっかりならないで――」
「ここは我がジャデム家の領地です。ここでは乱暴も、決闘も許しません!」
高らかに娘が宣言した。
(――なるほど)
思ったとおりだ。
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