2.はたらくふたりとお水とごはん(7) 破戒僧の語るところ
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
一日足を棒にして動き回った後、夕刻になってようやく宿営地に戻って来ると、何故か自分の天幕の周りに所狭しと大量の鍋と竈が配置されていた。手拭いくらいの大きさの布もやたらと散乱している。炊き出しかと見紛う風景だった。
「……何やってんの」
竈は即席で土を盛って作ったもののようだった。鍋の中身はと見ると、濡れてはいるもののどれもこれも空である。もう洗った後ということなのか。それにしても一体何なのか。
「今片付けているところだ」
と、竈のひとつの前に屈んでいたルキシスが鍋を抱えて立ち上がった。その傍らには今回の雇用主でもある貴族の少年の姿もあった。彼はどうにも機嫌が良さそうに見えた。
一日の間に、ふたりはずいぶんと距離を縮めたらしい。打ち解けているように見える。
意外にも、ルキシスは人たらしだ。つい先日も知り合ったばかりの少女からたやすく信頼を得ていたし、アラムたちにしたって随分と彼女に心を砕いている。ぶっきらぼうの愛想無しでいつも機嫌が悪くてすぐ怒るし暴力的だし一匹狼の気質だし、どう考えてもとっつきづらい類の人間と見受けられるのに、実際には彼女のそばには誰かほかの人間の姿があることが多い。
得な性分だ。
女性だから、ということも多少はあるのかもしれないが、それだけではないのだろう。彼女の愛すべき特質だった。どういうわけでか、ひとに好かれる。
「首尾はどうだった? ご主人様への報告は?」
鍋を抱きかかえたまま、ルキシスは軽く首を傾けてギルウィルドにそう問うた。
「……残念ながら」
朝に伝えたとおり、口入屋やその類でなく、兵団を直接口説いて回った。知り合いもいたので望みを託して自分なりに努力はしたが、こちらが契約したいと思うような傭兵や兵団は全て売約済みだった。選り好みしていられる状況ではないが、それでも限度というものがある。
ルキシスは軽く眉を上げ、何かソヴィーノ語でフラヴィオ少年に言っている。残念ながらというその一言から、適当に言ってくれているのだろうと思う。余計なことも言っているかもしれないが。
少年は重々しく頷いた。彼の豊かな金髪に夕陽の残滓が反射した。
ふと思う。この少年は頼りないし、ろくな後継ぎ教育も受けていなそうには見えるものの貴族としての矜持はありそうだ。当然の教養として、古クヴェリ語くらいは話せるのではないか。
「ねえリリ、彼、古クヴェリ語はどうなのかな?」
「おまえ、わたしを失職させようとしてるのか」
確かに彼が古クヴェリ語に堪能であればソヴィーノ語の通訳は必要なくなるのでルキシスの役目も消滅する。言ってから気が付いた。成果のない仕事からくる疲労のせいでいささか頭が鈍っていたのかもしれない。ついでに、よく考えたらあの老騎士が古クヴェリ語とソヴィーノ語を訳して伝えてくれればやはり通訳は必要ないのだという事実に気付いてしまったが、気付かなかったことにした。彼女の仕事の邪魔をする気はない。そんなことをしたらまた恨まれる。
ルキシスは一応、少年に訊いてくれているようだった。古クヴェリ語、に相当するらしい単語がかろうじて耳を掠めた。
だがその言葉を耳にした途端、少年の頬が紅潮した。彼は気まずげに唇を引き結び、地面の方へ視線を向けた。
その仕草だけで理解できた。彼は古クヴェリ語が堪能ではないらしい。それは本人の努力の問題か、先妻の子どもということで教育を蔑ろにされているせいか。
(爺さんが教えてやりゃいいんだ)
むしろ、教えていないとも思えない。それを考慮すると、本人の努力の問題なのかもしれない。
ルキシスは何か別のことを少年に向かって話しかけている様子だった。やがてフラヴィオが進み出てきて、ギルウィルドに向かって手にしていた陶器の壺を差し出した。
「おまえにと仰せだ」
一体何だろう。壺はそう大きなものではなく、男ならば片手で掴めるくらいのものだった。
ひとまず受け取る。中には液体が入っているようで、壺の傾きに合わせて中身がたぷんと音を立てて揺れた。
夕食の差し入れをしてくれるという話だったが、まさかこれだろうか。
怪訝に思っていると、フラヴィオがソヴィーノ語で何かを言った。早口だったので一言も聞き取れなかった。
「なに?」
「水を」
「水?」
「飲んでみろ」
壺の封を開け、直接縁に口をつけて一口分を含んだ。
――真水だ。
「どうしたの、これ」
真水の出る井戸でも掘り当てたのだろうか。テッサーロの街を包囲する軍団のために突貫で掘られた簡易井戸からは塩分の強い水しか出なかったはずだが。
ルキシスがまた少年に向かって何か言った。少年もそれに対して答えている。
「おまえが水に難儀していると聞き、作ったと」
「作った?」
酒は好まないので水の確保に難儀していたのは事実だが、彼らの言葉はまったく要領を得ない。水を作るなど、神々の領域である。
「彼女に教わって――あ、彼女というのはわたしのことだが」
「いや、分かるけど」
「下戸のおまえのためにご主人様がわざわざ水を作ってくださったのにお礼の言葉もないのか?」
「あ――ああ、いや、ご厚情痛み入ります。ありがたく頂戴します」
なりゆきがよく分からなかったが、ギルウィルドは雇い主に向かって礼を取った。するとフラヴィオは少しはにかんだような微笑みを見せた。
貴族らしい威厳を装って高圧的な態度をとっている時より、こうしている方が彼は少し大人びて見えた。虚勢を張っているという感がなくなるからだろう。取り繕おうとすればするだけ浅薄さばかりが際立つのは世の常だ。
「鍋を片付けたら夕食を差し入れるから、おまえはもう自分の天幕に下がってよいとのことだ」
まだ鍋を抱えたままのルキシスがフラヴィオの言葉を訳してそう言った。
「ああ……、うん。水を作ったって?」
「それだけの量を作るのは大変だった」
それはルキシス自身の言葉なのだろう。彼女が彼に教えたということなので。
「どうやって」
「以前、船乗りに教わったんだ。船が難破して無人島にでも流れ着いた時に真水を作る方法」
ルキシスが周囲の鍋や竈を顎で示しながら言った。
「蒸留した」
なるほど。そういうことか。水を作った、というのもあながち間違いではなかった。
塩分を含んだ水でも火を起こして蒸気にして、その蒸気を冷やして集めれば概ね真水になる。だが大量の燃料が必要になるし、手間もかかる。その費用と手間に比べて得られる水の量は極端に少ないため、まず庶民が真水を得る手段として日常的に用いることができる方法ではなかった。これだけ大量の竈に同時に火を起こしていたとすると、相当な木材が必要になっただろうし、そもそもこれほどの数の鍋は素封家の家でなければ所有していない。ザネッティ家の財力あっての貴重な真水ということのようだった。
「なんできみが?」
甚だ疑問である。どうしてわざわざそのような手間をかけてまで真水を用意してくれたのだろう。
「わたしじゃなくてご主人様に感謝してほしいものだな」
ルキシスは、彼女自身がご主人様であるかのように傲岸な態度で顎をしゃくった。
「……お心遣い、心より感謝いたします。一層の精進をもってお仕えすることを神々にかけて誓います」
恭しく再び礼を取った。傭兵が契約をする時のありきたりな宣誓の言葉を少し変えただけのものだったが、フラヴィオ少年は嬉しそうに頷いた。
なお、今後も水のことは心配せず職務に励んでほしいとのことだった。




