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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵のお小遣い稼ぎ
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1.女傭兵の新しいお仕事(7)

今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

『おい女、勝手なことを言うな。どうしておまえが決めるんだ』


 フラヴィオ少年が苛々と指先で机を叩きながら言った。

 面倒なガキである。何もできやしないくせに。

 と、そう思っているのを悟られないように、ルキシスは最大限穏やかに見えるよう表情を緩めた。


『若君には本陣で全体の指揮を執るお役目がございましょう』


 フラヴィオは黙り込んだ。ジャコモも黙考している。


『募兵から部隊編成まで、その者に申し付けるのがよろしいかと』

『――若君、もはや我らにはその手段しか残されていないかと存じまする』


 やがてジャコモが重々しく言った。


『ジャコモ、何故誇り高きザネッティ家が傭兵風情に頼らねばならないんだ』

『それは……』


 一向に話が進まない。とっくに飽きているギルウィルドはもちろんだが、小遣い欲しさのルキシスでさえさすがに辟易してくる。


「ねえ、おれもう帰っていい?」


 まずい。飽きているどころか完全に興味を失っている。このままでは小遣いが。


『若君』


 ルキシスはなけなしの温厚さをかなぐり捨て、ずかずかと少年の正面まで進み出た。


『な……なんだ、女のくせに』


 少年と机を挟んで向かい合う。どっしりと重厚な細工の施された机は彼の腰掛ける椅子同様黒檀で、少々の衝撃で割れたりはしないだろう。

 その天板に、ルキシスは思いきり拳を叩きつけた。先ほどこの少年がよくそうしていたように。だがそれよりは数倍の威力をもって。

 ドン、と鈍い音が空気を震わせた。骨まで響く重々しさだった。

 もちろん、何の意味もなくルキシスは拳を痛めつけたりしない。全ては小遣いのためである。


『それで若君は、実際、何人の兵隊を集められたわけですか』


 少年らしい丸い頬が瞬時に紅潮する。


『無礼者!』

『このギルウィルドを引っ張って来たのだってアマティーニ卿でしょう』


 若造に蹴り飛ばされながらも決してその手を放さなかった老騎士の粘り勝ちである。


『無礼討ちにしろ!』


 少年がジャコモに命じた。老騎士は弱りきった顔で自らの主とルキシスとを交互に見ている。


『できるものならそうしてみろ』

『ジャコモ!』

『自分の手でそれくらいもできないのか、軟弱者』


 椅子を蹴り立てて少年が立ち上がった。熟れた林檎と真っ向勝負できるくらいに顔が赤くなっている。腰に差しているのは柄も鞘も螺鈿で飾られた儀典用の細剣だ。とはいえ刃の部分は本物である。彼はそれを抜き放ち、ルキシスに向かって斬りかかって来た。


 おやおや、というようにようやくギルウィルドの関心が戻ってきた。もちろん彼は、どちらにも肩入れしたりしない。

 向けられた切っ先を足先で蹴り飛ばす。少年は均衡を崩してルキシスの右側に倒れ込んだ。分厚い絨毯が敷かれているので擦り傷ひとつ負うこともあるまい。剣は彼の手から離れ、五、六歩ほどの距離まで転がっていった。

 その剣先を咄嗟に踏みつけてやろうかとも思ったが、さすがにそれはやりすぎだろう。


『わたしは一歩も動いていませんよ』


 わずかに体の向きを変えただけだ。


『女ひとり無礼討ちにできないんじゃ、戦場で敵を倒すなんてできっこないですね』

『ジャコモ!』


 這いつくばったまま、フラヴィオがお付きの騎士を呼び立てる。


『斬り捨てろ!』


 老騎士は動かない。少年に駆け寄って助け起こすかとも思ったが、それもしなかった。


『あなたにできないなら、人にやらせるしかないでしょう』


 ルキシスはため息をついた。


『それが指揮官の仕事ってもんです』

『それくらい分かっている!』

「リリ、あんまりやるとまたお尋ね者になっちゃうよ」


 その時はその時である。ほとぼりが冷めるまでどこか別の場所に行けばよい。アラムには拳骨を食らうだろうが。


『この男はあなたの手足です』


 ギルウィルドを顎で示す。


『手足は大事にしなければ、誰もあなたについてこない』


 この男の場合は金さえもらえればそれに見合うだけの仕事はするだろうが、隙を見せれば裏切ったり、余計に金を搾り取ろうと策を弄したりもする。この少年と実直そうな老騎士では手玉に取られかねない。今のところはギルウィルドの方にそこまでの関心さえないだけだ。

 もちろんルキシスとしては何だってよいのだ。ちょいと小遣いさえ手に入れば。

 それでもわざわざこうして手も口も出したのは、さっさと話を進めたいからだ。


『傭兵が気に食わなくても、せめて目の前にいる間くらいは彼らを重んじる振りを』


 もちろん、傭兵など貴族たちからすれば人のうちにも入らない。牛馬にも劣る扱いを受けることには慣れているし、いちいち腹を立てたりもしない。

 ――とは言え、だ。


『兵隊の士気の管理は指揮官にとってもっとも重要な仕事です』


 士気ひとつで有利も不利もあっさりとひっくり返る。そんな戦場を星の数ほど見てきた。


『若君、この騎士は七年前にダラス平原でそれがしを捕虜に取りました。ダラス平原の会戦のことは何度もお聞かせしましたな』

『聞いているが』


 フラヴィオは不服さを隠そうともしない膨れ面で、それでも老騎士の言葉には素直に頷いた。


『その時この騎士は今の若君より若かったかと思いますが、立派な騎士でした』

『今のぼくよりも?』

「ちょ、ちょっとリリ、今ダラス平原って聞こえた気がするんだけど」

「お小遣いさん、黙ってて」


 よいところなのである。


『平原での会戦でありますから、互いに騎馬を横一直線に広げた陣形で、騎士同士、力と力の真っ向勝負でした』


 ということは、重装騎兵か。つまり正規の騎士である。

 今は重装騎兵としての装備は備えていないようだが、とギルウィルドの姿を横目に見やる。

 この男が神殿に籍を置く神官であるのは知っていた。また、剣の流儀からしても明らかに師について学んだ形跡が窺える。それらのことから神殿騎士団の出身かとも思っていたが、本人が言うには騎士に叙されたことはないとか何とか。まあ、ルキシスにとってはどうでもよいことだが。


「リリ」

「おまえがわたしの小遣いでいる間は優しくしてやるから黙ってろ」

「きみのどこに優しさが?」


 生意気な若造である。小遣いとしての任を終えたら締めてやろうと思う。


『若君もご承知でしょう。その時の敗北でそれがしは騎士団を引退しました』

『おまえほどの騎士が勿体ないことだ』

『勝敗は時の運……とはいえ、それがしも老いました』


 老騎士は遠い目をする。フラヴィオ少年もどこかしんみりとしている。

 あれ、とルキシスは思った。話を先に進めたかったのに、これでは思い出話の時間ではないか。当てが外れたか。

 しかしそれは杞憂に終わった。


『あれほどの騎士が傭兵に身を落としているのは残念ではありますが、いずれにせよこれほどの俊傑を抱えない手はございません』


 褒め過ぎだろう。俊傑などという単語、人生で何度聞くだろうか。


『ルキシス殿の申すとおり、率いる者であればどれほど不利な状況にあっても配下の者を鼓舞し、輝かしい勝利を勝ち取らねばなりませぬ』


 ルキシスの口にした言葉とは少しばかり毛色が違う気もしたが、大方方向性は合っている気もしないでもないのでひとまず成り行きを見守る。


『そのためには清も濁も飲み合わせ、その上で正々堂々と騎士として恥じぬ振る舞いをしなければなりません。それこそが騎士の誉れでもありまする。若君、ご決断を』


 フラヴィオはしばし俯いた。

 その後ゆっくりと身を起こし、そこでようやくジャコモが飛んでいった剣を拾い上げ、主の前へ捧げ持った。


『いいだろう。その者と契約する』


 ジャコモから剣を受け取った後で、フラヴィオはギルウィルドを睨みつけながらそう言った。


「おまえと契約するって」

「いや、こっちは契約するって言ってないんだけど」

「最大限高値で売り込んでやるから」


 いつから口入屋になったんだ、とギルウィルドが苦々しげに呟いた。


「手元不如意なんだろ?」


 少しはその補填に協力しようという姐さんの厚意をありがたく受け取っておくがいい。

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