13.愚か者の話(7)
本章最終話です。
言葉もなく彼の顔を見つめた。紛れもない純粋な憎しみが燃え滾るようだった。束の間浮かんだ穏やかな心情は霧散し、混じりけのない憎悪がその貼り付けたような微笑みに凄絶な美しさを添えていた。
この男の、ここまで剥き出しにされた感情を初めて見た。
あまりひとの美醜には関心がない。区別が付かないというか。それでもギルウィルドが見栄えのする顔面だというのは何となく分かるし、女どもにいつもきゃあきゃあ言われているし、あんなに格好よかった若様より男前というのも客観的に見てたぶんそうだろうという感じがあってそう言った。
その上で今はじめて、本当に美しい男だと思った。彫刻か絵画か、何か理想化された芸術のように。
「だから死んでもらった。もしもう一度おれの前に現れたら今度はあんな楽には殺さない。苦しめて苦しめて苦しめてから死なせる」
そんなわけで親父に瓜二つだから、間違いなくあの親父の子ども。どっかの誰かの落とし胤っていうのはあり得ないね。
ギルウィルドは覗かせた激情をあっさりと微笑みの下に押し戻してそう言い、ルキシスを見つめた。いずれにせよ貼り付けたような作り物の微笑みだった。
自分には昔と変わらず鈍いところがあるが、それでも察するところがあった。
――たぶん、彼の父親は、女や子どもを手酷く虐げる類の人間だったのだろう。酒を飲んで暴れたりもしたのだろう。そして彼は、その父親と同じようになりたくないのだ。彼自身が「虐げられる子ども」だったから。
時々過敏に潔癖な反応を示すのは、きっと、恐らくは、そういう。
必要以上に詮索するつもりはなかった。それこそ、「言いたくないこと」ではないかと思う。だがそれならば何故ルキシスにそんな話をしたのか。
(秘密の交換)
そんなこと、しなくてもよいのに。
ラティアという少女の話はルキシスが勝手にしたものだ。その代価に彼が何かを差し出さなければならないなどという道理はない。秘密をさらけ出し合って、代償を支払い合わなければ対等でいられないなどと、ルキシスは思わない。だが言わずにはいられないという気持ちもまったく分からないわけでもない気がする。
ひどく心を搔き乱される夜だった。
ラティア・クロフィルダイのことを思い出したからということ以外に。
「話を元に戻すんだけど、まあそんなわけでおれの話じゃない。おれの……仕えている主人っていうか、仕えているわけじゃないんだけど、大切なひと、かなあ」
ノールの王子か誰かだろうか。そういう、心を寄せる人物がいたのか。
「……子どもが誰の血を引いているかなど、その母親にしか分からないのではないのか」
「そうなんだけど、母親の証言は当てにならない」
ならばもうお手上げではないか。子どもが本当に自分の血を引いているか疑心暗鬼に駆られる父親というものは古くから芸術の題材になるくらいありふれた話だった。そしてその誰しもが、明確な証明など得られていない。
「無理な話だって思ってる?」
「……ああ、まあ、正直に言えばそう」
そうだよねえ、と言って彼はまた笑った。
「見捨てて逃げちまおうって思ったことがないわけじゃないんだ。本音を言うとね。だけどおれが見捨てたらそいつの味方は誰もいなくなる」
おせっかいでお人好し。
その本領をそこでもどこでも、至るところで発揮しているらしい。
「だからその方法を探してるんだ」
困難な事情を抱えているらしい。神殿を追い出されたのは女犯のせい――などと言っていたが、もしかしたらそうではなくてこちらの事情が影響しているのではないか。
ギルウィルドは目を伏せた。暗くてよく分からないなりに、何か遠いものに思いを馳せるような表情だと思った。
「きみが手伝ってくれると心強いな」
本音とも思えない声だった。
それはルキシスが頼りにならないからというよりは、元よりギルウィルド本人が、血の証明などできっこないと分かっているからのように聞こえた。
「ま、気が向いたらでいいよ」
そう言って再び微笑みを向ける。
また、何か感じるところがあった。突然この男がこんなことを言い出した理由についてだ。
もっと殺したい。わたしを殺したい奴を。
そんなことを口走ったものだから、何かもう少しましな仕事を与えてやろうと思ったのではないか。殺したがってくる奴を殺すよりはやりがいがあって――生きている実感を取り戻せるような。その過程でルキシスが本当にやりたいことを見つけられるならなおよし、とまで思っているかもしれない。そこは聖職者らしく。
「わたしは血が見たい」
剣を振るいたい。殺したい。殺し足りないから。そうでないと自分がまるで死んでいるみたいだ。
「だからすぐにも戦場に戻る」
「ええー」
率直な不服の声を、ギルウィルドは上げた。
「一緒に来てくれないの?」
「行かないけど」
今の話で何故一緒に行く気になると思うのか。
「忠告するが、おまえ、そんな厄介なことに首を突っ込むのはやめておけよ。大体なんでまた自分から面倒ごとに――」
見捨てられないとか言っていたが。
自分の身が可愛ければ、非情に徹することも必要だろうに。
「一緒に来てくれるなら、詳しいことは明日話そう」
「いや、行かないから明日はないが」
「守るべきひとを守れなかった。その償いかな」
「ふーん、そう」
そこでまた沈黙が落ちた。
「……あれ、ここまで聞いておいて一緒に来てくれないの?」
「行かない」
おまえが勝手に喋ったのだろうが。そう思う。
「……ヒルシュタット語の勉強がまだ途中じゃん。続き、教えてあげるのに」
『いらない』
と、習いたてのヒルシュタット語で答えたつもりだったが、ギルウィルドは何か窺うような気配を示すだけだった。
「――あ、もしかして今のヒルシュタット語だった?」
「悪かったなあ!」
通じなかったらしい。発音が悪いのか言い回しが悪いのか、よく分からなかった。
またしばらくふたりして黙り込んだ。
明るい夜だったが、この先、月はどんどん細くなっていくはずだ。
「……ま、いいさ。ただ約束してほしい。白蹄団となるべく早く合流すると」
何故おまえとそんな約束を交わさなければならないのかと不快に思う反面、彼が自分のことを素直に心配して言っているのが分かったので無下にもしづらかった。
まったく余計なお世話だ。このお人好しめ。
三日三晩もの距離を追いかけて来て。
馬鹿馬鹿馬鹿。どこまでも甘ったるい男。
来なくてよかったのに。
自分のことだけ心配していろ。
「きみとはいずれどこかの戦場でまた会うだろう」
その時敵じゃないといいけど、とギルウィルドは憂鬱そうに付け足した。
「王の血の証明とやらを探すんじゃないのか」
「先立つものはいるからね。今までもそうやってきた」
つまり、傭兵として戦働きをして大陸中を駆け巡りながら、その方法とやらを探し続けてきたのか。何とも忙しいことだ。
「朝になったらおれは行くよ」
初めに宣言した通りだった。
「わたしは白蹄団を待つ。たぶんこのあたりを通るだろうと思うし……、何日か待って来なかったら、大回りして南東に向かうかな。いずれにせよ近場の戦場で合流できると思う」
分かった、と言ってギルウィルドは頷いた。
「また会おう」
「気が向いたらな」
ひらひらと手を振ってから、ルキシスは愛剣を抱え込んで目をつむった。木に凭れ掛かったまま眠るつもりだった。
おやすみ、とギルウィルドが言った。
この章はここで一旦完結です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
また、評価やブクマなどしてくださった方ありがとうございました! ご感想などいただけるととても嬉しいです。
ふたりのこの後の話は考えているので、書き終わったら順番にアップしていきます。もしよかったらまた見てください。




