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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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2.森の中の戦闘(2)

男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

 人間の美醜にいまいち疎いルキシスから見ても、この男の見てくれは悪くはなかった。野卑な男たちの中に入れば貴公子然として見えなくもない。そう、身のこなしにどこか傭兵らしくない洗練された気配が漂うことがあった。ルキシスも貴公子などというものをそう詳しく知っているわけではないのでそれがどういう所作から滲むものなのかはっきりと理解できているわけではないが、とにかくそういう気配がある。そしてそれを上手いこと活用してか何なのか、金もとらずにこの男を寝所に上げる娼婦たちが後を絶たないらしい。トーギィが羨ましがっていた。ああなったら終わりだぞ、と忠告してやったのもそう昔のことではなかった。


「あのねえリリ、それは違うって。おれが姐さんたちを楽しませてあげて、その対価をもらってるだけだ」

男妾(おとこめかけ)が」

「何とでも」

 

 巾着袋を開けると、中から小さな壺のようなものが出てきた。壺の中身は液体だ。


「なんだ、これ」

「香油だってさ。何とかって花の香りがするんだとか。きみの髪や手足に塗ってほしいって」

「なんでわたしに」

「きみの信奉者なんだって」

「だから、なんで」

「きみ、ヴェーヌ伯をぶちのめしただろ」

「昨日言ったとおりだが」

「ヴェーヌ伯は姐さんたちにもたくさん、ちょっかいというか無理無体を言いつけてたみたいで、きみが伯をぶちのめしたのが姐さんたちには嬉しかったみたいだよ」

「はあ? 別に姐さんたちのためにやったわけじゃない」

「それは姐さんたちも分かってるけど。とにかくきみに何かあげたいって言うから」


 それでわざわざ追いかけてきたのか。酔狂なことだ。


「香油なんて使わないが」

「売っちゃえば? それなりの額にはなるだろ」


 香油は高価だ。それも悪くない。よし、そうしよう。


「お遣いご苦労。もう用は済んだだろ。さっさと伯の城に帰れば」

「姐さんたちの用はね。次はおれの用がある」


 おまえの用?

 そう問い返す前に予感が体を突き動かした。青鹿毛から飛び降り、馬の腹を蹴りつけて隣の栗毛に馬体をぶつけさせる。香油の入った巾着が茂みのどこかに飛んで行った。


 一瞬前までルキシスの体があったあたりを白刃が空しく横切った。栗毛の軍馬が体勢を崩す。だがその馬体が地面に倒れるよりも先に、抜け目なくギルウィルドは鞍から降りている。


 ルキシスの青鹿毛は主を失い、そのまま前方へと走り去っていってしまった。後で呼び戻せば来るだろうか。来ないだろうなと思う。栗毛の方も恐慌を来している。起き上がるなり青鹿毛を追いかけて同じ方角へと走って行ってしまった。


「惜しくなくなったみたいだな。腕とか足とか眼球とか」


 両刃の片手剣を鞘から解き放ち、ルキシスは構えを取った。


「伯がさ、きみを生け捕りにしたらヴィング金貨百くれるって言うから。殺さなければ多少怪我はさせてもいいって。さすがに目が眩む金額だよね」


 ギルウィルドは破顔した。やはり、姐さんたちに可愛がられるのも分からないではない見栄えの良さだった。かといってそれがルキシスの心を動かすわけではないが。


 このあたりの農民の一年分の収入はヴィング金貨にすると大体一枚から二枚分程度になるという。


 確かにしばらくは遊んで暮らせる金額だろう。目が眩む者がいるのも理解できる。しかし――。


「わたしを捕える代価にしてはあまりに安すぎるんじゃないのか」


 地面を蹴り、左側から斬り込んだ。ギルウィルドの長剣がそれを受け流し、ルキシスの体勢を崩そうと上に撥ね上げる。それには付き合わずに体を引いて距離を取る。


 戦場ではないからお互い鎧に身を包んではいない。旅装として不自然でない程度の装束で、心臓はどこからでも狙えた。


 ギルウィルドが長剣を真っ直ぐに構え直す。彼の得物が長剣なのはルキシスにとって幸運だった。この男の太刀筋は典型的な北方諸王国風でいかにも荒々しい。剣を握っていない時のどこか気取ったような優男風の気配はまるっきり消え失せ、斬るというよりは叩き潰すような力強さの方が前に出る。黒風のようだと誰かが言っていた。黒風というのは荒れ狂っては全てを根こそぎ薙ぎ払う、北国の暴風のことだとか。それは褒め過ぎのようにも思ったが、その連想自体にはルキシスも得心がいった。長剣を使うことが多いようだが必要であれば戦斧も大槍も使う。戦斧や大槍で臨まれれば威力の上でも距離の上でもルキシスにとっては不利になったはずだ。それらが使えないのはやはり生け捕りにしなければならないからだろう。多少の怪我で済ませるならこの男には剣以外の選択肢はない。


 ルキシスの得物は両刃の片手剣。もしくは少し湾曲した細身の片刃剣というのが定番だった。誰かに習った剣ではない。誰に習わずとも不思議と分かった。殺すにはどうすればいいか。どこから切っ先をねじ込み、どう刃を回してどう引き抜くべきか。生まれつき、初めから知っていたみたいに。


 十代の前半から戦場に身を置いた。傭兵としては遅いくらいだったが人を殺すのには才能があったようで、出だしの遅れは何の問題もなかった。あっという間に、この道で自らの口を養うことができるようになった。


 ――生まれつき、それしかできなかったみたいに。


 ただ思ったよりも身長が伸びず、女としても小柄であるという印象は否めない。その不利を補うために大振りの得物を使うということも考えないではなかったが、それよりも少女時代から使い慣れた小造りな剣で、素早く鋭く一撃のもとに刺し貫いて命を奪う方が結局は効率的だった。あれは傭兵ではなく暗殺者の剣だ、と陰口を叩かれることもあったが心の底から全く気にしていない。全てを薙ぎ倒すような猛々しさがなくても、威力や距離の不利があっても、目標の生命に誰よりも早く到達する鋭利さがあればいい。


 それに、最低限の膂力はある。速さにさえ乗せてしまえば細身の剣一本で男の首のひとつやふたつ、胴体から切り離すのは難しくなかった。


 殺しても問題ない分、こちらの方が有利。


 うっすらと口元に笑みが浮かんだ。一方、ギルウィルドの方は今はもう少しも笑っていない。


「一応訊くけど、大人しく捕まる気はある?」

「全財産置いて詫びを入れるなら殺さないでおいてやる」

「前金ももらっちゃったしね。仕事はやるよ」

「なら死ね」

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