9.傭兵団の襲来(3)
男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
1日あたり1、2話くらい更新します。
「い、いま、もう、すぐそこに!」
まだ蹄の音は聞こえない。甲冑の擦れる音も。だがこれ以上のゆとりはない。行軍が大地を震わせるのを肌で感じ取れるようになるのも時間の問題だ。
「ユシュリー」
青鹿毛を、と言いかけたところで、ユシュリーは首を横に振った。
「わたしが交渉します」
「交渉の通じる相手じゃない」
「強くて、お金があるところを見せればいいんでしょう」
ユシュリーがエメラルドの留められた飾り帯を持ち上げた。
ああ、と思った。横領された退去金に気を取られていたが、確かにこれはヴィング金貨三百枚どころではない。傭兵は一般に宝飾品よりは現金の方が好きだが、それを差し引いてもこのエメラルドには十分以上の価値がある。
しかし、これを材料に寝返りを打診したところで、話は元に戻る。つまり、骨の髄までしゃぶり尽くされて、食い物にされて、結局のところ村ごと破滅させられる。
(いや)
そうなる前にジャデム本家の介入を得られれば。聖金鹿団は抜け目なく狡猾だが、末端の分家筋ならともかく、ジャデム家ほどの勢力を持つ貴族と真っ向から立ち向かうだけの体力はないだろう。いくら没落しつつあるとはいえ、腐っても大貴族である。
ジャデム本家の後ろ盾を強さに見せかけ、エメラルドで金銭の部分の交渉をする。
それならばまだアンリを交渉の席に引きずり出すことができるかもしれない。
「本当にいいの?」
ギルウィルドが確かめた。ユシュリーは静かに頷く。
「お金で解決できることはお金で解決します」
母の教えか。
「それに親族たちの横領を見逃したのはわたしの責任です。まさかブリャックたちがそんなことまでするなんて、甘かった」
退去金は村の金だ。ユシュリーは努めて淡々とした口調で言ったが、その口調からかえって彼女の苦悩が伝わる気がした。
「分かった。交渉が決裂した時はわたしがアンリを殺す。ギルウィルドはユシュリーを連れて逃げろ。ジャデム家へ助けを求めるんだ」
「お姉さんも一緒じゃないとわたしは逃げません」
「え――ええ、ユシュリー。聞き分けのないことを」
ルキシスは辟易した。この期に及んでそんなことを言われても、というのが正直な所感だった。
「議論をしている時間はありません。傭兵団が村になだれ込んでくる前にわたしたちの方から出向かなければ」
それは確かにユシュリーの言うとおりなのだった。村に入られるよりも先に交渉を開始しないと意味がない。
彼女の母はいつもこんなふうにしていたのだろうか。
ユシュリーの唇が小さく動いていた。
「言いよどまない、眉を下げない、胸を張って姿勢よく、台本をたくさん頭の中に入れて――」
よくよく聞けば、そう呟いているのだった。
ルキシスは嘆息した。
この少女に自分は、随分と偉そうなことを言い放ったものだ。
(わたしはここで何の仕事もしていない)
少しは彼女のために役に立って見せないと、本当にただ飯食らいである。
「分かった。お前の言うとおりにしよう。いざという時突破しやすいように馬を用意してくれないか」
夜陰に乗じる必要はなくなったので馬の毛色はもはや何でもよい。
「ファブロ、お姉さんの指示に従って」
ユシュリーに言われ、実直な村の連絡役は急いで厩舎の方へ駆けて行った。
「本当に動けるのか?」
ギルウィルドが寄って来て囁いた。ユシュリーを不安にさせないためか、声を絞っている。
「おまえこそ」
「おれはまあ、日も経ってるしきみよりは使い物になるだろうけど」
「もっと深く刺しておけばよかった」
「そういう憎まれ口が叩けるなら馬にくらいは乗れるんだろうな」
「問題ない」
そうは言ったものの、本当に問題ないのかどうかはよく分からなかった。当然だ。自分は医師でも薬師でもない。ただ自分の肉体の感覚を信じるのならば、少なくとも意志が働いているうちは動くことができる。
ファブロが手伝いの人間と共に二頭の馬を連れて戻ってきた。それなりに立派な体つきの牡馬だ。栗毛と鹿毛。農耕馬だが贅沢は言えない。こんな村に軍馬などいるはずがないのだから。
ルキシスはさっさと栗毛を選んで跨った。深い意味はなく、単に栗毛の馬が好きなだけだ。
「ユシュリーはおれと乗ろう」
ギルウィルドがユシュリーを手伝って鹿毛に乗せてやっている。
それを見ながらルキシスは馬の腹を蹴った。緩やかに先行する。
「ファブロは後からディディとナゼルたちと一緒に来て! 馬に乗って。いつでも村と連絡が取れるように!」
後ろでユシュリーが声を張り上げているのが聞こえた。挙がった名前は村の代表者たちだろうか。
ヴィユ=ジャデム家の屋敷はささやかな高台に位置していたが、その高台を拡大して一番低い場所まで広げたのが村の境界だった。そこから北側の道へ進めばまた少し上っては下るという起伏がある。聖金鹿団を迎えるならばそこを上った一番高い場所がよいだろう。
耳元を風が吹き抜けていく。月が明るい。気持ちの良い夜だった。こんな晩でさえなければ。
肌がぴりぴりとしていた。剣と盾。軍馬。行軍の地響き。自分でも馬を駆ってからだが上下に揺れる。だが近付いてくる大勢の気配を読み間違えたりはしない。
程なく起伏の地形の場所までやって来た。その一番空に近いあたりに立って、ルキシスは眼下を見下ろした。
いくつもの松明。騎馬。歩兵。後ろには兵糧の馬車か。
この位置からならば翻る旗が見えた。赤地に金色の牡鹿。間違いない。
「アンリはいるか!」
ギルウィルドとユシュリーが追いつくのを待って、ルキシスは大音声を張り上げた。自分の鼓膜がびりびりと震えるのを感じた。
まだ少し距離はある。だが先頭集団にはこの声は聞こえただろう。兵団は起伏の底で一旦行軍の足を止めた。そこから少しの間をおいて、二頭の騎馬が前に出てきた。
ルキシスとギルウィルドも馬を進めた。
(アンリ)
彼らは松明を持っていた。間違いない。うちひとりは知った顔だ。狭い眉間に切れのある双眸、洒落た形に整えられた顎髭。もうひとりは書記係と思われる。
「誰かと思えば女傭兵殿と色男か」
聖金鹿団の団長は飄々とした口調で言った。四十がらみの男で、傭兵団の団長というよりは女衒のような趣を感じる男だが、眼光の鋭さは本物だ。それに細身だが、よく鍛えている。身なりもよく、特に羽飾りのついた帽子は高級品だ。
「女傭兵殿は賞金首になって、色男がその後を追いかけていったと聞いたが」
「おれがリリの尻を追いかけ回してるみたいな言い方はやめてほしいね」
「伯を裏切ったのか?」
アンリはギルウィルドの方に関心を持ったようだった。顎髭をいじりながらからかうように問う。
「この姐さん怖くて、敵わねえんだ。あんたも余計な欲を出すのはやめとけよ。刺されるぞ」
「色男をたらし込んだならあんたも大したもんだ、ルキシス」
たらし込んでなどいない。正直にむっとした。顔には出さなかったが。
「それでおふたり仲良く、おれたちと旧交を温めに来たわけじゃないんだろ? そちらのご令嬢をご紹介いただけるかな」
アンリの眼光が鋭さを増す。鷹のような目をしている。悪名高い傭兵団を率いるだけの迫力があった。
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