8.わたしをわたし以外の誰にも自由にさせない(3)
男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
1日あたり1、2話くらい更新します。
この話には性犯罪に関する描写や暴力的な描写がありますので苦手な方は閲覧しないようご注意ください。
彼はまだ蹲り、情けない呻き声を上げ続けるブリャックの正面に立っていた。
「ユシュリー、きみはこいつらの命までは奪いたくないんだろ。リリの言うように首を取って送ってやるのも一案だけど、それやっちゃうと本当に戦争になるから、やる前に戦力を確保しておいた方がいいよ。だからおれとしては、とりあえずは生かしておいて人質にするのをお勧めするかな。殺すのなんて後からいくらでもできる」
「お兄さん」
ユシュリーが小さく息をのむ。ギルウィルドはユシュリーを見ず、ブリャックを見下ろしたまま淡々と口早に続けた。
「でもきみの親族たちは、きみやリリに対してしでかしたことのツケを払わないといけない。本当はきみの前ではやりたくない。だけど、要するに手が足りないんだ。こいつらを地下かどっかに連れ出すにしても、その間この部屋に今の状態のリリときみのふたりきりにするのは心配だし、きみにだけ別の部屋に行ってもらうなんて論外だしね」
「……分かりました。お兄さんにお任せします」
打ち沈んだ、か細い声だった。
こちらに、とルキシスが呼ぶと、ユシュリーはおずおずと隣に腰掛けた。
「目を閉じて、耳を塞いでいていい」
すぐそばに座れば、彼女のからだが小刻みにぶるぶると震えているのが分かった。少し迷って、ルキシスは片腕を肩掛けの下から伸ばして少女を抱き寄せた。
「いいえ」
相変わらずか細い声で、だが言い淀むことなくユシュリーはそう答えた。
「見届けます」
「そうか」
相続人としての責と思っているのだろうか。少女自身が決めたことに異を唱えるつもりはなかった。
「じゃ、兄さん」
予備動作なしでギルウィルドがブリャックの頭を蹴り上げた。顎から真っ直ぐ上に向かって。気絶しない程度に加減をして。
「何の毒を盛った? おれの方が優しいから早く言った方がいいよ。てぬるいから代わるって、そっちの姐さんがいつ怒り出すか分からないからね」
「がっ、ぐっぅ――」
ブリャックが大きなからだを痙攣させながら血を吐いた。その血が流れ込んだのか、激しく咳き込んでもいる。
「舌噛んじゃったかな? それくらいで窒息死しないから安心しなよ」
ギルウィルドが腰を折りブリャックに顔を近付けた。片足で、ルキシスの刃によって穴の開いた彼の手の甲を踏みつけている。重心をそちらにかけて傷を抉りながら、今となってはただ蹲るだけの猪男の髪を掴んで顔を上げさせる。そうしながらギルウィルドは革帯から抜き取ったナイフを彼の鼻の下に押し当てた。
「兄さん、よく見ると結構男前だね? そう言われない?」
ナイフの刃は上を向いている。つまりはブリャックの鼻柱のあたりに食い込んで、新たな血を垂れ流させている。
「でもちょっと鼻が高すぎるから削ってやるよ」
「――や、やめろおっ……」
久々にブリャックの口から意味のある言葉が飛び出した。血に濁った声で、呂律も不明瞭だったにせよ。
「他に言うことがあるよなあ?」
もう一段、ナイフがブリャックの鼻にめり込んだ。
「お、んなに、いうことをきかせる秘薬、だと――」
「ああ? 何だそりゃ。中身の成分を言え」
「おれも知らな――」
ギルウィルドの爪先がブリャックの腹にめり込んだ。鈍い音がしたので肋骨くらいは折れたかもしれない。
「ぐぅっ――」
水に濡れそぼった革袋を絞り上げた時のような声がブリャックの喉から漏れる。
「知らねえで済むか」
まだギルウィルドが髪を掴んだままなのでブリャックは倒れることもできない。鼻柱に食い込んだナイフの刃を恐怖に満ちた目で見つめ、極端な寄り目になっているのがルキシスからも分かった。
傭兵式だな、と思った。神殿ならばもっと違う尋問の方法がありそうだ、とも。
「鼻って再生しないんだってな。試してみる?」
ナイフが更に上に向かって持ち上げられた。溢れだした血がブリャックの顔の下半分を覆い、ぬらぬらと光沢を放っている。
「……ヒヨス、ダチュラ、ヤマアカイカリソウを煎じたものだと――」
その声はブリャックのものではなかった。弟のニドのものだ。
ナイフを退け、ついでに髪から手を放し、ギルウィルドが声のした方を振り返った。ブリャックは咽び泣くような声を上げながらくずおれる。それと反対の動きを示すように、壁際の棚のそばで気を失っていたニドが頭を手で押さえながらゆるゆると上体を持ち上げた。
「兄さん、お目覚めか」
ギルウィルドがニドの元に歩み寄った。ニドはようよう上体を起こしたものの、絨毯の上にへたり込んだまま、頭を両腕で抱え込んで極端に俯いている。
「ヒヨスもダチュラもイカリソウも量を間違えたら死ぬ」
ギルウィルドがニドのからだの側面を蹴りつけた。ひょろりと細長いからだは、ぐにゃぐにゃしながら折り畳まれるように丸まって、またよく転がった。
「――ギル」
舌がもつれた。途中までしか呼べなかった。だがギルウィルドはこちらを振り返り、ひとまずナイフを帯に戻した。
「もういい」
ルキシスは淡々と告げた。
ニドのような男にこれ以上何ができるものか。途中で逃げることも、最後までやりきることも、何もできない男が。
ユシュリーはもう震えてはいなかった。片腕で抱きしめるルキシスの手に自らの両手を重ね合わせ、じっとしたまま、目の前で行われることを見つめ続けて、今はもうどこまでも静かだった。
「お兄さん、ありがとう」
「こんなことに礼なんて言わなくていい」
一方、ギルウィルドは苦々しげだった。寝台の縁に腰掛けたふたりの元に歩み寄りながら、顔をしかめている。
「いいえ」
風のない湖面のような声だった。だが感情がないわけではない。目の前で行われたことはユシュリーにとって衝撃的でもあっただろうし、恐怖でもあっただろう。平静さを保とうという確固たる意志が見え隠れする声だと思った。
「リリ、ヒヨスもダチュラもイカリソウも、量によっては薬だ。婦人の血の道に効くとか温熱の作用があるとか、あと鎮痛とか、色々効果はある」
詳しいな、と思ったが神殿というものは施療院を兼ねていることが多い。当然、自前の薬草園も持っているものだ。
「個人差もあるし量にもよるけど、その、興奮剤になったり、幻覚を見たり、目眩や吐き気を催したり、きみみたいに瞳孔が拡大したり、害もある。それに普通は併用もしない」
女に言うことを聞かせる秘薬などと言っていたが、つまりブリャックたちは怪しげな媚薬の類をルキシスに盛ったということか。ユシュリーとは一緒にこの部屋で食事をとったが、皿は別々だったからルキシスだけに一服盛るということもそう難しくはなかったのだろう。全く気付かなかったのは不覚ではあるが、毒にも薬にもあまり詳しくはないし、ヴィユ=ジャデム家の食卓はいつも豪華で味も申し分なくつい食欲が弾んでしまって――、などと益体もない言い訳が胸中をぐるぐると駆け巡る。全くもって無意味な言い訳であった。こんな言い訳をするようでは戦場では生き残れまい。ますます気分が沈んでくる。
「きみの様子を見る限り、今すぐ命にどうこうってことはないと思う。でもあまり動き回らないでじっとしていた方がいいだろう」
ルキシスは黙って頷いた。そう言われなくても、からだが怠くて派手に動き回る気にはなれなかった。
「悪いんだけど、今すぐ解毒したり症状を和らげたりする方法っていうのはおれには分からなくて……、ユシュリー、医師か薬草に詳しいひとを呼べないだろうか。それまではとにかく白湯をたくさん飲んで、少しでもからだの外に排出するのがいいと――」
ばたばたとした足音が廊下から響いてきた。絨毯が敷き詰められているのに、それでもこんなにも激しく音が鳴るのは異様に思われた。
「お嬢さん!」
見知らぬ男が部屋に入ってきた。そのすぐ後ろに、大きな水差しを抱えたダーリヤが続いた。
「ファブロ、どうしたの」
ユシュリーが立ち上がり、部屋に飛び込んできた男の元へ駆け寄った。旧知の間柄であるようで、少なくとも敵ではなさそうだ。ファブロと呼ばれたその男は室内の様相を認めてぎょっとした顔をして一瞬立ち尽くしたが、問いただすのは後回しにすることにしたらしい。実直そうな顔の全面に緊張を張り巡らせ、ユシュリーに向き合った。
「お嬢さん、あの、落ち着いて聞いてください」
そのわきをすり抜けてダーリヤが水差しをギルウィルドに手渡した。ギルウィルドはその中身を少し手の上に出して舐めてから、水差しごとルキシスに渡した。その時は分からなかったが、毒見をしたのだと後になってから気付いた。
水差しの注ぎ口に直接口をつけて中の液体を飲み下す。もちろん、ただの白湯だった。
「今、見張りから知らせが」
ファブロという男の言葉はあまりに不穏だった。全員の意識がその言葉の先に集中した。
「ジードネ城の方から傭兵団が村に向かってきます」
そしてそれは、ここにいるふたりの傭兵にとっては予想できる言葉でもあった。




