1.女傭兵、逐電す(3)
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
「それでリリ、ヴェーヌ伯の話は何だった?」
ヴェーヌ伯とは今回の雇い主のことだった。大々的に兵を募り、長年の宿敵である隣国を攻めるというので、白蹄団もルキシスもギルウィルドも彼に雇われたのだ。
今の話の間もずっと続けていた食事の手を、ルキシスが止めた。さすがに満腹になったのかもしれない。このまま放っておけば豚一匹分くらいは丸々腹の中におさめかねない勢いだったが。
「――野郎、値切りやがった」
結局、ギルウィルドの言った通りだったのだ。ギルウィルドはわずかに吹き出しそうになり、それを察したルキシスに思いきり睨みつけられてさっとあらぬ方を向いた。
「でも姐さん。だって囮役なんて一番危険な役目を引き受けて、それなのに」
十分な功績を上げたはずだ。追加の褒賞をもらうことはあっても、値切られるなんてあんまりだ。
「代わりにヴェーヌ伯妃にしてやると」
「え」
「は」
トーギィもギルウィルドも揃って目が点になった。
ヴェーヌ伯妃。つまり。
「求婚されたってことぉっ?」
「声が大きい」
ルキシスに睨みつけられ、慌ててトーギィは口を手で押さえる。
そうこうするうちに、ルキシスは食事を再開した。満腹になったのかと思っていたが、一時的に手を止めただけだったらしい。恐らくはヴェーヌ伯への苛立ちのために。
「はあ、求婚。求婚ねえ」
今度はギルウィルドの方が得も言われぬ顔で首をひねっていた。
「リリ、伯妃になっちゃうの?」
「なるわけないだろ。殺すぞ」
「今のっておれが悪い?」
こちらに振らないでほしい、とトーギィは思った。
「あの野郎の妃の座に値切られた金貨ほどの価値があるもんか」
ルキシスが忌々しく吐き捨てる。
ヴェーヌ伯がどういうつもりでそんなことを言い出したのか、正確なところは無論トーギィの知るところではない。
だが。
つい想像の翼を羽ばたかせてしまう。
ルキシスは男の名を名乗っているし、普段は戦場で動きやすい男物の服を身にまとっているし、化粧気もなければ髪も適当、戦場で生きているだけにあちこち傷もあるし、何より目つきが悪すぎる。普段から険があるので、不機嫌な今はますます街のチンピラといった風情だ。
だがそういったものを全て差し引いて女の服を着て、白粉をはたいて紅を差して、いささか日に焼けた黒髪も油で梳いて結い上げて、無理矢理にでも目元を和らげて微笑んでみせれば結構悪くないのではないかなどとも思う。例えば、団に所属する娼婦たちの中でも一番の人気者のゾーエ姐さんあたりと比べてもそんなに遜色ないのではないか。ルキシスは二十代も半ばのはずだが丸みを帯びた額はどこか少女らしく見え、茶色がかった紫色の瞳は珍しく、見ようによっては蠱惑的と言えなくもない。鼻が小作りなところは上品で、いつも引き結ばれている唇もよく見ればふっくらとして品の良い形をしている。その上腕が立つとなると、騎士として召し抱えるというよりは妻にしたいと思う者がいてもおかしくないのではないか。いや、まあ、普通はそれでも妾くらいだとは思うが。
だが二言目にはすぐに殺すぞと口に出るこの獰猛な女傭兵が、そもそもむりやりにでも目元を和らげて微笑んでみせたとして、それはさっきトーギィが見た全く笑っていない嘘の微笑みにしかならないのだろうが。そんなものは見るだけ空恐ろしいばかりだ。知り合って長いが、彼女が心から笑っているところなど見たことない。いつも世の中全てが気に入らないみたいな剣呑な目つきで周囲を睥睨してばかりいる。
いずれにせよ、彼女が今宵こんなにも不機嫌だった理由が分かった。普段から不機嫌なひとだが、それにしても随分荒れていると思ったのだ。
「……姐さん、うちの団に入らない?」
恐る恐るトーギィは訊ねた。だがその同じ問いを、これまでに何度も繰り返している。トーギィだけでなく、白蹄団の団長や副団長からもだ。
ルキシスはいつも剣呑で短気で獰猛だが、それでも礼を尽くして接遇していれば向こうから刃物を抜いたりするようなことはしない。そういう意味では分かりやすい相手ではあった。訳の分からないところで所構わず激昂して周囲を薙ぎ倒す危険物ではないのだ。短気だが。
「そうすれば、その……」
金銭の交渉は団長たちがするし、傭兵ということで蔑まれることはあるにしても、周囲には仲間たちがいる。集団は、身を寄せることで自らを守るための手段だ。
「トーギィ」
ルキシスの目つきが少しだけ穏やかになった。微笑んでいると言うには程遠いが。
「ありがとう。でもわたしは自分のことは自分で何とかする」
傭兵団どころか、王侯貴族から誘われても一度も頷いたことがないひとなのだ。その返事は分かっていた。きっと理由があるのだろう。
ひとりで生きていくだけの力を持っている。だからといって不愉快なことに全く遭わないというわけではない。当たり前のことではあるにせよ。
「それで」
しばらく黙っていたギルウィルドが盃を手元に引き寄せながら口を開いた。彼はいつも鯨飲はしない。唇を湿らせる程度だ。
「今回リリは、どんなふうに『何とかした』のかな?」
ルキシスの目がまた剣呑に細くなった。歪んだ笑いがかすかに見え隠れしていた。もちろん、彼女が愉快な気分になったわけでないのは明白だ。
「迷惑料をいただいた」
「元からの約束に加えて?」
「もちろん」
「どんなふうに?」
「近習もろとも可愛がってやっただけだ」
「え……ええー」
大きくならないよう、努めて押し殺しながらトーギィは声を上げた。ギルウィルドはと言うと、肩ごと動かすような大きなため息をついた。
「ね、姐さん、ここにいて大丈夫なわけ?」
「殺してない」
「そりゃそうでしょ」
「全治二か月ってところ」
それなら大したことはない。これまで彼女に不埒な真似を働こうとして「可愛がられた」連中の末路と比べればの話だが。
「リリ、さすがにまずいんじゃないの?」
「だから食ったらとんずらする」
「食べてる場合じゃないよ、姐さん」
「ただ飯食わないで行けるか」
着席するなりルキシスが猛烈な勢いで食事を始めた理由が分かった。確かに折角の戦勝の宴で、末端の兵にまで大盤振る舞いというのは得難い機会ではあるのだが。
「追手が掛けられるだろ。早く行った方が」
ギルウィルドが食堂の入り口へかすかに目をやった。今のところそちらに異変はないが、時間の問題ではないのか。貴族とその近習をぶちのめしておいて、何を悠長に食事などしているのか。豪胆にも程がある。
「心配いらない。側近たちは今頃ヴェーヌ伯が伯妃とお楽しみの最中だとでも思ってるはずだ。ちょっとくらい物音がしても絶対に覗くなと言いつけてある。だから朝まで寝間には近づかないはずだ。伯の不興は買いたくないだろうからな」
「あ、そう……」
さすがに呆れた様子でギルウィルドが呟く。
つまり、そう装って人払いをして、寝間に仕える近習たちもろとも伯をぶちのめして、迷惑料と約束の雇い賃を勝手に分捕ったうえで、こっそり抜け出して今に至っているというわけだ。
「行く当てはあるのか?」
「言わない。追手に情報を漏らされたくない」
「まあそうだ。こっちも聞かない方がいいな」
「でも姐さん、朝までは大丈夫って言ったって、ここは傭兵がたくさんいるし、お金次第で姐さんの捕縛を引き受ける連中もいると思うよ。危ないよ。少しでも早く逃げた方が」
「誰が」
ルキシスが肉の骨を皿の上に置く。指についた脂を舐めとり、顎を上げてトーギィに向けてにやりと口端を引き上げた。
「わたしを捕まえられるんだ?」
「えっと、それは……分からないけど」
「リリ、トーギィの言う通りだ。どんな命知らずがここに紛れ込んでるか分かったもんじゃない。多勢に無勢ってこともあるし、いくらきみでも無事に済むとは限らないだろ」
「ふうん、おまえ、わたしの首を取ってヴェーヌ伯の前に突き出せるか試してみるか?」
「やめとく。命じられるのはたぶん生け捕りだろ。死体にしてもいいってんならまだしも生け捕りじゃ割に合わない」
ぴくりとルキシスの表情筋が動いた。まずい、とトーギィは思った。誰も自分を捕縛できないと言うルキシスに対し、ギルウィルドは殺していいならできると言ったのだから。
「面白い。やってみろ」
「だから割に合わないって。おれも腕とか足とか眼球とか無くしたくないし」
ルキシスの三白眼が今日一番の剣呑さを放つ。
ギルウィルドの返答は生け捕りの話か。それとも死体の話か。
どちらともつかなかったが、トーギィは冷や汗を流しながらふたりの会話を見守った。願わくば一刻も早くルキシスが食事を終え逐電してくれることを、と思った。
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