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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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7.秘密(3)

男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

1日あたり1、2話くらい更新します。

「リリ」


 掴まれた腕にぎりっとした痛みが走った。だがそれは一瞬のことだった。腕に食い込んだ指はすぐに緩んだ。だから詰めの甘い男だと言っているのだ。


「ならおまえとわたしは同じ穴の狢ではない。わたしにとっては」


 母の腕の中のように安心できる場所だ。

 いつでも殺すことができる。


「腹の傷はまだ完治していないだろう? 今度こそ死にたくなければ手をはなせ」


 次こそ心臓を抉ってやる。

 ドアをノックする音がしたのはその時だった。

 ギルウィルドの手が離れる。彼の表情は変わらなかったが、小さく吐息が漏れたのは分かった。


「お嬢さん、失礼しますよ」


 ドアを開けて顔を見せたのは刺繍の苦手な例の召使いだった。つまりはギルウィルドがたらしこんだ女である。


「やあ、ダーリヤ」


 それが女の名前らしい。ギルウィルドが薄っぺらい笑顔を顔に貼り付けて立ち上がった。


「ギイ、探したわ」

「お嬢さんの護衛役で」

「これ。あの……」


 女がルキシスを警戒するように見た。その腕には質素な布袋が抱えられている。大した大きさではない。重量もなさそうだ。ただ、幾分かさばってはいた。


「ああ、手に入ったんだ。ありがとう。助かるよ。そこの彼女のことは気にしなくていいから」


 ギルウィルドが嬉しそうに布袋を受け取り、その代価として女の頬と額に口づけをした。

 そこの彼女呼ばわりされたルキシスはひとまず白けた顔でそれを見守っていた。何を見せられているのだろうという思いがないわけではなかったが。


「それとこれも」


 ダーリヤは布袋の他に、よく見れば書簡のようなものも手にしていた。恋文などではなかろう。文字は特権階級のものだ。

 ギルウィルドは書簡の表書きをさっと確かめると恭しくそれを受け取った。


「よくやってくれたね。助かるよ、本当に」

「さっき弟が戻ったの。こっちこそ、ありがと。あんたのおかげで助かるわ」

「お母さん、お大事にね。それとお嬢さんはまだお休み中だけど、起こす?」

「まだお休みなら後でまた来る。実はブリャック様が体調が優れなくて寝込んでいて、今日の晩餐は中止にしたいって。ええと、おふたりはお部屋で召し上がるのでよろしい?」


 女の態度は初めの頃に比べればかなり軟化していた。今もギルウィルドだけでなく、ルキシスに対しても丁重な口のきき方をした。

 しかしそんなことはどうでもよかった。


「あ……、ああ、あー」


 日中にやらかしたことをすっかり忘れていた。

 思わず潰れた蛙のような声が漏れ、ギルウィルドとダーリヤの二人の視線が突き刺さった。


「ブリャックを殴ってしまった」

「……」


 部屋には束の間沈黙が落ちた。


「……何やってんだよ、リリ」


 マジかよこいつ、とギルウィルドの顔に書いてあった。こんな顔を見るのは二度目のような気がする。蹴り落とされた城壁をもう一度よじ登った時以来だ。


「だって」

「ダーリヤ、きみは何も聞かなかった。いいね?」


 女は無言でこくこくと首を上下させる。


「もう行って。これ以上聞いたらきみたちの身に危険が及ぶ可能性がある」

「あたし、それでもいいと思ってる」

「駄目だよ。きみはまっとうな娘さんなんだから」

「でも」

「きみにはお母さんがいるだろ」


 女の顔に痛々しい苦みが走った。


「もう行って」


 同じ言葉をもう一度、ギルウィルドが女の耳元で囁く。女は切なげに顔を歪め、それから肩を落とした。


「夢を見させてくれてありがとう」


 ルキシスには心の底から関係のない会話である。それよりも今後のことを考えねばならない。

 ダーリヤが部屋を出ていくのを待って、ギルウィルドが荷物を抱えたままずかずかとルキシスの前までやって来た。


「きみ、ほんと、何してるわけ? 今までの我慢が水の泡じゃねえか」

「だって」

「だってなんだよ。言ってみろ」

「あの野郎、気持ち悪いことばっかり言いやがる。それでひとの顔を触ろうとするし」

「それはまあ気持ち悪いけど」

「わたしを愛人にしたいみたいだった」


 オドリーがいたのに、と身ごもった女のことを思い起こす。


「それでどれくらいの怪我を負わせたの」

「一発顎に食らわせただけだ。素手でだぞ。だから半日か一日か、ちょっと気絶するくらいのもので全然大袈裟な怪我じゃないはずだ」


 顔面の形が変わるまで殴り倒したヴェーヌ伯とは違う。


「それだけ気絶する話となると、一般人には大きな事件だけどね」


 そうかもしれない。暴力に慣れている傭兵は少し感覚が他とは違う。


「……だからわたしはこの屋敷を出ていこうかと」

「リリ、そもそもそんなことをやらかしたんなら何故もっと早くおれに言わない」

「言おうと思ってた」


 それは本当だった。中庭で落ち合った後、色々な出来事があってすっかり忘れてしまっただけだ。「だけ」と表現するには随分な失態であることは否めないが。


「リリ」

「……なんだよ」

「災難だったな」

「……うん」


 久々に、誰かに労われた気がする。


「最近こんなことばかりでついていない」


 下半身丸出し男とか。

 ついぶつぶつと愚痴をこぼすと、ギルウィルドがぎょっとした顔をした。


「ブリャックがそんなことを?」

「下半身はヴェーヌ伯」

「えー……、あ、そう」

「おまえはその変質者の手先だろうが」

「あ、はい……」


 ギルウィルドは何か言おうとしてためらい、ルキシスから視線を外した。それからまた窺うようにルキシスを見て、大きくため息をついた。


「あと……、あと、言うかどうか今もすごく迷ってるし、きみを不快にするだろうし、怒られるだろうけど、きみのために言うんだけど」


 前置きが長すぎて意味がよく分からない。ただ、もう一度腹を刺されたくなさそうだということだけは伝わった。


「なんだ」

「先に刃物出してくれない?」

「刺さない」


 多分。内容にもよるが。


「分かんないじゃん」


 見抜かれていた。

 懐の短刀を取り出し、互いの手の届かない位置に蹴り飛ばす。


「もう一本も」


 それも見抜かれていた。

 ルキシスは渋面でもう一本の小刀を取り出し、先ほどと同じようにした。


「もう持ってない?」

「言うわけないだろ」

「……持ってないと信じよう」


 ひとまずそこで納得しておくことにしたらしい。ギルウィルドは背筋を伸ばして姿勢を正した。

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