7.秘密(1)
男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
1日あたり1、2話くらい更新します。
オドリーは一旦召使い部屋に返すこととした。彼女を送って戻ってきたギルウィルドは、平素よりは神妙な顔をしていた。
「彼女の様子はどうでしたか?」
ユシュリーもひどく落ち込んでいる。無理もない。気丈に場を取り仕切ったが、そうできたからといってその前にオドリーにぶつけられた言葉の刃がなかったことにはならないのだから。
「少しは落ち着いたみたいだよ。彼女に少し時間を与えてやってほしい。数日間の休みを。その間に身の振り方を考えるだろう」
「オドリーは……ブリャックの愛人さんなの。屋敷の人間はみんな知ってた。愛人って、恋人っていうことじゃないの? ブリャックは彼女のことが好きで、だからエメ家から連れて来たんじゃないの? だから、わたし――」
ユシュリーが声を詰まらせる。
ベンチに腰掛けたまま項垂れた彼女の前にギルウィルドが膝をついた。
「残念なことだけど、愛していなくても愛人を持つひともいる」
「お父様もそうだったのかしら」
ユシュリーは父親の顔を肖像画でしか知らないという。両親は大恋愛だったと嬉しそうに語っていたが、それはいずれも聞いた話であって本人が見聞きしたことではないのだ。
両親を思う気持ちが揺らいだだろうか。
「ユシュリー」
ルキシスは彼女の隣に腰を下ろす。こういう時、気の利いたことを言える性格ではないと思われているのだろう、ギルウィルドが露骨に牽制する眼差しを向けた。
それを無視して口を開く。
「でもおまえの父上は、母上の手を取ってあかぎれの手がかわいそうだと泣いたんだろう?」
ブリャックはそんなふうにはオドリーを慈しまなかったのだろう。もしもう少しでも慈しみがあれば、彼女の怒りはあのような形では発露しなかったのではないか。そもそも愛人という以前に、侍女としてさえも扱いが悪そうだった。普通は侍女は、野菜運びなどしないものだ。それは下仕えの仕事である。
ユシュリーは黙り込んだ。生前の母親や、周囲のひとびとから聞いた両親の逸話に思いを馳せているのかもしれない。
「おまえのお父上は、好きなひとのためだから涙を流したんじゃないのか」
本当にそうだったかどうかはルキシスには分からない。
「……お父様とはお話をしたことがないの。でもお母さんはいつも、お父様のことが大好きだったって、あんなに素敵な人は世界のどこにもいないって」
ならばもうそれが真実で構わないだろう。
「……お兄さん」
ユシュリーが顔を上げた。濃い栗色の瞳が潤んでいる。だが涙は零れ落ちてはいなかった。
「なに?」
「全ての命は神々に祝福されているって本当?」
「もちろん」
「……ならどうして、お母さんは神殿の墓地に埋葬してもらえなかったのかしら」
そうだったのか。このあたりを実質的に統治するヴィユ=ジャデム家の女相続人の母であっても、神殿は彼女の埋葬を拒否した。
結婚せずに男に身を任せたから、と。
「お母さんはお妾で、わたしは私生児。それは、そうなの。本当に。だから」
「ユシュリー、真面目な話をするけど、それは神殿や神々の定めではなくて、この地域の風習だ」
「風習?」
「神殿の経典には誰かの埋葬を拒否しなければならないなんて一言も書かれていない」
神々は全ての命を祝福している。
ギルウィルドは再びその言葉を繰り返した。
「地域の風習と信仰は、多くの場合で区別されていない。混同されている」
「どういうこと?」
「例えば……ええと、おれの生まれた国はここよりもずっと北の田舎で、このあたりとは全然習俗も違う。結婚ひとつとっても一夫多妻で……、一夫多妻って分かる?」
「一人の男のひとが同時に複数の女性と婚姻関係を持つってことでしょう? 禁じられてるはずじゃ」
「経典には実は一言もそんなのは書かれていない。だけど、多くの地域で一夫多妻は異教的で堕落した習俗だと考えられ、事実上禁じられている」
その言葉にはルキシスも驚いた。重婚の禁止は神殿の教義によるものだと思っていた。ルキシスの故郷でもはるか古代は一夫多妻制だったと聞いているが、神殿に教化されてからは一夫一婦制が敷かれ、一夫多妻というとひどく異教的で不気味な印象を受ける。
「まあ一夫多妻を実現できるのは王さまとか貴族とか金持ちだけで殆どはひとりの夫にひとりの妻の組み合わせだし、愛妾や側室といった概念に近いものがないわけじゃないんだけど、とりあえずそれはおいといて。とにかく神殿の経典には、祝福されない命の定義なんてない」
だから全ての命は祝福される、というのは詭弁のような気もするが、ひとまずルキシスは黙っていた。
「お母さんにも天の門は開かれる?」
「もちろん」
「……でも神殿に埋葬できなかったから、儀式もできなかった」
ユシュリーの唇がわなないた。今度こそ彼女の黒目がちの瞳から涙が盛り上がって溢れた。
儀式は形だけのことで心持ちの方が大切だ、などという慰めはあまりに陳腐すぎて、さすがに口にするのは憚られる。
「きみのお母さんの埋葬地はどこ? 森の中かな?」
少女はこっくりと頷いた。もしかしたら、ユシュリーと初めて出会ったあの森かもしれない。
「おれでよければ送ろう」
ギルウィルドが懐から何かを取り出してユシュリーの前に差し出した。それを目にしてルキシスは今度こそ完全に言葉を失う。思わず中途半端に口が開いて、そのまま元に戻らなくなった。
それは白銀に輝く金属の装身具だった。見ようによってはペンダントのようにも見える。だが違う。
カトラと呼ばれるものだった。銀で象った縦長の菱形の輪郭をふたつ、半分重なるようにして横に並べて、それぞれの菱形の中央には右側に赤、左側に青の貴石が象嵌されている。
神官の証だった。
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