6.それぞれの恋愛事情(2)
男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
1日あたり1、2話くらい更新します。
『自らの意思で選択を』
意外な気持ちでルキシスはそれを聞いていた。男が女に対して垂れる訓戒にしては規格外だった。
「今のは聞き取れたか?」
少女を見ると、ぎこちなく何度か唇を上下させた後、ためらいながらも言葉を発した。
「自分の考えで動かないと、ひとの言うがままになってしまう、みたいな……ええと」
「この数日で随分上達したんじゃないのか」
ギルウィルドは普通に話すのよりも倍以上ゆっくりと速度を抑制して話していたが、それでも急に言われたものを聞き取るのは慣れない人間には難しいものだ。
「合ってた?」
ユシュリーは心配と期待が綯い交ぜになった顔をする。
「半分くらいは。ここで言う『ひと』は特に男性を意味する。それと、今用いられた副詞は仮定条件ではなくて順接を意味している。仮定条件ならば後ろの文章が条件を意味するが、順接ならばそのまま語順通りに解釈すればいい」
文法の解説を始めるとユシュリーの顔に疑問符が浮かんだ。
「口頭で説明するのは難しいよ」
ギルウィルドがベンチから腰を上げ、落ちていた小石を取ってその尖った角で地面に文章を綴った。そうして今、ルキシスが説明した内容をもう一度繰り返す。
はあ、とさっきよりも少しは分かったような顔でユシュリーは頷いた。
「ユシュリー、おまえは以前わたしに、信用する人間は自分で決めるということを言っていたな」
「ええ」
「配偶者も同じだ。というより、配偶者こそそうした方がいいだろうな」
「そうね……」
ユシュリーは顎に手を当てて考え込む様子を見せた。
彼女はエメ家の男たちに結婚を迫られている。それを受け入れれば家を乗っ取られる。領地経営の役に立つのなら、あるいはエメ家の男と結婚するという判断だってありえただろうが、結婚前から愛人を連れて乗り込んでくるような連中が領地の役になど立つものか。結婚した直後に殺されでもしたら目も当てられない。だがここでエメ家を退ける手段として期待しているのは本家の助けだ。エメ家を排除できたとして、次は本家の意向のままに結婚なり何なりを強いられるのではないか。
その中でどこまでユシュリーが自己で判断し、選択し、それを貫けるのか。
しかもまだ世間擦れしていない十三歳の少女のそれが、本当に彼女に幸福をもたらす結果となるか。
「――薄汚い私生児に幸せな結婚なんてできるものか」
震えた声が割り込んできたのはその時だった。聞き覚えのある声だった。
植込みの陰から女が姿を見せた。野菜類の入った大きな籠を抱えている。ルキシスも何度か身繕いを手伝ってもらった、ブリャックの愛人だとかいう侍女だった。
「オドリー」
それが女の名前らしい。ぽかんとした顔で、ユシュリーがそう呼んだ。
「何を馬鹿な夢を見て。私生児のくせに。汚らわしい」
道端の汚物でも見るような目で彼女はユシュリーを睨みつけた。
「ち、父と母が正式な結婚をしていなかったのは事実だけど、あなたにそんなことを言われる筋合いはないわ」
「私生児なんて生まれてくるべきじゃない。そんなの当然のことじゃない。大体、妾の生んだ子を主人に戴くなんてこの村もどうかしてる。妾だって、妾のくせに領主みたいな顔して、生きてる間は偉そうにしてたそうじゃない。恥知らず」
「お母さんはこの村のために!」
「妾のくせに! 死んだのだって罰が当たったんだわ。ふしだらなことをしたから。私生児のお嬢さんは知らないのかしら? ふしだらな女には天の門は開かないのよ。ざまあみろだわ」
何だ、この女は。自分もブリャックの愛人だという話なのに。とりあえず殴って黙らせておくか。
そう思ったのが伝わったのか、地に書いた文章の横に屈んでいたギルウィルドが立ち上がり、ルキシスを制して女の方へ足を踏み出した。
「ええと、オドリー? どうしてそんなことを言うの?」
貴公子然とした微笑みを浮かべて、ギルウィルドはオドリーの前に立つ。ユシュリーとの直線的な位置関係を遮る。
「お客人は私生児がこの世に存在するべきだと思うのですか?」
「全ての命は神々に祝福されているものです」
ギルウィルドは物静かな口調で応じている。まるで聖職者のようだ。穏やかで淡々とした声なのに、不思議と周囲に響き渡る。
「汚らわしい妾もその妾が生んだ子も、神様に祝福なんてされないわ!」
女が金切り声を上げて叫んだ。籠をギルウィルドに向かって投げつけようとする。それを受け止め、彼は女の肩に手を添えた。
「落ち着いて」
「おまえさえいなければ!」
「あなたもあなたの御子も神々に愛されています。だからここにいるのです」
その言葉にユシュリーが息を飲んだ。ルキシスの方が、理解が遅かった。ひと呼吸遅れてようやく女の興奮の理由を悟る。
つまり、腹の中にブリャックの子がいるということか。そのブリャックはあわよくばユシュリーと結婚して、ヴィユ=ジャデム家の当主の座を狙っている。
ユシュリーがいる限り、オドリーはその妻にはなれない。子どもが生まれてもその子は私生児のまま。ギルウィルドは全ての命は神々に祝福されているなどと聖職者然として言ったが、実際は世間からはそのようには扱われない。結婚をしないで男に身を任せた女も、その女から生まれた子どもも、共に汚れた存在とみなす風潮は強い。地域によってはそうした人間は神殿への立ち入りも制限されるくらいだ。ヴィユ=ジャデム家のような貴族の流れを汲む者がせいぜい、その権力を後ろ盾にその分だけ重んじられる程度で。
ギルウィルドが懐から何かを取り出し、女に見せるようなしぐさを示した。こちらからは彼のからだに隠れて、詳しくは窺えない。
オドリーが零れ落ちんばかりに両目を見開いた。それからゆっくりと彼女の表情が緩んでいった。和らいだわけではない。ただ刺々しさが抜け落ちていって、やがてはその目から涙がこぼれ始めた。
救いを求めるように、オドリーは眼前に立つ男の足元に縋りついた。
「お許しを」
『神々はあなたをお許しになる』
古クヴェリ語だった。歌うような拍子や音の長短は相変わらず揺蕩うようで――そう、神殿で唱えられる祝詞の響きによく似ていた。
「オドリー」
ユシュリーの拳が震えていた。怒りのためかと思ったがそうではなかった。少女の顔面は蒼白だったが、その震えは決意のためだった。
「あなたはエメ家から来たのだから、エメ家に帰りなさい。気が進まないのなら別の家に奉公できるよう紹介状を書きます」
一息にユシュリーはそう言い放った。そして一拍おいて続けた。
「お腹の子を大事にして。退職金を出します。ブリャックには会ってもいいけど、ブリャックがあなたを大事にしないなら、優しくしてくれないなら、会わない方がいいわ」
女はうずくまったまま声を上げて泣いた。
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