6.それぞれの恋愛事情(1)
男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
1日あたり1、2話くらい更新します。
狙いやすい人体の急所は顎と股間。でもやはり顎の方が少し難しい。素人は股間が向いている。股間は実は女にとっても急所だから、女の暴漢に襲われた場合でも活用できる。
そう、ユシュリーに教えてやるつもりだったのだ。ブリャックを昏倒させた後、ルキシスは重い足を引きずって中庭へ向かった。この先どうしよう、と考えあぐねていた。ブリャックは昏倒して後ろに倒れたが、床には分厚い絨毯が敷かれていたので死んではいない。女相手に昏倒させられたなど、ああいう手合いの男は恥ずかしくて口にも出せないはずだ。しかし何の報復もない、というわけにはいかないだろう。ひとまず召使いを探して、ブリャックが突然倒れたとか何とか言って介抱を押し付けたが、彼が意識を取り戻す前にここを後にした方がよいかもしれない。ヴェーヌ伯の元を飛び出したのと同じように。
(わたしは同じことばかり繰り返しているのか)
ますます気が滅入った。ひと月はここに留まるとギルウィルドに約束したが、あの時より彼とユシュリーの関係も改善しているし、もはやルキシスがむりに留まる必要もないのではないか。
建物の外に出て中庭に至る最後からふたつめの角を曲がろうとした時だ。
足元に影が落ちているのが見えた。誰かがそこで待ち伏せている。しかし気配は消せていない。刺客の類ではない。
「ルキシスさん」
姿を見せたのは鷺に似た弟のニドだった。ブリャックが倒れたことはまだ耳には届いていないだろう。つい、数分前の出来事だ。
「わたしに何か」
「急に変なことを言うと思わないでください」
まさかこいつも自分を口説こうとしているのか? 気色の悪い物言いで?
反射的にそう思って身構えたが、彼はひょろりと細長いからだで力なく肩を落とし、途方に暮れたような顔でルキシスを見ていた。
「できればあなたはここにいない方がいいと思います」
どうも思った方向性とは違うようだ。警戒は解かないまま、それでも彼の話を聞いてやろうという気になる。
「ご厄介になっていることを心苦しく思っています」
「いえ、そういうことではなく……、ユシュリーを連れて、どこかへ逃げることはできませんか」
おや、と思う。ニドの方はブリャックとは別の思惑を持っているのか。
「何故?」
「詳しいことは言えません」
莫大な財産を持つ親戚の家を乗っ取ろうとしている、などとは確かに言いづらいだろう。
「ユシュリーはこの家の相続人では? 相続人を追い出せば得をするのは誰なのか」
だから代わりにこちらが言ってやる。意識して踏み入ったつもりだった。ニドはますます苦々しい顔になった。
「でも身の安全には替えられないでしょう」
「そう思うならあなたがユシュリーを助ければよい」
「わたしは」
兄には逆らえない、と絞り出すように彼は呟く。
(このうらなりめ)
「わたしにそれを告げたからと言って仁義を通したなどと思わないことですね」
我ながら冷ややかな声だと分かってはいた。だが自分自身では何の手も動かさず、口先で他人を動かして意のままにしようとするくせに、被害者面して痛ましげな態度を取る人間は好かなかった。
「ルキシスさん」
ニドの脇をすり抜け、ルキシスは中庭へと向かった。この男がしばしば屋敷を留守にしているのには気付いていた。恐らくはエメ家との連絡役なのだろう。兄の命令で。
そんなふうにしながら、ユシュリーを連れて逃げろなどと。
(どの口が)
反吐が出る。
「ユシュリーはあなたたちを信頼しているようだ」
――出会ったばかりの人間など信用してはいけない。
「ごめんですね」
そう言い捨て、ルキシスはもう後は振り返らず中庭へ向かった。ニドも後を追いかけて来ることはなかった。
中庭には約束どおりユシュリーとギルウィルドがいた。木製のベンチに腰掛けて何か機嫌よく会話をしている。そうしているときょうだいのように見えなくもない。容貌は全く似てはいないが、どことなくそういった雰囲気が醸し出されている。
「何の話を?」
ふたりの元に歩み寄りながら声を掛ける。
「お父様とお母さんのお話を聞いてもらっていたの」
薔薇の花びらが綻びるような微笑みを浮かべてユシュリーが答えた。
「恋のお話よ!」
彼女は溌溂とそう付け足す。なるほど、ルキシスの苦手な分野だった。そしてギルウィルドは得意そうだった。あちこちで女の寝床に潜り込んでいるのだから。
「一応訊くが、教育に悪い話はしていないだろうな?」
つい心配になる。
「リリ、何考えてるの」
呆れた顔でギルウィルドはルキシスを見上げた。
「うちのお母さんはね、ご奉公でジャデム家に上がったの。お屋敷の下働きをしていて、そこでお父様と出会って恋に落ちたのよ」
下働きの者の労働環境はなかなか過酷である。それはジャデム家でも同じことのようだった。
「お母さんの、あかぎれで血の滲んだ手をお父様が両手で握りしめて、かわいそうにって泣いて、それでお母さんはお父様を好きになったんだって」
夢を見るような潤んだ瞳でユシュリーはそう述べた。
(はあ、ジャデムの若様がそんな)
夢を見るような気分になるのも、それで恋に落ちるのも自由なことだ。だがルキシスにはまるで理解できない。あかぎれの手には軟膏でもよこしてくれたほうが幾らか役に立つものを。
大体、そんなことでめそめそ泣かれても――自分ならば「気色悪いんですけど」くらいのことは言いそうなものだった。
内心でそんなようなことを考えていたのが、多分ギルウィルドには伝わっていたのだろう。彼はたしなめるように「好きになったひとには優しくしてあげたいものだからね」などと分かったようなことを言い、ルキシスが余計なことを言う前に会話を引き取った。
「お兄さんもそう?」
「もちろん」
胡散臭い、女をたらし込む時の微笑みを浮かべている。
「男でも女でも好きなひとには優しく。ああでも、厳しくするときは厳しくしないとな」
「お父様はお母さんにはいつも優しかったって……」
「厳しくしないといけないような、いい加減なところのないひとだったんじゃないのかな。きっと」
話を聞く限りユシュリーの母親は妾の身ながら領地の隅々に目を光らせ、適切な対応を取り続けてきたようだったから、きっとそうなのだろう。甘っちょろそうな若様なんかよりよほどしっかりしていそうだ。
「わたしもお父様みたいなひとに出会えるかなあ」
ルキシスにしてみれば、どうにも甘ったれた馬鹿息子という印象は拭えないので、そのような男が配偶者にふさわしいかどうかは疑問だった。
しかしそれを言えばユシュリーの両親を否定的に捉えていることも伝わってしまうだろう。ひとまず沈黙しておく。
『男の言いなりになってはいけない』
古クヴェリ語だった。
言ったのはギルウィルドだ。
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