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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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5.ルキシスの受難

男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

1日あたり1、2話くらい更新します。

 しばらくの間、日々は平穏に過ぎていった。幸いなことにヴェーヌ伯の元から解放された兵団が押し寄せて来ることもなく、エメ家の人間たちが不埒な真似に及ぶこともなかった。ユシュリーのそばにはルキシスかギルウィルドのどちらかが常に詰めるようにしていたので手出しのしようもないのだろうが。また、ギルウィルドが上手く言い含めたらしく、召使いの女がユシュリーに底意地の悪い真似をすることも殆どなくなった。親身になって世話をする、というほどではないにせよ。


 ルキシスはユシュリーに時々裁縫を教えて、ギルウィルドと一緒に古クヴェリ語も教えた。不本意ながらヒルシュタット語も教わった。改めて言語を学ぶなど子どもの頃以来だったので意外と苦戦して、一夜のうちに覚えた単語の数がユシュリーに及ばなかった時には愕然とした。子どもの柔軟な脳には敵わないよというギルウィルドの大雑把な励ましは却って癇に障り、ユシュリーの前でなければ蹴り飛ばしてやったところだったが、「お姉さん」よりも「成績が上回った」ことはユシュリーにとって誇らしく自信になったようだった。競い合うというのは何かを習得する際には効果的な要素だった。それはそれとしてルキシスとしてはやはり悔しく、このところ隙あらばヒルシュタット語を呪文のように唱えてばかりいる。


(別に損はしないし)


 ヒルシュタット語に通じるようになれば、傭兵としては損はしない。それだけのことだ。

 ――平穏な日々が過ぎるのはよい。だが事態は一向に進展していなかった。本家から使いが戻って来るのはいつのことになるのか。そもそも侍女頭は無事に本家に辿り着いたのか。ユシュリーにそれとなく訊いてみはしたが、特に手紙などは届いていないようだった。

 それを思うとただいたずらに日々を過ごしているだけのような気もしていた。いっそ自分かギルウィルドのどちらかが本家へ様子を見に行ってみるというのも考えた方がよいかもしれない。


 そんなことも考え始めた頃のことだった。その日ルキシスは食事の合間に男物の中着と穿袴に着替えてユシュリーの元へ向かっていた。最低限の護身術を教えてやるという約束を果たすためだ。普段は猪男がジャデム家の名に関わるのどうの、秩序がどうのとうるさいので借り物の女装束で過ごしているが、からだを動かす時にはやはり着慣れた男装の方が都合がよかった。


 しかし屋敷の中庭に向かう廊下の途中で猪男ことブリャックに捕まった。彼はルキシスを見ると太い眉を吊り上げた。


「ルキシス殿」


 この男は馴れ馴れしくルキシスのことをそう呼んでいた。


「その服装はどうなされた」

「少しからだを動かそうと思って」


 中庭ではユシュリーがギルウィルドと先に行って待っているはずだ。


「女がそのようなことをする必要はないのではないのか」

「ちょっとした運動です」


 面倒なやつに捕まってしまった。辟易した顔を努めて押し隠し、ルキシスは平静を装って答えた。


「女は女の服を着るのが良い」

「ああ、ええ、はい」

「すぐにあなたの部屋にドレスと装身具を運ばせる」

「ああ、ええ、はい――え? いえ、そのようなことをしていただく必要はありません。すでに十分なおもてなしをいただいています」

「ルキシス殿」


 ブリャックがずかずかと距離を詰めてきた。埃の舞い上がるような歩き方をする男だった。彼の指にはいくつもの指輪が嵌められている。いずれも大きな宝石が輝き、ユシュリーの飾り帯にはまるで及ばないにせよ、指一本分でひとひとり一生食べていけるだろうと感じさせた。


 指輪に気を取られたのが伝わったのか。ブリャックが唇をめくり上げるようにして笑みを作った。がたがたした歯が唇の隙間から覗いた。


「貴殿がお望みになるのなら指輪も思いのままだ」


 いや、指輪などちっとも望んでいないが。何を言っているのだ、この男は。


「真面目な話だ」

「はあ」

「わたしはもうすぐ大きなものを手に入れる」


 ヴィユ=ジャデム家のことか。


「そうなれば叶わないことなどなくなる。貴殿にもたっぷりと良い夢を味わわせて差し上げよう」

「……」


 呆れかえって言葉もなかった。つまりこの男は自分を口説いているつもりなのか。愛人がいるのだろうに、そちらはもうどうでもよいのか。それとも愛人の数を増やそうというのか。

 ブリャックの手が伸びる。頬に触れられそうになって慌てて後ろに飛びすさった。

 ぞっと肌が粟立った。殺すのは簡単だ。それが解決になるのなら今すぐそうしてやる。


「わたしの言うことは聞いておいた方がいい」


「……おたわむれを」


 喉が引き攣った。気色が悪い。

 やはり殺すか。弟のニドも殺してやって、何ならエメ家に乗り込んで一族郎党全員皆殺しにしてやれば話も手っ取り早いのではないか。本家からの使者など待つ必要もなくなる。


「このような田舎には稀な美女と巡り会えたのは僥倖だ」


 だがそのような服装は感心しない。

 ブリャックは陶酔しきった口調で続ける。


「まあいい。狩りはゆっくりと楽しみたいものだ」


 ルキシスの強張った顔をどう思ったのか。

 そう怖がることはない、と言いながら再びブリャックが手を伸ばしてくる。

 我慢の限界だった。

 ルキシスの拳が真っ直ぐ猪男の顎に突き刺さった。

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