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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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4.田園生活(4)

男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

1日あたり1、2話くらい更新します。

 声のした方を見ると、少し離れた大きな林檎の木の陰でひらひらとギルウィルドが手を振っていた。ルキシスたちとは別行動をとっていたが、彼も日中、村を見てくると言って屋敷を出ていたのだ。やはり傭兵の性である。


「おまえ、いつから」

「お兄さんも古クヴェリ語はお得意なのね」


 そこにいた、と言いかけた言葉とユシュリーの感嘆の声が重なった。


「そこのお姐さんほどじゃないけど」

「おまえに姐さんと呼ばれる筋合いはない」

「そこのお姐さん、言語は得意中の得意みたいだから教わったら?」

「おい」


 何を勝手に。


「ユシュリーには家庭教師がいるんだろうが」

「ブリャックが馘にしちゃった」


 まったくろくなことをしない猪男である。財産がわずかでも目減りするのを忌避したのか。家庭教師の報酬など大した額ではないだろうに。


『古クヴェリ語を用いて話そう』


 ギルウィルドは愛想よく古クヴェリ語で言った。

 ユシュリーの様子を窺い見る。彼女はぽかんとしている。


「今の、聞き取れたか? 古クヴェリ語で話そうと言っているが」

「む、難しいわ」

「おまえ、喋るならもっとゆっくり喋ってやれ」

『代価無しで世話になるのはかたじけないため、少しなりと姫君のご勉学のたすけになればと』

「もう少し易しい文法で話せ」


 だが古クヴェリ語は現代の人間からするとどうしてももってまわったような話し方になる。時代と言語の特性である。


「リリ、文句が多いな」


 リーズ語に戻った。とりあえず無視して少女の方に目を向ける。


「ユシュリー、いずれはきちんとした教師をつけた方がいい。でも世話になっている間くらいは、少しは教えられるだろう。そこのそれも役に立ちそうだし」


 この男が古クヴェリ語が堪能だとは知らなかった。リーズ語が母語でないのは容貌からして明らかだったが。あと、以前ヒルシュタット語を喋っているところも見たことがある。リーズ語の次に傭兵たちに広く用いられている言語で、大陸中北部から東部を中心に、主に庶民語として普及している。


「ギルウィルド」

「なに」

「リーズ語より古クヴェリ語の方が上手だな」

「それさあ、褒めるふりして貶してるよね?」

『どこで習得した?』


 古クヴェリ語で訊く。


『言わない』


 実際に、ギルウィルドの古クヴェリ語は発音も清澄で聞き取りやすい。古クヴェリ語の中でも特にもったいぶった、古めかしい文法を用いる節はあるが。

 ただ、少し独特の癖はあった。発音そのものというよりは、歌うように拍子をとるような響きがある。

 それが気になって興味本位で訊いただけなので、答えたくないならそれはそれで構わない。こちらもそれ以上の関心はないし。


「ユシュリー、そこのお兄さんは」


 お兄さん、などと口にして怖気が走った。言われたギルウィルドの方も曰く言い難い顔をしている。だが、きみにお兄さんと言われる筋合いはない、とは言わなかった。


「古クヴェリ語と、ヒルシュタット語が堪能なようだ。あと、知らないけど北方諸王国語のどれか……、関心のある言語があるなら教わってみればいい」

「お兄さん、そんなにたくさん喋れるの?」


 ユシュリーからギルウィルドに対して、初めて好意的な視線が向けられた気がする。


「職業柄ね。でも、そこのお姐さんほどじゃない」

「わたしはヒルシュタット語はあまり」


 単語が分かる程度で、片言だ。


「おれの知る限り、きみはほかにソヴィーノ語、カミル語、グルベスター語が堪能なようだが」

『何故知っている』


 古クヴェリ語に切り替えた。


『自分自身で話していたようだが』

『わたしがいつ』

『戦場各所で』


 それだけ多くの戦場でこの男と顔を合わせてきたということか。しかしいちいち覚えている方もどうかしている。


「よく覚えてるな」

「他にも隠してるだろ」

「お、お姉さん、そんなにたくさん……」


 驚愕の眼差しで、ユシュリーはルキシスを見ている。

 ルキシスはごまかしがてら頭を掻こうとして、複雑に結い上げられた髪型を思い出し手を引っ込めた。


「いや、つまり、暇だったんだ。それくらいしかやることがなくて」

「お姉さん、実は学者さんだったりして?」

「いや」


 傭兵としては、多言語に通じているのは有利なことだった。そのおかげで雇い口も多かったし、報酬の上積みも見込めた。


「だが、もしこれらの中にユシュリーの関心のある言語があれば多少は教えられるかもしれない」

「うーん、わたし」


 ユシュリーはちらりと林檎の木の方に視線をやった。


「うちというよりはジャデム本家の方だけど、ジャデム家全体の領地の中にはヒルシュタット語を話すひともいるの。だからわたし、できればヒルシュタット語が……」

「じゃあ決まりだ」


 ギルウィルドが破顔した。


「滞在のお礼に古クヴェリ語とヒルシュタット語をご令嬢にお教えしましょう」

「ありがとう、お兄さん。わたしのことはユシュリーって呼んでください」

「ユシュリー」


 ご自慢の笑顔を存分に振り撒いている。無性に腹が立ってきた。


「リリも」

「ああ?」

「これを機にもう少しヒルシュタット語を勉強したら?」

「おまえ」


 ユシュリーの寵を得られそうだからといって調子に乗りやがって。

 などと、ルキシスは汚い言葉を使ったりはしない。使ってやりたかったが。もっと言うならば、わき腹の傷口を蹴飛ばしてやりたかったが。


「お姉さんも一緒にお勉強してくれるの?」

「え」


 そんなことは一言も言っていない。にもかかわらず、ユシュリーはきらきらとした瞳をこちらに向けてくる。


「いや、わたしは不自由していないし」

「お姉さんも一緒にやりましょう?」

「え……ええー、いや、わたしは」

「きみのヒルシュタット語、結構ひどいけど」

「うっるさいな」

「だって赤ん坊が精いっぱい気取って喋ってるみたいな」

「片言なんてみんなそんなものだろうが」

「だからそこを脱しようって言ってるのに」

「お姉さん、一緒に」


 ふたりがかりで責められ、遂に窮してルキシスは黙り込んだ。


『なおひとつ、あなたに言っておきたいことがある』


 沈黙したルキシスに対し、ギルウィルドが古クヴェリ語で何か言ってくる。やはり揺蕩うような、拍をとるようなところがある。


『何事だ』

『人の寝所に女人を送り込むのはやめていただきたい』


 やはりその話がしたかったのか。


『成り行きで』

『せめて事前に一報入れるように』

『上手くやっただろうな?』

『残念なことではあるが、新しい情報は特にはない』


 早口で交わされる古クヴェリ語にユシュリーが目を白黒させている。


「すまない。こちらの話だ」


 ひとりだけかやの外に置くのは無礼な話だった。でもどうしてももうひとつだけ、ルキシスには確かめたいことがあった。


『おまえはいつからその林檎の木の陰にいたんだ』


 ギルウィルドを睨みつける。


『悪気はなかった。声を掛けづらかった』

『いつからそこにいた』


 彼は逡巡する様子を見せた。もちろん、言葉が見つからないわけではない。ただ答えを口にするのをためらっているのだ。


「ギルウィルド」


 強い口調で名前を呼んだ。


『……意志を持たないお人形』


 舌打ちしたくなる。他の誰にも聞かれたくなかったところを。ユシュリー相手だと思って口が軽くなりすぎた。


「リリ、悪かった。誰にも言わない」

「もういい」


 嘘をついてごまかすこともできただろうに、そうしなかっただけまだこの男にもまっとうなところがある。そう思うことにしておく。


「お姉さん」


 ユシュリーが狼狽した様子で二人の顔を交互に見る。

 いつの間にか随分と顔が強張っていた。自らの頬に手を添え、道化に徹して笑ってみせる。上手くいったかどうかは定かでない。


「いや、喧嘩をしているわけではない」


 同じ台詞を、昨夜はギルウィルドの方が口にしていた気がする。


「ユシュリー、一緒にヒルシュタット語を学ぼう」

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