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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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4.田園生活(3)

男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

1日あたり1、2話くらい更新します。

「どうすれば……」

「まず、言いよどまないこと。眉を下げないこと。胸を張って姿勢をよくして。それから、事前に台本を考えておくんだ。それもたくさん。相手がどう出てきても太刀打ちできるように。台本の中身を頭に入れて。何度もやるうちに、臨機応変な対応もできるようになってくる」

「お姉さんもそうしてきたのね?」


 ユシュリーが瞳を巡らせてルキシスを凝視した。

 その視線を受け止め、少し居心地が悪くなる。


「ユシュリー」


 水草の緑を映した水面に目をやりながら呟く。苦笑いにも似た微笑みが勝手に浮かびかけ、それを打ち消すように努めて表情を消した。


「わたしがおまえくらいの年頃には、わたしは……、何者でもなかった。意志を持たないお人形のような、そう、そうだな。お人形さんだ」

「うそ。お姉さんが?」

「自分の意思なんてなかった」


 ぼんやりとあたたかく、柔らかな白い夢の中で生きているようなものだった。

 ずっとそうやって生きていくと思っていた。その中で幸せなこともいくらかはあったのだ。


「だけど、ひとりで生きていかなければならなくなった」

「だからお姉さんは何でもできるのね」

「何でも?」


 驚いて傍らの少女を振り返る。深い栗色の瞳をまだ真っ直ぐルキシスに向けたまま、彼女は身を乗り出した。


「お裁縫も得意。村を守る方法についても詳しい。それに男のひとと決闘ができるくらい強い」

「決闘は……」


 人殺しが得意というだけだ。暗殺者の剣と言われるほどに。決闘などという御大層なものではない。


「お姉さん、わたしに剣を教えてくれませんか? わたしも剣が使えれば――」

「駄目だ」


 即座に言い切る。鋭い口調に、ユシュリーは気圧されたような顔をした。


「おまえには向かない。向いていたとしても、わたしは教えない」

「どうして」

「一線を越えればもう戻れない」


 人を殺すことが簡単になる。ためらわなくなる。

 痛いほど、自覚している。いつもいつも、いつでも殺せると思えるからこそ安心していられる自分がいる。

 それがなければ安心できない。夜、眠ることもきっとできない。


「おまえは違う方法で戦え。武力が必要なときは、武力を持つ者を引き入れて味方にしろ」


 ユシュリーは何か言おうとして、言葉を探しあぐねた様子で口をつぐんだ。

 少女は傷ついただろうか。だが、こんなことで傷ついてもらっては困る。


「……違う方法っていうのは、つまり、さっきお姉さんが言ったような手段でということね?」


 しばらく黙った後、ユシュリーは考え考えそう言った。


「そう」

「言いよどまない、眉を下げない、姿勢よく、相手がどう出てきてもいいように台本をいっぱい考えて頭に入れて」


 一度言っただけのことをよく覚えている。存外、頭の回転の速い娘だったか。

 それによくよく考えてみれば、素養はあったのかもしれない。初めて会った時、ジャデム家の領内で乱暴狼藉は許さないと声を張り上げた彼女の姿をまた思い起こす。


「交渉をおまえの武器にしろ」


 交渉によって味方を多く作れれば、不得手なことも味方の誰かが補ってくれる。その方が、一人で戦うよりずっと強い。大きな力になる。

 ルキシスにはできないことだ。


(わたしは)


 ひとりがいい。


「だが、最低限の護身術は今度教えてやる」

「ありがとう!」


 ユシュリーはいかにも嬉しそうに表情を緩めた。


「お母さんがね」


 傍らに座り直し、少女はルキシスに身を預けて凭れ掛かった。甘える仕草を咎める気にならなかったのは、自分もこの牧歌的で平和惚けした村の光景に毒されてしまったのだろうか。


「たくさん勉強しなさいって。あなたはヴィユ=ジャデム家の相続人になるんだから。領地を統治して、お父様に恥じないような女領主になりなさいって」


 実にまっとうな女傑の言葉である。


「お父様はわたしが随分小さい頃に亡くなって、肖像画以外の顔は分からないの。でもすごく優しそうな人で、お母さんとは大恋愛だったって。お父様とお母さんを知ってるひとたちはみんな口をそろえてそう言うの」


「……そう」


 大恋愛か。どんなものだか知らないが。


「だけど結婚はできなかった。身分が違うから仕方ないことね」


 ユシュリーが身に着けている飾り帯に目をやった。皇帝の王冠を彩っても不思議のない輝きのエメラルド。田舎の地主風情には分不相応な。元はジャデム家の宝物だったというものを、愛妾愛しさに目の眩んだ馬鹿な跡取り息子がくれてやったという。


「お母さんはお妾だったから……、意地悪もいっぱいされて、みんなからも馬鹿にされて、でも、一生懸命村を守ってた」


 わたしもお母さんみたいになりたい。

 ユシュリーはそう言う。


「そうか」


 周りから後ろ指を差されても、領地を背負って前面に立つ。そうそうできることではない。


「それにお姉さんみたいに賢くなりたい」

「そ……そうか?」


 賢いだろうか。賢ければ今こんなところにはいないのではないかとも思う。でも、もしそうだったらよかった。


「お姉さん、リーズ語は母語じゃないって昨日言ってたけど、すごくお上手ね。母語じゃないなんて全然分からなかった」

「あ? ああ、うん」

「他にも話せる言葉はある? 例えば古クヴェリ語とか」

『ある程度ならば』


 ユシュリーの口にした古クヴェリ語でそう返してやる。


「ああやっぱり!」


 ユシュリーがぱんと音を立てて手を打った。


『どうした』


 密談でもしたいのだろうか。よく分からないのでひとまず古クヴェリ語で続ける。


「ううん、お母さんがね、ジャデム家の娘なら古クヴェリ語は習得しなくちゃだめだって言って家庭教師も付けてくれたんだけど、わたしったら一向に上達しなくて」

『ご母堂の言葉は正しい』


 古クヴェリ語で話す民族は滅亡していて既に存在しない。だが彼らの残した智慧と文化は根強く残っており、特に貴族階級においては基本的な教養のひとつとなっている。宮廷でも話すのは宮廷リーズ語で書くのは古クヴェリ語、というのはよくあることだった。つまり貴族階級では、古クヴェリ語を解さないものは爪弾きにされる。後は神殿の僧侶たちか。宗教儀式の大半は古クヴェリ語で行われるし、当然祈祷書なども全て古クヴェリ語だ。


「ごめんなさい、お姉さん、なんて?」


 ユシュリーは理解できなかったようだった。リーズ語で言い直してやろうとする。


「お母上の言葉は正しいって言ったんだよ」


 男の声が割り込んできた。気配に気づくのが遅れたのは、つまり気配を消すのが随分と上手い相手だということだ。

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