4.田園生活(1)
男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
1日あたり1、2話くらい更新します。
夜はユシュリーの部屋で休んだ。女主人の部屋に似つかわしい豪奢な寝台は、ひとふたり並んで眠るのに不自由もなかった。
十分な綿が入れられた寝具は軽く柔らかく、こんなにも心地よい寝床はあまりに久々だったので――ルキシスはつい寝過ごした。
朝方、誰かが部屋の中に入って来て初めて気が付いたのだ。慌てて跳ね起き、枕の下に隠した小剣を握りしめた。
入ってきたのは昨日の刺繍の苦手な女中だった。つまりはギルウィルドがたらしこんだ例の女である。
「……お客人もこちらでしたか」
忌々しげに片頬を引きつらせ、彼女はあいさつ代わりにそう言ってよこした。ひとまずおはようとだけ返しておく。
「お嬢さん、起きてください。朝食に遅れますよ」
ユシュリーはまだ寝床の中で寝具にくるまっている。召使に声を掛けられ、うう、と呻く。
「ユシュリー」
女相続人に声を掛けながらルキシスも寝台から降りた。肌着姿である。何を着ようか迷った。ギルウィルドはいつもの男装の方がよいと言っていたが、どういう意図なのかは聞きそびれた。ルキシス自身も着慣れた服装の方に心を惹かれるのだが、そうすればあの男の言うことに唯々諾々と従ったような気もしてそれはそれで癪だった。
「お客人のお世話はあたしの仕事じゃありませんからね」
洗面のための盥を脇机に置きながら女が吐き捨てた。
「お構いなく」
欠伸を噛み殺す。
「朝食に出るならちゃんとした服装をしてくださいよ。ジャデム家の名に関わりますから」
一介の召使いにしては随分な口のききようだが、つまりは食事の席に男装は認められないということである。猪男ことブリャックの方針のとおりに。
仕方がない。昨日与えられた女物の中着と長胴衣を着て、髪は――髪はどうしよう。自分で結えるだろうか。昨日手伝ってくれたのは別の女だったから、もう一度よこしてもらうか。
「お嬢さんったら」
寝台の上に座り込んだまま寝ぼけ眼をこすっているユシュリーの腕を掴んで、女がむりに床の上に立たせる。上手く地面がつかめなかったのか、ユシュリーのからだが傾いだ。転倒するほどのことではなかった。だがあまりに乱暴だ。
その後も女は荒っぽいやり方でユシュリーの身支度を続けた。びしょびしょの手拭いでごしごしと顔を擦り、彼女の肌着はしたたった水ですっかり濡れそぼった。その上から中着をかぶせ、更には乱雑に丸めた長胴衣を頭から押し付けるようにかぶせてひっぱり、靴などはもはや履かせてやりもしない。爪先でユシュリーの足元に蹴りやっただけだった。
ユシュリーは文句ひとつ言わずけなげに耐えている。それはルキシスにとっては歯がゆく不快でもあった。耐えるような場面ではあるまい。ふざけた態度を改めなければ馘首だと言ってやればいいものを。そう思うがそれでは解決しないということも分からないではない。屋敷を切り盛りするのは実質的には使用人たちなのだ。実のところ主人ひとりにできることなど何もない。使用人たちに背を向けられれば後には主という虚像の無力な実体だけが取り残される。
ルキシスが着替えを終えた頃、ユシュリーは化粧台の前に座って髪を結っているところだった。もちろん、実際に手を動かしているのは召使いの女の方だ。豚毛のブラシを構えてユシュリーの頭に添えたと思ったら、その途端にユシュリーの頭ががくんと後ろに引っ張られた。ぶちぶちと音がして、栗色の髪の絡まった部分が束になって千切れるのが見えた。
髪を引き抜くというのは拷問の一種としても使われるくらいの強い痛みだ。朝から気が滅入る。
「そう言えばあなたに会ったら伝えてほしいと言われていた」
ユシュリーと女の背後に立ち、ルキシスは声をかけた。
「お姉さん?」
「ユシュリーでなくてそちらのあなたに」
「……あたしですか」
不審を顔いっぱいに浮かべ、女はルキシスを振り返った。
「連れから」
「……お連れさんとはどういう」
「仕事仲間だ」
その説明を何度もしているような気がする。
「朝、包帯を替えたいからできればあなたに部屋に来てほしいと。それからあなたのことをもっと知りたいって」
もちろん嘘である。そんなこと、ギルウィルドからは一言も聞いていない。だがあの男にはこの女でも他の女でもいいから、収集できる限りの情報を得てもらわなければ困る。
女の不審の感情の中に揺らぎが兆すのが見えた。頬に少しの赤みが差し始めている。
「ここは引き受けるから行ってやってくれないか。あれも怪我をして難儀していることだろうから」
「……いいんですか」
「誰にも言いつけたりしないから」
昨日邪魔をしたせめてもの詫びに、と付け足すと女は化粧台の上にブラシを置いた。
「そうじゃなくて。お客人は彼とは本当に仕事仲間なんですか?」
「本当にそうなんだが」本当の本当にそうなのだが。「疑わしかったら連れに聞いてみてくれ。きっとわたしの悪口には不自由しないだろう」
陰険とか、狂暴とか、いつ刃物を持って襲ってくるか分かったものでないとか、あれにももしかしたら言いたいことは色々あるかもしれない。
「ただ利害が一致している間だけは手を組むこともある、というだけだ」
――本当の本当に。
女は全てを信じたわけではなさそうだが、それでも仕事を放棄して情夫の元へ行く口実を得たことでそちらを優先することにしたようだった。
「お客人がいいって言ったんですからね。朝食には遅れないでくださいよ。遅れたらあたしがブリャック様に怒られるんだから」
そう言い残し、そそくさと部屋を出ていった。心なしか足音には浮き立つような響きがあった。
「お姉さん、あたしのために?」
「あいつなら上手くやるだろう」
化粧台の前に座ったままのユシュリーの元に歩み寄る。さて、髪をどうしよう。
「ユシュリー、昨日わたしの身支度を手伝ってくれた女のひとがいただろう。彼女を呼べないか? 彼女に手伝ってもらえたら――」
少なくとも今の女のような乱暴な真似はしない女だった。殊更好意的というわけではないが、淡々と仕事をこなしていた。
ごめんなさい、とユシュリーが眉を下げる。
「あの侍女はブリャックの侍女で……その、愛人さんなの。だからわたしがお願いするのは難しくて、ブリャックから指示してもらわないと」
呆れた。あの猪男、愛人連れで屋敷に乗り込んで来ていたのか。
「……愛人がいるならその愛人で満足しておけばよいものを」
なのに年端もいかない少女に。
金のため。あるいはそうでなくても。そうしようと思えばそうできる。そう、それだけのこと。
(理由なんてないんだ)
――それだけのことに踏み躙られる。
とりとめのない思考が束の間ルキシスの脳裏を支配した。
「お姉さん?」
知らず知らずのうちに顔が強張っていた。声を掛けられて我に返る。
「ああ、すまない。ちょっと考えごとを」
「髪のことなら心配しないで!」
殊更に明るい声を張り、ユシュリーが笑みを作る。豚毛のブラシを取り上げ、絡まっている自らの毛を取って屑籠に入れ、それからルキシスを見上げてまた微笑みかけた。
「わたしね、あんまりこういうことは自分でしちゃ駄目って言われてたんだけど、髪を結んだりお化粧したりするのが好きなの」
「ほう」
良家の令嬢は身の回りのことは全て侍女に任せて自らの手は用いないものだから、自分でしてはいけないと指導されるのは令嬢教育の一環ではある。下手に自分自身で身繕いなどしようものなら却って下品に思われるのだ。昨日は好きなことなど思いつかないと言っていたが、ユシュリーの関心はそうした方面にあったのか。
「お洒落が好きか」
貴婦人というものは、身支度という作業そのものは侍女に任せても、装いには洒落た美的感覚の発揮を求められるものである。
「結構上手にできるのよ。お姉さんの髪ももしよかったらわたしが結ってあげる」
「女主人のおまえが?」
「今はふたりしかいないんだもの。誰も分かりゃしないわ」
本人がそう割り切っているのならば構わない。分かった、とルキシスは頷いた。
「あとお化粧も! お母さんの化粧道具があるから」
「あ……、ああ」
段々と要求が降り積もってきた。いや、これは要求と表現するべきものだろうか。
だがユシュリーが初めて楽しそうな様子を見せたので、まあいいか、と思っておくことにする。
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