3.密約(9)
男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
1日あたり1、2話くらい更新します。
「ユシュリー」
扉のわきに立つギルウィルドの横をすり抜け、ルキシスは少女の肩に手をやった。
「今、それとも話してたんだがな」
顎をしゃくってギルウィルドを示す。
「もしおまえさえよければしばらく厄介になれないだろうか」
「えっ」
少女の頬に赤みが差す。喜色が隠しきれず滲み出る。
「本当に?」
「思ったよりもそれの傷が深かったようで、少し養生させてもらえると助かるんだが」
ギルウィルドは何も言わなかった。横目で見ると、何か言いたそうな顔はしていたが。
「あ、ああっと、お兄さん、お加減はいかが?」
「おかげさまで」
何か言いたそうな顔をあっさりと振り捨てて、ギルウィルドは笑顔を振りまいた。それだけ見れば人好きのする、特に若い娘に好まれそうな笑顔だった。見れくれの良さというご自慢の武器を存分に活用していると言える。
「あの……、お兄さん、約束してくださる?」
「なにを?」
笑顔は崩れない。浅薄さは拭えないにせよ。ルキシスが悪意を持って見るからそう見えるだけかもしれないが。
「お姉さんに乱暴なことしないでください」
「え……えー、ええー、したことないよ、そんな」
それは嘘だ。城壁から蹴り落としたり、長剣で斬りつけたり、顔面に石を蹴り飛ばしてきたりしたくせに。
「お姉さんに望んでいない結婚を無理強いするのもやめてください」
「え?」
何の話、というような顔でギルウィルドはルキシスを見た。ヴェーヌ伯、と唇の動きだけで伝えてやる。
ああそういうこと、と彼は疲れたように呟いた。
「びっくりしたよ。おれがリリにむりやり結婚を迫ってるみたいに聞こえた」
「面白くない冗談だな」
「おれにとってもね」
ならば言わなければいいものを。
「約束してくださるならお兄さんもいてくださっていいです」
「もちろん」
再びギルウィルドは微笑みを浮かべた。先ほどの刺繍の苦手な女中あたりであれば一瞬で蕩けきりそうな、胸焼けしそうな微笑みだった。まだ幼いからか、ユシュリーにはいまいち通じていないが。
――彼女は男を信用しないだろう。
ギルウィルドはそう言っていた。確かにそうだろうが、そうでなくてもこんな男を軽々しく信用されては困る。ユシュリーに、篭絡される気配がないことは幾分ルキシスを安心させた。
(そもそもこんな小娘に色目を使うな)
とも思ったが黙っておく。ギルウィルドにしてみれば色目のつもりはないのかもしれない。稚い少女に威圧感を与えないように努めて笑顔を浮かべているだけで。色目に見えてしまうのは、この男の生来の性か、それともやはりルキシスに悪意があるからか。
「お姉さん」
ユシュリーがルキシスをじっと見つめた。迷うような影が揺らめいている。いや、それはルキシスの持つ手燭の炎の揺らめきが映っているだけなのか。
どうした、と視線だけで彼女に返す。
「あの……、あの、もしご迷惑でなかったら……、一緒に寝てもらえませんか」
やはりユシュリーは言いよどむ。それでも何とか言葉を絞り出し、懇願の眼差しをルキシスに注ぐ。
信用するなと言ったのに。
出会ったばかりの人間とふたりきりになるなんてもってのほかだと。
そんなことでは今回エメ家の連中を撃退できたとしても、その先が思いやられる。
「……この家の主はおまえだ。だからおまえが決めたことにわたしは従おう」
あの兄弟たちが、客人もいる中今日の今日で不埒な真似を働くとは思いたくないが、その可能性も全くないわけではない。もしもそうなった時、彼女のそばにいた方が対処も容易なのは事実だ。
「……お姉さんがお嫌だったら断ってもらってもいいです」
「嫌だとは言っていない」
よかった、と小さな声でユシュリーが呟いた。
夜は深さを増していく。今日は色々なことがあった。ユシュリーにとってもルキシスにとっても。
「もう休もう」
そう声をかけるとユシュリーは素直に頷く。
「リリ」
ユシュリーの背を押して部屋を後にしようとしたルキシスをギルウィルドが呼び止めた。肩越しに振り返ると、彼は何かを言いかけて止めた。
「なんなんだ」
「――いや、その。余計なことかもしれないし、きみには心配いらないとは思うけど」
要領を得ない物言いをする。
「はっきり言え」
「その服は脱いだ方がいいかもしれない」
「は? ここで?」
何を言っているのだ、この男は。
「そんなこと言ってねえだろうが」
しかし何を言っているのだと思ったのは向こうも同じようだった。つい、といった様子でギルウィルドの口調が乱れる。今日はどうにも気が立っているようだ。しかし女相続人の前であることを思い出したからか、彼はすぐに言葉遣いを改めた。
「勘弁してくれよリリ、ひとのことを変質者みたいに」
変質者――ヴェーヌ伯――の手先なのだから似たようなものだ。そう言ってやろうかとも思ったがやはりユシュリーの前なのでそれは言わないでおいてやる。
「じゃあなんなんだ」
髪を結ったのも、化粧をしたのもルキシス自身ではなかった。猪男が寄こしてきた召使いの女が身繕いを手伝ってくれたのだ。自分自身で行うのは難しかったので手伝ってくれたのは助かったが、もしかしたらものすごく珍妙な仕上がりだったのかもしれない。そんなに変な感じはしなかったが――少なくともルキシスには最近の流行などは分からない。ギルウィルドはそれを見かねて忠告しようとしたのだろうか。
「お姉さん」
揉めごとの気配を忌避するようにユシュリーがルキシスに身を寄せた。心配いらない、ということを示すために頷いてみせる。実際、何の心配もない。この男と揉めごとになったところでいつでも殺せる。特に手負いの今ならば。
「おれはただ普段みたいな服装に着替えた方がいいって言いたかったんだよ」
「なら初めからそう言え」
確かにいつもの男装の方がこの男を殺すのにも苦労しないだろう。それを思えばなかなか得難い忠告である。
「すみませんねえ、北国の田舎者なんで。リーズ語は母語じゃないんで咄嗟に言葉が出て来なくて」
ギルウィルドは臍を曲げたようだった。ふてくされた口調で投げやりに言う。
「わたしだってそうだが」
「あっそう」
それは本当のことだった。リーズ語はこの地域の基本的な言語だが、それだけでなく大陸全土で広く使われていて事実上の共通語のようになっている。もちろん、宮廷で話される宮廷リーズ語と庶民が用いる大衆リーズ語とでは発音や文法にかなりの差があるが、いずれにせよ傭兵はリーズ語が話せなければ話にならない。雇い主と会話をするときにはまずはリーズ語から入る場合が殆どだ。
「お姉さん、とってもきれいよ。でももしお気に召さなければ何か他の服を用意します」
ユシュリーが口を挟んだ。焦ったような気配が窺える。もちろん、彼女が焦ったり心配したりするようなことは何もない。
「ユシュリー、それの言うことはあまりに気にしなくていい」
「でも、あの、お姉さん……、お兄さんも」
「いや、喧嘩してるわけじゃないんだよ」
不機嫌に細めていた目を和らげて、ギルウィルドは少しは取り繕おうという努力を見せた。
「おれが口を出すことじゃなかった。リリが自分で判断してくれ」
「当たり前だろう」
そう言い残して今度こそ部屋を出ようとしたが、ふと寸前で思いとどまった。
「ギルウィルド」
半身を引いて馴染みの傭兵に向き直る。彼が幾分距離を取ったのは何事かを警戒したからだろう。
「香油を弁償しろよ」
「香油?」
「姐さんがわたしにくれたんだろ? おまえのせいで台無しになった」
ついでに馬と荷物も失ったがそれはまけておいてやる。
「ああー……、はい。分かりました」
ギルウィルドは嘆息しながら頷いた。実に見事な諦念の表現だった。
「言いたいことはそれだけだ」
はいはいお休みなさい、と発せられた声は再び投げやりさに塗れている。
彼にしてみても、今日は色々な出来事があったからいささか疲れがあったのかもしれない。何と言っても土手っ腹には穴が開き、随分と血も失ったようだから。
良い夜を、と言えば皮肉にしかならないので黙っていた。皮肉を言ってはいけないというわけではなかったが、強いて言うほどの理由もなかった。
「お兄さん、あの、良い夜を」
もちろん、同じ言葉でもユシュリーが言えば皮肉にはならない。
きみたちも、と返って来た声は少しは平静さを取り戻しているようだった。
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