8.嫁ぐ女と別れた女(1)
食事の席を分けようとルキシスが告げてから、実際、彼女が――ついでにギルウィルドも――ジャンやフリーデヒルトと一緒に晩餐のテーブルを囲むことはなくなった。ジャンは不満そうだったが自分たちばかり特別な食事を与えられるのも他の兵卒や使用人たちの手前憚りがあるのでその方が気が楽だった。だが「食事の後は付き合う」というルキシスの約束は守られ、夜更けの酒宴はそれなりの頻度で催されていた。そしてどういうわけか、毎回、ギルウィルドもそこに駆り出されていた。リュドは露骨に邪魔そうな目を向けてきたが例によってルキシスの眼前で意地悪もできずに無言で非難の眼差しを送るにとどまり、ジャンの方はもちろん内心では邪魔だと思っているだろうがそうとは見せずに丁重にルキシスの友人をもてなし、ルキシスは必ず酒宴の前にギルウィルドを誘いにやって来る。本人が来られない時は、人を寄越す。
遠慮しようかと思ったこともある。別に自分がそばについておらずとも危ないことはないだろう。ジャンは彼女を口説くかもしれないが、力ずくでどうこうということはあるまい。彼女だって大人なのだから自分で何とかするはずだ。
だがわざわざルキシスが誘いを投げてくるのには、彼女の何らかの思惑を感じないではいられなかった。それで結局、毎度彼女に同席していた。
酒宴ではキシスの趣味の怪談話や過去の思い出話に花が咲くことが多く、概ね和やかな雰囲気だった。怪談話は主としてリュドが蒐集してきたという各地の奇談を聞く場となったがルキシスは興味深げに耳を傾け、ある夜遂にノートを再び作ることに決めたという。それ以前から、ジャンが彼女に紙束やペンやインクを贈っているのは知っていた。その晩彼女はそれらを酒宴のための天幕に持ち込んで、リュドの語る話を書き留め、そこから興が乗って彼らの間で過去に語った既出の怪談を再び語り合い、それらも素早く紙に書き込んでいった。それは備忘録のようなものであり、後で清書してまとめるのだという。実際、後に彼女がまとめたノートをギルウィルドも見せてもらった。彼女の書き言葉は話し言葉よりも修飾的で、筆跡も嫋々として、普段彼女が傭兵として契約書に綴る文字とはだいぶん趣が異なっていた。
ルキシスがノートを作り直すと決めたということを、ジャンとリュドはいたく歓迎していた。その方が彼女らしい――というのが、彼らの知る彼女の姿のようだった。
ルキシスは楽しそうだった。白蹄団の気心の知れた面々と酒を酌み交わしている時ともまた違う顔を見せていた。
しかし、ギルウィルドにも怪談の提供を求めてくるのには閉口した。唯一のネタは既に披露してしまっていた。仕方なく、神殿で見聞きした苔むしたような古臭い怪談を、神殿という組織であることを隠し、あるいは別の何かに置き換え、彼らに語り聞かせた。古臭い怪談でも一応、ルキシスは手元の紙に書き留め、ジャンもリュドも几帳面に感想を述べてくれた。ご丁寧なことである。
過去の思い出話については当然ギルウィルドの知らない内容ばかりだったが、ルキシスもジャンも細かく補足を入れてギルウィルドが話の輪に入れるよう配慮を絶やさなかった。ジャンは――彼は帝国を代表する大貴族である。ギルウィルドのような傭兵風情を客人としてもてなす義理は当然ないが、彼の思い人の友人という特別枠に対するそれこそ特別な待遇としてそうしていたのだろう。そういう意味では、身分からすれば不自然ではあるにせよ、彼のふるまい方は理解ができた。しかしルキシスの方は――やはり彼女らしくないと思った。そんな心配りをしてまで、自分をここに引き入れたい目的が何かあるのだ。思えばこの花嫁行列に合流してから、彼女はずっとそうだった。妙にジャンの弁護をしてみたり、こちらの顔色を窺うようなそぶりを見せたり、酒席に誘ったり――。
(なに考えてんだか)
分からない。彼女のことなんて、さっぱり。なにひとつ。
酒宴には時折フリーデヒルトが姿を見せることもあった。怪談話は彼女の好みではないようなので、その時は必然的に過去の思い出話や世間の噂話など、他愛ない話題が多くなる。間もなく花嫁になるという彼女のために、特にめでたく華やかな話が中心となった。たとえば、年明けにはジャンの妹のひとりに子どもが生まれる予定だ――などといったような。
その妹とルキシスとは面識があったらしい。ルキシスはその報を受け、何故か一瞬ひどく驚いた様子を見せた。狼狽したと言い換えてもいい。だがすぐにそれを表情の下に押し隠し、別のことを口にした。
「お祝いをどうすればよい」
「エリザはあなたから心のこもった手紙でももらえれば喜ぶはずだ」
ルキシスの問いにジャンはそう答えた。エリザというのが彼の妹の名前であるという。
「エリザは金髪に真っ青な瞳でしょ。だったら、青い宝石をあしらった金細工のブローチは?」
そう具体的なことを言ったのはフリーデヒルトだった。
「わたしだったら手紙なんかいらないな。うん、小間物の方がいい。そうしよう」
ルキシスはあっさりとジャンの提言を退けてフリーデヒルトの案を受け入れた。男性陣は若干、釈然としない顔になった。婦人の方が実は合理的であるというのはこういうところだろうか。
「といってもわたしにはユーリヒェンベルクの姫君に贈るような小間物を仕立てられるだけの伝手はない。ジャン、悪いんだけど、おまえに金を預けるからユーリヒェンベルク家の出入りの職人に何か作らせてエリザに贈ってやってくれ。おまえに任せる」
「ならうちに来てあなたが実際に職人に指図するといい」
「いや、おまえの城には行かないけど」
ルキシスは若干目を細めて呆れたようにジャンを見た。しかしジャンもへこたれない。
「冬の屋敷に来なかっただろう。エリザも久々にお姉様にお会いできると楽しみにして新年の宴には今の夫とともに顔を出していたのに」
「お姉様じゃないし」
「エリザは今でもあなたのことをお姉様と呼んでいる」
「わたしの知ったことではない」
お姉様か。単純に彼女がエリザなるジャンの妹より年上である――のだろう、たぶん――という以外に、諸々の含みを持った呼称である。
「もういい。ジャンに頼むと上手くいかなそうだ。リュド、代わりに頼まれてくれるか?」
突然ルキシスがそう話題を振ったので、リュド少年は震えあがった。恐る恐る、横目でちらちらと主人の顔を窺っている。
「あの、ええ、旦那様のお許しがなければ、わたしのような者には――」
「もういい。役に立たない者どもめ」
悪辣な呪詛を吐いて、ルキシスはその話題を終わりにした。可哀想なリュドは真っ青な顔をしている。ジャンの方は平然として軽く肩をすくめただけだった。
かようにふたりはしばしば意見が一致せず、時には冷ややかに睨み合うこともあったが、それで関係性が損なわれるというわけでもなく、要するに遠慮がなかった。お互いに。
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