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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵の結婚狂想曲
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4.女傭兵の秘密の趣味(6)

 恐ろしいというよりは不思議な話、などとリュド本人は言っていたが、後者の話はだいぶん不気味な話ではなかろうか。

 ルキシスはどちらも興味深げに聞いていたが、どちらの話が気に入ったかとリュドに問われると、どちらかといえば後者かなと答えていた。


「そうでしょう。ルキシス様はこちらの方がお気に召すと思っておりました」


 リュドは予想が当たって嬉しそうだった。怖い話は苦手だったのではないかとも思ったが、それ以上にルキシスを喜ばせることができたのが彼は嬉しいのだろう。健気な忠誠心である。

 一方、リュドに代わって青い顔をしているのはフリーデヒルトだった。


「だが両方とも珍しくて面白い話だったぞ。話はほかにもあるのか?」


 ルキシスがつまみを口に運びながらリュドに向けて訊いた。リュドは顔を輝かせ、もちろんと言ってまた帳面をめくった。


「いい加減にしてよ!」


 フリーデヒルトが声を上げ、身を乗り出してリュドの手から帳面を奪い取った。


「食べられる土だの消える死体だの、気持ち悪い話ばっかり! 頭おかしいんじゃないの?」


 瞬時にジャンの表情が険しくなった。彼は無言でフリーデヒルトの腕を捻り上げた。貴族の令嬢に対してずいぶんと荒っぽいやり方だった。フリーデヒルトは呻き声を上げ、それでも帳面を放さない。相変わらず、なかなか根性が据わっている。


 だが感心している場合ではない。止めなければと咄嗟に腰が浮く。制するように、その眼前にルキシスの腕が伸びてきた。制するように――というよりは明確に、制するためにそうしたのだ。

 彼女は身を乗り出し、フリーデヒルトから帳面を取り戻した。折れ目のついたのをなるべく伸ばしてやってから、それをリュドに渡してやっている。


「フリーダ。リュドは帝室騎士団の小姓である。その意味が分からないのか」


 ジャンの声はやはり地を這うように低い。


「何よ、知らないわよ! ジャンの小間使いってことでしょ。平民の子どもが何だっていうのよ」

「平民であろうと帝室騎士団に属するということは畏れ多くも皇帝陛下の使用人である。そのお役目としてぼくの小姓を言いつかっているに過ぎない。おまえはいつから皇帝陛下の使用人にそのような無礼を働ける身分になった」

「皇帝陛下皇帝陛下って――」


 フリーデヒルトの声が一段高くなった。危うい、と思ったのと同時に、ルキシスがぱんっと高い音を立てて両手を打ち鳴らした。


「それ以上は駄目だ、フリーダ。それ以上言うならジャンはおまえを処罰しなければならなくなる」


 不敬罪である。


「出しゃばりな女ねっ」


 そうやってまたルキシスの悪口を言ったので、彼女はますます腕を捻り上げられたがまだへこたれない。そろそろ大の男でも悲鳴を上げそうな具合ではないかと思うが。


「わたしは皇帝の臣民ではないからいくらでも悪口言い放題だが」

「いや、あなたでも駄目だ。聞けば罰せざるを得なくなる」

「言い放題だが」

「いくらあなたであっても駄目なものは駄目だ」

「おまえは一応皇帝の臣民だろう」

「一応って何よ! あたしは由緒正しいユーリヒェンベルクの一族の娘よ!」

「それならばそれにふさわしいふるまいをせよ」


 ようやくジャンが彼女の腕を解放した。フリーデヒルトは捻られた腕の筋を辿るようにもう片方の手でしきりにさすり、キッと眦をきつく吊り上げてジャンとルキシスを交互に睨みつけた。


「そんなに怖い話が聞きたいならあたしが話してあげるわ。あるところにひとりの高貴な姫君がいました。姫君は両親に大切に育てられ、大層美しく育ちました。ところがある時、何ということでしょう。皇帝の命令で会ったこともない、肖像画でしか顔も知らない、文明の光の届かぬ恐ろしい辺境の蛮族の元へ嫁がなければならなくなったのです。世の中にこんなに恐ろしいことがあるでしょうか」


 白けた空気が天幕の中に満ち満ちた。

 それは自分自身のことか。


 ジャンは呆れ返って唇を妙な形に歪めているし、リュドも似たような顔だった。ギルウィルドは努めて無表情を装った。呆れていないわけではないのだが、所詮は他人事なのでそれをひけらかすのも筋違いかと思ったからだ。

 ルキシスだけは、飄々としていた。


「諦めろ。結婚と出産だけが貴族の娘の唯一の仕事だ」


 唯一と言っておきながらふたつも挙げて、ルキシスはまた菓子に手を伸ばす。


「なによ」


 フリーデヒルトの眉根がぐっと寄った。無理もない。ルキシスの言うのは暴言に等しい。


「それもこなせないようなら、おまえはユーリヒェンベルク家に何のために生まれてきたんだ?」

「あたしはそんなつまんないことのために生まれてきたっていうの?」

「つまらないかつまるかは知らんが。貴族というのは家の存続と拡大が仕事で、誰しもがそれに囚われている。男も女もな。その中で女にしか果たせない役割がある。結婚ってのはつまるところ、女を媒介とした資産の交換なんだ。そうすることによって今後の家の拡大が期待できる時に行う。おまえはそのための通貨」

「なっ、なっ、なん――」


 ルキシスが更に身も蓋もない意見を重ねたため、フリーデヒルトは赤くなったり青くなったりと忙しい。ふと見ると、ジャンは渋い顔をしていた。あまりそういうことを言ってほしくないと思っているのは伝わった。何か言うのであればせめて、結婚に前向きになれるような何か、女の幸せとか、そういうことを説いてほしいと思っているのではないか。


「なによ! おまえなんて結婚もできないくせに知ったような口を、偉そうに――」

「結婚の経験くらいある」


 あまりにあっさりと、淡々と、何の感情も込めずに彼女がそう流したので、一瞬、誰しもがそれをまともに受け取らなかったのではないか。


「え」


 フリーデヒルトがぽかんと口を開けたのと、ギルウィルドがようやく言葉の意味を飲み込んで彼女を凝視したのと、ほとんど同時だった。


「わたしにも結婚の経験くらいはある」


 もう一度、ルキシスはそう述べた。

 ジャンやリュドはそのことを知っているのか。いや、誰にも言ったことがないと言っていた。アラムたちにさえも。

 リュドが驚愕の眼差しを彼女に注いだ。

 ジャンからはぽっかりと表情が抜け落ちていた。

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