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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵の結婚狂想曲
144/166

4.女傭兵の秘密の趣味(4) 女傭兵の語るところ

大☆怪談大会です。ホラーが苦手な方はスキップしてください(でもこれは本当に怖くありません)。

◆◆◆


 あれはわたしが――やっぱり十五、六歳くらいの時のことだったか。傭兵としては駆け出しの時期を過ぎて、多少は稼げるようになっていた。え? ああ、どうだったかな。ジャンと知り合うより少し前のことだったように思う。その時わたしは、それなりの規模の合戦に参加していた。大規模でこそあったが、騎兵どもが突撃して正面衝突、その後ろをちまちま走って歩兵は歩兵同士で白兵戦という、ごく普通の戦闘だった。わたしも徒歩で剣を振るって、何人か倒した。周囲には同じような歩兵どもが数えきれないほど、密集しながら戦闘を続けていた。辺りには剣戟の音が響き渡り、負傷した者たちの呻き声が地を這うようだった。まあ、要するにごく普通の戦場だった、ということだ。


 わたしは調子よく敵を倒し続けた。そのうち欲が出てきて、名のある騎士を討ち取りたくなって、一生懸命敵陣の方に向かって走り出した。

 だがふと気が付くと周囲からは一切の音が消えていた。剣のぶつかり合う音も、鎧の擦れる音も、悲鳴も呻き声も、馬の蹄の音も、一切合切が、だ。


 わたしは驚いて足を止めた。

 わたしは――ひとりではなかった。

 周囲には大勢の兵士たちがいた。


 ところがそれは、わたしの見慣れた兵隊の姿ではなかった。

 壁画や書物の挿絵で見る、古代クヴェリ人の兵隊のような格好をして、彼らは剣や槍での白兵戦を繰り広げていたんだ。


 誰もわたしの存在に気付いた者はいないようだった。わたしは茫然と、彼らの姿を眺めていた。

 やはり音はしない。槍が盾にぶつかったり、ひとの肉体を刺し貫いたりしているのに、そんな物音はひとつもなかった。

 遠くには戦車の姿もあった。戦車だぞ。今時の戦争では使わないものだろ。古代風の戦車。神話画の中で見るみたいな。


 でもやっぱり音はしない。思えば匂いもしなかった。それに振動も伝わらない。兵士が倒れ、馬や馬車が走り回れば大地は揺れる。それがちっとも感じられなかった。

 彼らは透きとおったりはしていなくて、実際にそこにいるようだったのに。


 密集陣形での戦闘だ。わたしが邪魔だろうに、わたしに目を止める者は誰一人としていない。わたしは不思議と、彼らと肉体がぶつかり合うことはなかった。そうなってもおかしくはない密度だったのに。


 さっきまでわたしと一緒に戦っていた連中はどこに行ったのか? 彼らの姿もまた見当たらなかった。

 見えるのは――古代クヴェリ人のような連中の戦闘の光景だけ。彼らの兜も、鎧も盾も剣も槍も、全て古代風の、それこそ絵画や芝居の小道具を除いてはとても現代ではお目にかかれない代物ばかりだった。


 音がないのが不思議だった。目の前では土埃が巻き上がり、敵に刺し貫かれた兵士が血飛沫を上げて大地に倒れ伏していくというのに。


 わたしは手から剣を取り落とした。

 地面に剣が転がって、乾いた音がした。

 次の瞬間、私は元の戦場に戻っていた。


 音が一斉に耳に押し寄せてきて、何が起こったのか分からなかった。見慣れた現代の兵士がわたしの体にぶつかってきて、邪魔だと怒鳴った。

 幻覚? 白昼夢?

 そうだったかもしれない。

 薄く、だが決定的な膜に隔てられたような世界だった。


 けれど色鮮やかなものだった。

 鎧や兜は鈍い金色。兜の飾りは赤。衣服は白で、靴は麦わらのような色だった。思えば革靴じゃなかったな。

 不思議なことに、わたしが取り落としたはずの剣はどこを探しても見つからなかった。


 あれもまた古戦場跡だったのかな。さて、どうだか。立地条件からするとそうであっても不思議はない。場所はローンベルハイムの近くだ。そう、あの広大な平原地帯。ユーリヒェンベルク家の領地からそう遠くないな。古代クヴェリ人はどちらかというと南部の人たちだが、あの辺りまで進出していたのだろうか?


◆◆◆


「古代クヴェリ人は当家の領地の南端あたりが進出の北限と聞く。ローンベルハイムはその辺りに近いから、もしかしたら古代に戦闘が行われたかもしれないな」


 ルキシスの問いかけを受けて、ユーリヒェンベルクの総領はそう答えた。彼の語った怪談の中にも古代クヴェリ人らしき者の姿が見られたことを思い起こす。


「不思議なお話です」


 リュドが感想を述べる。彼はそうすることが義務だと言わんばかりに律儀だった。


「怖くなかっただろ?」


 ルキシスは微笑みを作って少年に目をやった。彼女なりに、青い顔をしている少年を慮ったのだろうか。


「ですがそのままその世界に閉じ込められ、現代に戻って来られなかったらと思うと恐ろしくも思います」

「む」


 リュドはなかなか鋭いことを言った。ルキシスは感心したように頷いた。


「きみがそんな体験をしていたとは知らなかった」


 ギルウィルドも感想を述べた。彼女はどちらかといえばこうした現実味のない話など一笑に付して取り合わない類いの人間かと思っていたものを。


「作り話かもしれないぞ?」


 いたずらっぽい微笑みを浮かべた彼女は、普段から若く見えるものがもっと若く、いっそ幼くさえ見えた。


「だとしても」


 そんな話を好むだなんて知らなかった。蒐集して帳面に書き付けて、大切にしていたことも。

 自分の中の彼女の像がどんどん作り替えられていく。この三年ばかり、あちこちの戦場で顔を合わせてきた。深く知り合うようになったのはつい最近だが――、秘密をいくつか共有したところで、見えていないものばかり、たくさんあった。それを目の当たりにしている。


「わたしは作り話だなんて思いません! ルキシス様が本当に体験されたお話だと確信しています」


 こちらも別に疑っているわけではないのだが、リュドはそう声を上げてギルウィルドを睨みつけた。


「どっちだっていい。面白ければ何だって」


 ルキシスはそう言って、膝元に置いていたゴブレットを取って葡萄酒を飲んだ。


「古代クヴェリ人同士の戦闘だった?」


 訊ねると、彼女は少し眉根を寄せた。不快だったのでなく、考えているのだと分かった。


「わたしの目にはそう見えたが……、考古学の知識があるわけではないから、細かい古代の部族の違いは分からないな。だからもしかしたらクヴェリ人同士ではなくて別の民族との闘いだったかも……、でも古代ヒーレン人という感じはしなかったな。古代ヒーレン人は男も髪を長く伸ばすことが多かったと昔何かの本で読んだ。だが、兜から髪の毛の溢れているようなのは見られなかったような気がするから……」

「へえ」


 訊いておきながら他に相槌の打ちようもなく、ただ頷く。単なる興味本位で、深い考えがあったわけでもないのだ。


「古代クヴェリ人の男性、特に軍人は確かに皆短髪だったと聞くね」


 ジャンが補足した。

 ルキシスがゴブレットを盆の上に戻し、代わりに隣の盆の皿の上から揚げ菓子をひとつ手に取った。生地を細長く切ってそれをいくつか使って全体を丸く成形し、油で揚げて砂糖を振りかけたものだ。砂糖はなかなか庶民の口には入らない。きっと祭りや祝いといった特別な時のための菓子なのだろうが、忠実な小姓殿が主人の思い人のために料理長に用意させたものである。


 そのおこぼれにはギルウィルドもありついた。さくさくとした食感が心地よく、砂糖の甘みがしみじみと口腔に染み渡った。甘味は他にもふんだんに取り揃えられていて、それもこれも全てルキシスのためなのだろうが、彼女はどちらかというと塩気のあるものに手が伸びがちだ。


 だがこの時は、珍しく件の揚げ菓子を取って口元に運んだ。この菓子はひとつひとつが大きく、男の握り拳ほどもある。頭のてっぺんから足の爪先まで何もかもが小さいルキシスの手にはあまり、零れ落ちそうなのを両手で支えている。しかし歯を突き立てる直前、彼女はふと動きを止めて天幕の入り口に目をやった。


「ちょっと」


 そのまま彼女がギルウィルドの袖口を掴んで引っ張った。


「入れてやれ」


 しばらく前からそこにひとの気配があったのには気付いていた。たぶん、全員が気付いていたのではないかと思う。だがなかなか入って来ないので、遂にルキシスは焦れたらしい。堂々と入って来るでもなく、中の様子を窺われているのが不快なのだろう。今一番入り口に近い場所にいるのはギルウィルドだった。


 仕方なく、ギルウィルドは入り口付近ににじり寄って分厚い垂れ布を脇へ跳ね上げた。

 案の定、そこにいたのはフリーデヒルトだった。両手を胸元できつく握りしめ、顎を引いて気丈に中を睨みつけている。だが同時に、気後れした様子も明らかだった。

 ジャンがため息をついた。


「何をしている。アヴージュ語の学習は終わったのか」

「あたしひとり除け者にして楽しそうじゃない」

「おまえが来ても楽しい宴ではない。それにおまえには他にすべきことがある」

「ジャン」


 ルキシスが割って入った。


「花嫁行列の主役はフリーダなのだから、その女主人の座がないのはおかしい」

「そうよ」


 ルキシスはそれまで自分が座っていた場所からそのはす向かいの位置に移動した。そこへ、と自分が空けた席をフリーデヒルトに勧める。


「なんであたしがおまえなんかの後に座んなきゃいけないのよ」

「そこが二番目の上座。それとも下座の方がいいのか?」

「ルキシス、譲る必要はない。あなたはぼくの客人だ」

「そこが一番暖かいし」


 ジャンの言うのを無視してルキシスは更に続けた。確かに彼女の言うとおり、リュドが綿を入れた布に包んだ温石をたくさん敷き詰めているので春のように暖かだった。


「いつまでもそんなところにいないで入って来い」


 ルキシスがまたも誘った。


「シュネーバルがあるじゃない!」


 彼女がまだ手に持ったままの揚げ菓子を認めてフリーデヒルトが声を張り上げる。


「これか? たくさんあるぞ。それに葡萄酒も。あと、果物や他のお菓子も」


 ルキシスが丸い揚げ菓子を両手で捧げ持つようにする。


「おまえなんかの口に入るお菓子じゃないのよ」

「フリーダ」


 彼女を呼んだのはジャンだった。地を這うような、底冷えのする、低く重い声だった。

 フリーデヒルトの肩がびくりと揺れた。


「入りたいなら入るがいい。だがそれ以上つまらぬことを一言でも口にするなら自分の天幕に戻れ」


 ルキシスは気にした様子もなく手にした揚げ菓子を、今度こそ口に運んだ。しゃくしゃくと、噛み砕く音がささやかに聞こえた。

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