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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵の結婚狂想曲
132/166

2.また、新しいお仕事(1)

◆◆◆


 人目につかないように何とか花嫁を彼女の天幕に送り届けた後は一睡もできなかった。

 そもそも自分の天幕は焦げ臭く、換気のために入り口の垂れ布を開け放したままでいたから鋭い冷気が差し込んで、折角居心地よく整えられた寝床だったのにもはや台無しだった。結局、外が白んでくるのに伴ってギルウィルドは天幕を出た。


 先のことをどうしようか考えあぐねていた。

 アヴージュ語の家庭教師の仕事を、彼女は受けるだろうか。もしそうなら彼女とはここでお別れだ。自分はパザドバ公国を目指す。彼女はこの輿入れ行列に従ってラブダなる小国を目指す。

 普通ならばそれがよいと奨めるところだった。戦争なんかに出るより得意の言語力を生かして平和な仕事をしている方がずっと彼女のためだ。


 だがその先は?

 家庭教師の仕事といったところでいつまでも姫君に随伴するわけではないだろう。程よいところで引き揚げて、その後はまた戦に身を投じる日々か。


 今の彼女を戦場になど出せない。

 きっとすぐに死んでしまう。

 それにこの行軍の中にひとり置いておくのも心配だった。


 実現しなかったとはいえ、彼女を手籠めにしろなどと命じるような姫君が主人だ。その姫君がいつまた邪な気を起こし奸計を巡らせないとも保証はできない。あの少女のことをそこまで信用はできない。出来心くらいの軽い気持ちで、無邪気な邪悪さを発揮しないとは言い切れない。


 姫君の手駒になるような連中が帝室騎士団の中にいるのかどうかはよく分からなかったが、騎士などといってもどうせ野盗と大して差のない連中だというのがギルウィルドの持論だった。実際、どこでもそんなものだった。この一行の総帥たるユーリヒェンベルク家の総領やその側近の連中はさすがにそうではないだろうが、末端のどこにまで統制が行き届いているものか。


 自分の目にはある程度規律的に見えたヨルクの傭兵団――あの友人の団の中にも不埒者がいた。ふとそのことを思い出した。

 ふたりがかりで彼女の天幕に押し入って、返り討ちにされていた。あの時の彼女は「こんなことはよくあること」と言っていて、本当にそれは誇張ではないのかもしれない。


 彼女は別に、挑発的な振る舞いをしているわけではなかった。服装もいつもの男装で、もちろん行き交う男たちに媚態を示すこともなく、天幕の中でこそ服を寛げて楽な格好をしていただろうが、それは誰に見せるものでもなかったはずだ。


 でも、襲われた。

 同じことがいつどこで起こるかも分からない。

 ユーリヒェンベルクの総領は彼女を守るだろう。どういう趣味だか知らないが――奇特なことだ――、彼女に思いを寄せているようなので。そして明確に一定の自制心をもって彼女に接している。


 ルキシスは彼に、他の誰にも許さないような近い距離を許していた。つまり彼に対してある種の信頼を置いているということだ。自分の知らない様々な冒険が、ふたりの間にはあったようでもある。


 でもその信頼はどこまで信頼できるのか。

 恋焦がれるがゆえに思い余って――ということが絶対にないと言い切れるのか。

 そういう不埒な真似に出る男でないからこそ彼女の信頼を得たのだと分かってはいる。しかしそれは不自然なことのようにも感じた。つまりは、自然の摂理に違反しているような。


 恋の情熱の箍が外れることがあるとしたらきっかけは些細なことだろう。いや、きっかけすら必要としないかもしれない。

 自分は誰かに対してそんな情熱を持ったことがない。だから実感としては分からない。想像するしかない。しかし世間にはよく聞く話である。そうなると一番危険なのは彼女に恋する彼ということになるのかもしれない。


 だがもしも彼が力ずくでも彼女を我が物にと望んだとしたところで、たぶん――つまり、彼の方も無傷では済まないだろう。帝国の大立者、ユーリヒェンベルク家の総領にして帝室第二騎士団の副長に手傷を負わせたとなれば、彼女はそれこそ帝国領邦全土でお尋ね者になってしまう。

 そんなことにはならないと思う。そういうことをするような手合いなら、彼女の信頼を得られない。それは分かっている。


 だが、もしも。

 いや、そんなことは。

 結局同じことをぐるぐると考え続けるばかりだった。考えたところで答えなど出ないだろうに。

 八方塞がりだ。


 彼女を連れてこの軍から離脱するとしても結局戦場に向かうしかない。

 彼女を残していくにしても、とても心配でそんなことはできない。

 大きく息を吸い込むと澄んだ空気が肺の中に満ちた。清々しいと言っていい。気分はとてもそんなふうに上向きはしなかったが。


 地平が白み始めたからといっても辺りはまだ暗く、あちこちに焚かれた篝火が赤々と目にちらつく。

 下仕えの者たちが控えているあたりに顔を出して洗面のための水をもらった。お湯を持っていくと申し出てくれたが、神官は身繕いに湯を使わないのが慣習なので、それは言わずに盥に冷たいままの水を満たした。

 それを持って天幕に戻り、顔を洗ったり体を拭いたりして身だしなみを整えるともうやることがなくなってしまった。


 それで結局また天幕を出た。まだいくらも空は明るくなっていない。薄暗がりの中、馬溜に向かった。愛馬の様子を見に行ってやるつもりだった。

 しかしギルウィルドは馬たちを籠めている簡易柵のずいぶん手前で足を止めた。

 そこにはフリーデヒルトが言っていたとおり、ひときわ大きな篝火が焚かれていた。そのそばに、腰掛けるのに丁度よいくらいの大きさの岩が転がっていて、そこにルキシスがちょこんと座っていたからだ。


 彼女はひとりだった。暖かそうなマントにくるまっている。フリーデヒルトがトーゴ羊の毛織物だとか何とか言っていたのがあれか。確かに彼女の私物ではないようだった。

 篝火の赤が彼女の姿を照らし出している。そうしていると本当に人形のようだった。

 彼女はマント越しの膝の上に何かを置いてそこに目を落としているようだった。何か、というのは書物のようだった。ページをめくる指の動きでそれが分かった。


 ふと彼女が顔を上げた。こちらを認め、ぴょんと跳ねるように岩から立ち上がって駆け寄ってくる。マントの丈は小柄な彼女の身に余り、裾が草地の上を擦っていた。


「ジャン。じゃなかった、ギルウィルド」


 何故そこを間違えたのか。面白くはなかった。


「……天幕で寝なかったの? 徹夜した?」


 薄暗いので分かりづらいが彼女の目が少し腫れぼったい気がする。


「うん。読めるかどうか、試したくて」


 彼女は腕に抱えていた本を顔の位置にかざしてみせた。

 革で装丁された立派な本だった。分厚く読み応えがありそうだ。しかし大きさ自体はさほどでもなく、携帯用の書物だということが知れた。


「それは?」


 表紙には文字が記されているが、自分の知る言語ではなかった。


「教本だ。アヴージュ語の。ジャンに借りた」

「家庭教師の仕事を受けるつもり?」


 ルキシスはすぐには答えず、何故かしげしげとこちらの顔を眺めていた。居心地の悪さを覚えて勝手に眉根が寄った。


「なに?」

「風邪でも引いた?」


 別に体調の悪さは感じていない。何故そう思ったのかと訊き返すと、彼女は「いつもより声が低い」と言った。


「そう?」

「そう」

「……そうか」


 悪事を持ちかけられたり、火事を食い止めたり、その後もあれこれ考えて寝られなかったせいで、そういうことが影響して声にあらわれていたのかもしれない。小さくため息をつく。


「あの、あのな」


 ルキシスが下から顔を覗き込んできた。身長の兼ね合いでどうしてもそうならざるを得ない。


「パザドバ公国に行こうって決めてたけど、ラブダにしない?」


 ラブダに。つまりは、彼女はこの花嫁行列への随行も吝かでないということだ。


「ラブダはパザドバよりはちょっと南だし、ずいぶん西寄りでもあるけど、その後東に行けば戦場はありそうだ。それか、ラブダの後でパザドバに行くのだってできるだろ? そりゃ、直接行くよりは遠回りだが」


 ずいぶんと熱心に彼女は言葉を重ねた。それは何だか珍しいことのように感じられた。

 彼女は自分を説得しようとしているのか。

 でも、何故?

 こちらのあれこれの懸念は彼女の与り知らぬところである。つまり彼女からすれば、ギルウィルドまで無理にラブダに連れていく必然性はないということだ。まさか名残惜しく思っているわけでもあるまいに。


「つまりきみは、姫君の家庭教師の仕事を受けるわけだ」


 あの姫君とは距離を置いた方がよいと思うが。しかしあの姫君も姫君で何とかしてやらねばならない気がするのだから自分はつくづく困った性分である。

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