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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵の結婚狂想曲
131/166

1.塩を振ったキャベツ(7)

◆◆◆


「あの女はおまえの側女なの?」


 開口一番、フリーデヒルトはそう言った。


(ああ?)


 何を言われているのか咄嗟に分からなかった。

 天幕はひとり用だが広く天井も高く、ギルウィルが立っても頭が閊えるということはなかった。彼女の輿入れに随行する騎士団の人間の全員が全員このような上等な天幕を与えられているわけではないから、これはやはりルキシスの友人に対してのジャンのもてなしなのである。


 その広い天幕の入り口付近に、ギルウィルドは立っていた。フリーデヒルトがさっさと上座、つまりは入り口から見た奥手へ入り込み、あろうことかひとの寝床の上に勝手に座り込んだから他に立つべき場所を見出すことができなかったのだ。


「あの女よ。……ジャンがご執心の」


 ルキシスのことか。


「違う」


 忙しいことだ。彼女の間男だと思われたり、今度は彼女の方が自分の側女、つまりは妾だと思われたり。

 全部違う。皆見る目がない。


「なんだ、違うの」


 フリーデヒルトは落胆したようだった。


「でも、それならどうして一緒にいるのよ。おかしいじゃない」

「仕事の都合だ」

「口のきき方に気を付けなさいよ」

「丁寧な口をききたくなる振る舞いをなさるなら」

「生意気ね」


 どっちがだ。

 嘆息しながらギルウィルドは秉燭から火を取ってランタンを灯した。常夜灯代わりにしていた秉燭(へいそく)の小さな灯りひとつでは心許なかった。

 ランタンの橙色の灯りの向こう側にぼうっとフリーデヒルトの姿が浮かび上がる。


「すぐ分かったわ。あの女が、ジャンがいつも話してる女傭兵のことだって」


 なるほど、彼は思いを寄せる女のことを普段からよく話題に上らせていたらしい。彼が自分の気持ちを隠すつもりもないのはこの短い時間だけでも十分伝わってはいたが。


「で、ご用件は」

「あたし、あの女の天幕を見張ってたのよ」


 はあ。何をやっているのか。よほど暇と見える。


「そうしたら、警護や不寝番の人間たち以外、もう全員寝静まってる頃合いよ。ジャンがあの女の天幕にやって来たの」


 若干、思うところはあった。だがその「思うところ」を突き詰めて考えるよりも先にフリーデヒルトが拳を突き上げた。


「絶対ふしだらなことをするつもりよ! 許せないじゃない! だからあたし、大声上げてやろうとしたわけ」


 確かに彼女の絶叫は武器になる。宵の口、嫌というほど味わった。


「それであの女の天幕に怒鳴り込んでやろうとしたら、ものの十秒もしないでジャンが出てきたのよ。女と一緒に」


 夜這い、というわけではなかったらしい。それでも一度は天幕の中に入ったようだから成人男子として軽率な行動だとは思うが、ルキシスが常日頃それを許しているということなのだろうか。


 しかしそれにしても、フリーデヒルトのこの、大貴族の姫君とも思えない言動は一体何なのだろう。女の天幕を見張るとか、ふしだらなことがどうこうとか。相手がルキシスというのは――つまり彼女がそれを望んだり許したりするのかという点は認めがたいところではあるが、それを度外視すればジャンが誰と寝ようが彼の勝手である。いい年をした男のことである。放っておいてやれとしか言いようがない。


「それでふたりで連れだってどこかに歩いて行ったの。こっそり後をつけてみたんだけど、馬溜のところに行って、あの女は自分の馬のことをあれこれジャンに言ってたみたい。馬の自慢がしたかったのかしらね。何なのかしら、ほんと」


 クラーリパもエルミューダも、随行の馬丁たちに預けている。騎士団ならば当然馬の扱いには慣れているはずで、これといって心配はしていなかった。特にジャンのことだから、ルキシスのためにと馬たちにも殊更手厚い世話を指示しているのではないかと思う。


「その後も長々と話してた。馬溜の近くに大きな篝火があるでしょ。ふたりでそのそばの草地に並んで座り込んで、あれこれと……。でもよく聞き取れなかったわ。開けた場所で、なかなか近づけなかったの」


 風変わりというのか何なのか、とにかく奇想天外な姫君である。大貴族の令嬢が、こっそりとひとの後をつけてその会話を盗み聞きしようと目論むなんて。百歩譲ってそういうことを目論んだところで、普通は、ひとに命じてやらせるものではないだろうか。姫君本人が動くというのは、果たして姫君の手足となってくれる配下の者がいないということなのか、単に性情ということなのか。どちらもかもしれない。


「でも、どうもあの女はジャンに何か頼みごとをしているみたいだったわ。男に物を頼むなんて恥知らずよね。ふしだらだわ。でもジャンもジャンよ。でれでれしちゃって。みっともない」


 夜闇の中でそれがどれだけ見分けられたかは定かでないが、彼女の中ではそうなのだろう。


「ジャンはあの女にマントをくれてやったのよ。あたしが夜風の寒さに震えてるってのに、あの女もいい気になって遠慮もしないでマントを受け取って、平気でくるまってた。あれはトーゴ羊の毛織物よ。物を知らないって怖いことね。薄汚い平民風情が手を触れていい代物じゃないっていうのに」

「で、ご用件は」


 話がどこまでも本筋に入っていかないのでギルウィルドもしつこくそれを言わないわけにはいかなかった。


「おまえ、あの女を犯しなさい」


 聞き間違いかと思った。彼女のリーズ語にはいささか北方特有の響きがあったからだ。だが胸の奥にすっと冷ややかなものが兆し、一瞬にしてそれが全身へ浸潤するのが分かった。


 度し難い。

 咄嗟に頭の中で言語化できたのはその言葉だった。


「そうすればジャンだってさすがに諦めるでしょ。ほかの男に犯された汚れた女なんて――」

「姫君」


 どこまでも度し難い。

 聞くに堪えない。おぞましい。

 女が同じ女をこんなふうに貶めるのか。

 まだ若い、幼い、世の中というものを知らない令嬢であっても、これが女を痛めつけるということは理解して、それを望む。


「何よ。お金は弾むわよ」


 こちらの声音に何か察するものくらいはあったのか。少女の声が幾分上擦った。


「皇帝陛下の忠臣として並び立つ者のない権勢を誇るユーリヒェンベルク家の姫君のお言葉とは到底思えません」


 どうしてこんなことを思いつくことができるのか。どこでそんなことを教わったのか。あるいは教わらずして、自分で考えを巡らせたということなのか。

 邪悪な。


「姫君の唇を汚すお言葉です。このようなことは金輪際、考えることも、口にのぼらせることも、お慎みになりますよう」

「何よ。生意気な。誰に向かって言っているつもりよ」


 フリーデヒルトは引き下がらない。思い直すようならばまだ救いようもあるものを。


「ではヴェルケフ卿に今のお話を申し上げます」


 フリーデヒルトの顔色が変わった。ランタンの灯りの橙色に染め上げられた天幕の中でもそれは明らかだった。


「よくもそんなことが言えたものね。だったらおまえに乱暴されたって言ってやるから」

「ご自由に」


 ギルウィルドは踵を返し彼女に背を向けた。天幕を出るつもりだった。

 元より、彼女をここに入れたのは失敗だった。凌辱の容疑をかけられれば縛り首は免れない。もし公平に扱われ、裁判にかけられる機会を得ることができたとしたら、処女検査の実施を申し入れることはできなくはないだろうが、実際にはそのような機会には恵まれまい。そもそもそれ以前の問題として、凌辱の容疑をかけられようがかけられまいが、大貴族の令嬢とふたりきりになっている場面など取り押さえられたらその場で打ち首だ。


 だから彼女が何と言おうがもう関係なかった。大勢の兵士に囲まれて剣を向けられても、自分だって剣で我が身を養っている身分である。帝室騎士団だろうが何だろうが、ひとりでもふたりでも打ち倒して囲みを抜けて遁走してくれる。

 そういう気分だった。しかし遁走するためには馬を――エルミューダを取り戻さなければ。


「待ってよ!」


 入り口の垂れ布に手をかけ、外に向かって踏み出しかけていたギルウィルドの足にフリーデヒルトが体ごとぶつかってきた。両腕で絡みつき、全身の体重をかけて引き止めようとする。しかしそれがどれほどの障害となることか。彼女の体を引きずりながらそのまま進みかけて、ふと耳が嫌な音を聞きつけた。

 振り返ると秉燭がひっくり返り、敷布に火が移っていた。彼女が突進してきた勢いでそうなったのだと容易に想像できた。


「――!」


 フリーデヒルトを蹴り飛ばして振り払い、その足で秉燭の油の広がった辺りを踏みつける。幸いにもこぼれた油の量は少なく、強く踏みつけることで火がそれ以上燃え広がることはなかった。


「――なんてことを!」


 こんな密集した場所で火事が起これば人も物資も甚大な被害を受ける。

 焦げ臭い匂いが天幕の中に漂った。


「わざとじゃないのよ」


 幾分怯んだような声ではあった。


「当たり前だ」


 わざとであれば、それこそジャンに言いつけないわけにはいかない。

 フリーデヒルトは肩を落としてその場にへたり込んでいた。ギルウィルドに蹴り飛ばされたままの位置である。


「ジャンには言わないでよ。お願いよ」

「報告されたくないのであればヴェルケフ卿に恥じないお振る舞いをなさればよろしい」

「だって……」


 こんなところにルキシスを置いておけない。もう寝ているだろうが、叩き起こして今すぐこの輿入れ行列から離脱しよう。


「ジャンが……、ジャンがあの女に特別な関心を持ってるのは知ってる。あの女に恩義を感じるのも……仕方ない。あの女のおかげで何度も戦争に勝ったって。ジャンが謀反を起こした時もあの女が手助けしたって――」


 ()なる言葉が聞こえた気がした。

 思わずそちらに気を取られる。


「でも何よ、初めて見たけど絶世の美女ってほどでもないじゃない。宮廷にはきっともっときれいな女がいくらでもいるわ。なのに」

「謀反とは?」


 好奇心には勝てず、つい質問してしまった。そんな場合でもないというのに。

 しかしフリーデヒルトに答える気は微塵もないようだった。正しくはギルウィルドの言葉など耳に入っていないとも言うべきか。


「なんであたしばっかり好きでもない相手と結婚しなくちゃいけないのよ! ユーリヒェンベルク家のためだって、皇帝陛下のご命令だって、そんなのあたしに関係ない! なのにジャンはあたしの目の前で下賤な女とべたべたべたべた――」

「静かに」


 彼女の興奮は渦巻き状に拡大し、それに比例して声もまた高く大きくなり始めていた。指を広げて彼女の眼前に突き付け、何とかそちらに気を逸らそうとする。


「なんでなのよお」


 声は確かにいくらか潜まった。ところがフリーデヒルトはいつの間にか嗚咽し始めていた。


「ジャンのために結婚するのよ。ジャンがどうしても頼むって言うから。なのになんで、あたしばっかり……、ジャンの馬鹿、死んじゃえ。死んじゃえばいいのに……、もうやだ、お母さんに会いたい、家に帰りたい――」


 ギルウィルドは内心深く深くため息をついた。

 彼女の言葉はあちこちに飛んだが支離滅裂というほどでもなかった。つまりは、なるほど、と思った。

 思えばまだ幼い少女である。十五、六歳くらいか。


(お母さんに会いたい、か)


 フリーデヒルトは声を殺して嗚咽を漏らし続けている。

 その様を見ていると、神官としてはとても見捨てられない心地がしてきてしまう。

 そうやって悲痛な胸の内を吐露した同じ唇で、同じ女を凌辱しろなどと度し難いことを命じる少女であっても。いや、だからこそか。更生を手助けせねば。


(思い上がりだ)


 誰かを更生させられるようなご立派な立場などでは断じてない。神殿にもいられなくなって、自らの都合で飛び出してひとを殺して金を稼いでいる。

 だとしても放っておけない。そう思い始めてしまった。


(つくづく度し難い)


 それは自分自身に向けての所感であった。

 何ができるわけでもないのに。

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