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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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3.密約(5)

男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

1日あたり1、2話くらい更新します。

 お楽しみのところ悪いんだが、と言うべきか。

 大した怪我じゃなさそうでよかったな、と言うべきか。

 迷った末にルキシスは何も言わなかった。何も言わず突っ立ったまま、男女の逢瀬を見ていた。


「――何か言ってよ」


 やがて女を解放したギルウィルドが呆れたような顔でそう言ってルキシスを見た。呆れているのはこちらなのだが。女はそこで初めてルキシスの存在に気付いたと見える。ぎくりと体を強張らせ、その後で眉を吊り上げてルキシスを睨みつけた。

 そんなに睨みつけなくても誰にも言いつけたりはしないものを。


「何を言えと?」


 息を吐き出しながら応答する。手燭を顔の前にかざすようにする。


「もう行って」


 ギルウィルドが女の肩を押した。でも、と女はルキシスを横目に睨みながらギルウィルドに寄り添おうとする。


「また会おう」

「そういうの、後にしてくれるか。悪いけど」


 他意はない。ただこのつまらない茶番にこれ以上付き合うのが苦痛なだけだった。

 しかし女の癇に障ったらしい。彼女は一際厳しく目を吊り上げてルキシスを振り返った。


「また明日」


 女の背をギルウィルドが押す。顔だけは穏やかに微笑みを浮かべているが、明らかに面倒になっているのが窺える。そのあたり、詰めが甘い男だと思う。


「リリ」


 ギルウィルドが手招きをした。

 おいおい、と思った。ますます女に恨まれるぞ、とも。

 まあいい。自分には関係のないことだ。

 手燭を持ったまま足を進めると、ギルウィルドがルキシスの手を掴んで引き寄せた。室内に迎えられ、背後で音を立てて扉が閉まる。女は最後まで、凄まじい目つきで自分を睨んでいた。彼女の敵意が物質の形を取ることができれば、それは鋭く尖って扉を貫通して、ルキシスの背中に突き刺さったことだろう。


「――お盛んなことで」

「リリ、おれが好きでやってるとでも誤解してるだろ」


 ギルウィルドがルキシスに向き直る。ルキシスは扉を背にして顔馴染みの仕事仲間を見上げた。室内の明かりの数は廊下には及ばなかった。だが不自由するほどでなく、燭台にもランプにも十分に火が灯っている。


 傭兵のような流れ者には奢侈に過ぎる客室だった。ふかふかした羊毛の絨毯、大きく取られた窓辺の窓掛けは天鵞絨、そのそばには盤上ゲームの台まで置かれている。卓上の駒は水牛の角か何かだろう。蔓草の浮き彫りの施された書き物机や飾り棚は紫檀か。


 ギルウィルドは辟易したような顔をしていた。しかし辟易したいのはこちらの方だ。つまらぬ男女の縺れに巻き込まれかけているのだから。


「好きでやってるんだろ」

「色仕掛けだろうが何だろうが情報を入手するのも傭兵の仕事のうちだろ」


 ご自慢の、見栄えの良い顔面を活用して上手くやったらしい。


男妾(おとこめかけ)

「否定はしないけど寝てないよ。腹ぶっ刺されたばっかりでそんな気になれるか」


 でも女の髪が乱れていた、と反駁しようとして止めた。寝なくても女を満足させる方法はいくらでもあるだろう。詳しくは知らないが。考えたくもない。どうでもいい。


「土手っ腹に刺し傷があってそれだけ立ち回れるなら上等だ」


 はらわたも無事だったようだ。それならば多少の傷はあってもユシュリーの用心棒くらいには役立つだろう。


「ええ、ええ、誰かさんのおかげでね」


 ギルウィルドの顔がまた一段嫌そうにしかめられた。


「焼き鏝は必要なかったか」

「縫いました。自分で」


 縫ってくれてもよかったのに、と恨みがましく贅沢な文句を言う。ここが戦場で、同じ陣営についていて、手が空いていればそれくらいはやってやってもよいが、ここは戦場でなく、同じ陣営と言えるかは定かでなく、ユシュリーについていて手も空いていなかった。


「晩餐に出なかったな」

「誰かさんのおかげでお腹が痛くて」


 そうではなくて女としけこんでいたからだろうが。とは思うが別の言葉を口にする。


「悪いものでも食ったんだろ」

「ふざけんな、真っ直ぐ心臓獲りにきてたじゃねえか」


 この男にしては珍しく口汚い言葉遣いだった。


「わたしだって背中を斬られた」

「はあ? あんなの薄皮一枚めくれただけだろ。怪我のうちに入るかよ」


 やっぱり荒れている。よい気味だ。


「顔面に石もぶつけられたが」

「あー……、それはごめん」


 そちらは謝るのか。基準がよく分からない。


「出血は?」

「少し腫れたくらいだ」


 化粧で隠れる程度に。根が頑丈なので。


「リリ、そっちに」


 嘆息しながらギルウィルドが部屋の奥に置かれた布張りの椅子を指し示す。毛足の長い平織りの布地は光沢を放っており、やはり贅沢な家具だと一目で知れる。


「いや、ここで」

「いいならいいけど」


 立ったままのルキシスを残し、ギルウィルドは寝台の端に腰掛けた。


「どうしたの、それ」


 それというのはルキシスの恰好のことだろう。普段は雑に結わえたり垂らしたりしているだけの髪をまとめ上げて飾り櫛を差し、女物の装束を着て、化粧までしているから。


「女は女の服装をするのが当主気取りの猪男の言う秩序だそうで」


 ああ、とギルウィルドが首を上下させた。猪男と言っただけで誰のことを指しているのかは伝わったようだった。


「嫌なら着替えちゃえば?」

「別に嫌とかそういうことはないが」


 ルキシスは女物の長胴衣の裾をつまんで少しだけ持ち上げた。手触りの良い毛織物で、ユシュリーのものほどではないにせよ上等な生地と仕立てだった。こんなものをぽんと流れ者の客人に宛がえるくらいなのだからやはりこのヴィユ=ジャデム家の懐は相当に豊かだ。


 見ればギルウィルドも真新しい部屋着を与えられているようだった。胴衣は着ていなかったが、中着も穿袴もぱりっとしている。元の衣類はもしかしたら廃棄処分するしかなかったかもしれない。大きな穴が開いていたし、血まみれだったし。


「時々勘違いされるんだが、別にわたしは女の服装をするのが嫌だとかそういうことではない。単に職業上の都合で動きやすい服を選んでいるだけだ」

「なら今は動きづらいんじゃない、それ」

「猪と鷺を仕留めるのに難儀するほどではない」

「鷺ってあの弟の方?」


 首肯する。兄の猪の方は模擬試合で何年だか連続で優勝したとかどうたらこうたら言っていたが、猪も鷺もまとめてかかってきたところで自分の敵ではない。


「言い得て妙だね」

「わたしはここに雑談をしに来たわけじゃないんだが」

「ひとつ思い付いたんだけど」


 ギルウィルドが頬に落ちた自らの髪を掻き上げた。肩甲骨のあたりにかかるくらいの長さの髪を、彼はいつもうなじのあたりでひとつに括っていることが多い。でも今はそうはしていなかった。


「言ってみろ」

「ここでひと稼ぎをする。報酬は山分け。その後おれがきみをヴェーヌ伯に突き出す。きみはヴェーヌ伯をどついて奴の財貨を持ち逃げする。もちろん手引きはする。持ち出した財貨は山分け。というのはどうだろう」


 悪くないかもしれない。金に目が眩んで一瞬でもそう思ってしまった自分は阿呆である。ヴェーヌ伯のような変質者にこの人生でもう一度でも関わる必要はあるまいに。


「おまえ、そんなことを考えていたのか」

「戦闘を避け、効率的に稼げるかと」

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