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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
ラティアという女
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6.ラティアという女(5) 破戒僧の語るところの余談

今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。なかなか恋愛しませんけど恋愛ものです。

「馬鹿なことをしようとしている。今すぐ夫君のところに戻るんだ。そうすればきみは……、望むものは何でも手に入るだろ。蝶よ花よと傅かれて、何不自由ない暮らしができるはずじゃないのか」


 戦場で命のやりとりなんてする必要はなくなる。

 いずれこの世に別れを告げる時も地獄に勝る地獄を味わった後でひとり惨めに死ぬのでなく、親しい者たちに囲まれて花々に彩られて光の中で眠るように旅立てるはずだ。

 それをみすみす無下にしようとしている。


「ああそう、金目当ての結婚をしろと」

「ふざけんな。そういう意味で言ったわけじゃないことぐらい分かるだろ」


 金目当てだなんて、よくもそんなひどい言葉を吐けたものだ。あんなに優しさを尽くそうとしてくれていた彼に。それにその手を取りたくてたまらない顔をしていたくせに。


「じゃ、何だってんだ」

「愛の問題について話してる」


 彼の愛情の示し方も、彼女の応え方――あるいは拒み方も、自分には理解できない。

 だがやはりそこには愛情があったと思う。だからこんなにこじれてどうにもならなくなっている。

 愛のある結婚は恩寵だ。


 たとえば自分の姉のギゼイダとは違う。彼女は国一番の美貌をもってしても愛を手に入れることはできなかったし、自らも愛を――夫に対しては持てなかった。

 ルキシスたちは、そうではないではないか。


「男どもは愛の話が好きだな」


 彼女はまたあらぬ方に目を向け、肩をすくめるような仕草をした。


「大切なことだろ」

「愛の問題ではないんだ」


 では何だと言うのか。


「わたしは結局、自分のことしか考えられない女だということだ」


 彼女は視線を巡らせ、ギルウィルドを見た。その一連の動きはやけにゆっくりと時間をかけて行われたように思えたが、実際には瞬きひとつにも満たない間の出来事だっただろう。


「あのひとを二度失うことには耐えられない」


 真正面から、ルキシスはこちらを見ていた。

 年若く見られるのは丸顔であることのほかに、目がすごく大きいからではないかと時々思うことがある。

 その大きな、印象深い、とてもめずらしい茶色がかった紫色の双眸から音もなく涙が溢れ出した。


 ぎょっと心臓が縮み上がった。

 思わず目を疑った。

 彼女が泣くなんて。

 まるで普通の女か何かのように。


 だがこちらが意表を突かれて思考まで失いかけている間にも、次から次へと大粒の涙がこぼれては彼女の頬を伝って流れていく。

 ひどく心臓に悪かった。矢で狙いを付けられている時よりもよほど。

 いや、これは心臓が痛いのだ。

 剥き出しの悲しみに接して。

 束の間、嫁ぐ前夜の姉の顔が胸に蘇った。


「お別れしてくださいとお願いしたの」


 何故。理解できない。

 彼女は瞬きひとつしない。

 雫が胸元を濡らしていく。

 エルミューダが不安げに鼻を鳴らした。クラーリパも落ち着かずに首を左右に動かしている。

 彼女は何故か、こちらを見つめたまま、涙をこぼしながら、微笑んでみせた。


「わたくしはあのひとの心を奪い尽くして、疲弊させるだけ」


 彼女の涙を見たのは生涯で四度だけだった。その初めてが今この時だった。


「そしてそれをそばでお見上げするのにはきっと胸引き裂かれる思いがする」


 夢でも見ているような、少女のような口調で彼女は言葉を続ける。


「失ったものは失ったままでいたかったの」


 もうわたくしには手の届かないものだと分かっていた。

 彼女は微笑んだまま。


「手が届くように思えてもそれは元のものとは違う」


 それの何が悪いのか。それだって構わないではないか。今から取り戻して、最初の一歩からやり直すのだって。

 しかし口を挟むことはできなかった。結局のところ。


「分かってる。分かってた」


 泣き濡れた瞳がこちらを見ている。

 微笑んだままで。

 どうしてそんなふうに微笑んでいられるのか。


「でも、それをこうして目の前に突き付けられるのは、やっぱり、つらいことね」


 色を持たない、無色透明な、研ぎ澄まされ透徹した悲嘆。

 それは紛れもなく彼女の本当の心をさらけ出したものだろうと分かった。

 でも、理解はできない。

 どうして。

 夫の手を取れば幸せになれたものを。

 ふたりならばどんな困難でも乗り越えていけるだろうに。


 誰にも分かってもらいたくなんてない。

 こちらの困惑を見抜いたように彼女はそう呟いた。微笑みのままに。

 こんな悲しみの表現があることを、この時初めて知ったのだ。

 返す言葉もなかった。

 そこで言葉は途切れた。沈黙が落ち、午後の明るい陽のもとで乾いた風だけが吹き抜けていった。

 随分と長い時間が経ってから、彼女がやっとまた口を開いた。


「本当はもうひとつ、あるの。それはやっぱり、愛の問題なのかもしれない」


 どういうことだろう。話の行き先が分からない。彼も彼女も、とても愛し合っているように見えたのに。


「わたくしは……分からなかったのよ」


 何が。


「あのひとの顔を見ても、あのひとが、あのひとだって」


 しゃくり上げるように一語一語区切ったのは、実際、そうしないと言葉を発することができなかったからかもしれない。


「それは……だって、もう十年以上も経ってたんだろ。そういうこともあるさ」


 語尾が弱々しく薄れて消えた。ようやっと返した言葉には何の説得力もなかった。自分自身でも愕然とするほどに。


「あのひとはひとめでわたくしを見つけ出した」


 大勢が行き交う雑踏の中で。

 過たずに彼女を見つけ出し、駆け寄って、その腕を掴んだ。


「でもわたくしは分からなかった」


 彼女はそこでまた黙り込んだ。

 彼女が疑ったのは夫の愛ではなかった。自分自身の愛だった。

 夫のことが分からなかった。彼の顔を見てさえ、思い出すのに時間がかかった。

 妻の資格がない。

 そう言いたいのだろう。

 だから愛の問題などと。


「リリ」


 何とか彼女を説得しようとしたのだった。

 だが微笑んだまま、彼女は突然妙なことを言い出した。


「おまえの故郷にミモザは咲く?」


 ミモザ。あの黄色い、丸くて小さな花をたくさん咲かせる木のことか。


「いや……、あれはもっと南の植物だろう」


 戸惑いながらそう答える。自分の故郷はずっと北で、一年の半分近くが雪に閉ざされて、ああいう明るい南国の樹木は当然ながら育たない。


「そう。いいわね」


 ただひたすらに困惑していた。彼女は何だって突然、こんなことを言い出したのか。しかしその困惑を言葉で差し挟む余地はなかった。


「ミモザの咲くことのないところに行きたい」


 それがこの会話の最後の言葉になった。

 どういう意味なのか、ギルウィルドには分からない。見当もつかない。

 ただ彼女も普通の女のように泣いたりするのだと思い知ったのは、戸惑いを通り越して心臓を引き絞られるような心地だった。

3章はこちらでおしまいです。ここまでお読みくださりありがとうございました。また、ブクマや評価などくださる方もありがとうございます!

次はちょっと間が空くかもしれませんが、リリちゃんが生意気な小娘を鞭でびしばししばき回したりリリちゃんのギャンブル以外の趣味が明らかになったりする話を連載するつもりです。また見ていただけると嬉しいです。

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