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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
ラティアという女
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4.各々の胸のうち(8) 破戒僧の語るところ

今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。なかなか恋愛しませんけど恋愛ものです。

 下劣ときたか。

 だが、そんな言葉で今更何か少しでも動揺するということもない。


「わたしは妻を無理矢理従わせたいわけではない」


 初めて、アールシュウィンは怒りに類する感情をギルウィルドに向けた。そうされても落ち着きを失わないでいられるのは、自分の考えが間違っていないと確信しているからだろう。


「ではどうなさいます」

「どうとは」

「妃殿下はお戻りにならないどころか、殿下の元から去ろうとされるばかりではないのですか」


 昨夜だって自分が引き止めてやったのだ。別に恩着せがましく主張するつもりはないが。彼女が本気でその気になればいつでも姿をくらませられる。彼女がそうできないでいるのは、今はまだ心が惑っているからだ。惑いを振り切って、遂に心を決めてしまえば誰にも止められない。そうなるまで、あとどれほどの時間が残されていることか。

 生ぬるいことを言っていては、彼は結局本当に欲するものをまた永遠に失うだけだ。そしてそれは――彼のためだけでなくルキシスのためにもならない。


「恐れながら殿下は、妃殿下の御為に泥をかぶるお覚悟が不足しておられるのではないのですか」


 暴言にもほどがある。分かっていたが、やはりあっさりと言ってしまった。本心だからだ。


「貴殿に何が分かる」


 侮蔑や怒りが明確な敵意に遷移した。アールシュウィンは眦を決してギルウィルドを睨みつけた。不意にこちらにも苛立ちが再燃する。つまりは、おまえこそ何が分かっているのかという感情だった。


「妃殿下の御為にそのお怒りを買う覚悟はないと」


 自分の方にも、心の奥底に侮蔑に似た何かがあると、その言葉で気が付いた。

 彼は彼女を幸せにしてやることができるのに、些末なことにこだわってその絶好の機会を逃そうとしていることが許せない。


「なにを」

「構わないではないですか。憎まれても恨まれても、妃殿下が幸福になれるのなら」


 故郷に戻って愛されて大切にされれば、それが彼女の幸せではないか。初めのうちこそ打ち解けずに刺々しい態度を取るかもしれないが、憤慨も、憎悪も怨嗟も、どうせさほど長続きはしない。きっと彼女は彼を愛するようになる。今も本心ではそうなのだから。


 心を寄せてくる者を拒めない。

 突き放しつづけることもできない。

 抱きしめられれば、いずれ本人も納得してそれを受け入れて、細やかな愛情を示すようになる。

 そのために今、いっとき、彼女の怒りを買ったところでそれが何だというのか。それくらいのものも背負えないのなら、それこそ覚悟が足りない。強引な真似を好まないのは彼の誠実さだろうが、そればかりで彼女が幸せになれるとは限らない。ほかに方法がないのならば仕方がないではないか。


「彼女のために悪役は引き受けられないと?」


 怒りを向けられても。憎まれても、恨まれても。

 挫けず愛情を示し続ければいずれ彼女だって分かってくれる。

 いや、本当は彼女だって最初から分かっている。ただそれを態度に示すまでに多少の時間が必要だというだけのこと。


(ほんのそれだけだ)


 男なら、その程度のことを彼女のためにしてやれないはずがないだろう。


「そのような問題ではない」

「彼女が今までどのような暮らしをしてきたと思いですか」


 アールシュウィンは虚を衝かれたようだった。一瞬、毒気が抜けた。


「とても高貴な方々に申し上げられないような暮らしであったとご想像はおつきでしょうが」


 一方で自分の言葉には毒が増していく。


「剣を取って戦場に立たれていたことはご存じですか」


 わずかな逡巡を覗かせたが、彼は結局、無言で頷いた。ルキシスを探してきた月日の中でそういった話は聞こえていたのかもしれない。


「彼女は腕利きで、名も通っていて、傭兵としては申し分ないでしょう」


 敢えて傭兵という単語を持ち出したが、アールシュウィンはさしたる反応を見せなかった。ということはやはり、彼はそれを知っていたということか。


「ですが、婦人は守られるべきです。戦場になど出るべきではありません。違いますか」


 女が男のように剣を握って戦場に出て命のやりとりをすることを真っ当だとは思わない。女には必要のないことだ。それは男の仕事であり、彼女も戦場を去るべきである。


「それに、今はまだよいでしょう。不自由なく戦場に立てるのですから。でも大きな怪我をして、四肢のひとつでもふたつでも失ったら? 今までのように剣を振るえなくなったら?」


 それはこの間ルキシスにも言ってやったことだった。


「――地獄の苦しみを経た後で死ぬしかない」


 このままこんな暮らしを続けていればそれはいつか現実になる。

 そこに至る前の今であってさえ、自分の肉体を撒き餌にして不逞の輩から慰謝料を巻き上げようなどとろくでもないことを企んで、企むだけでなく恐らくは日常的に実行してきたのだ。

 ろくでもない暮らしではないか。そしてその先に何の光もありはしない。死ぬかそれ以上の地獄を味わった後で死ぬか。戦場で命のやりとりをしているような連中の末路などどうせそれしかない。

 彼女がそんな道を歩もうとするのを見過ごすなどあまりに残酷だ。


「リリ……、彼女が可哀想です」


 痛みを伴う荒療治になろうとも、彼ならば彼女を救うことができるのに。


「神官様」


 何らかの苦渋の滲んだ声だった。


「貴殿が妻のためにお心を砕いてくださっていることは分かりました」


 侮蔑も怒りも敵意も、彼の上を通り過ぎたようだった。こちらに向けられた眼差しは深沈としている。しかしその奥に苦衷が見え隠れしているのは否定できなかった。


「わたしは、あれの悲しむようなことはしたくないと考えています。あれにとってはこれまでも思うに任せぬことの多い人生であったと……、ですから何であれ、あれの望みは叶えてやりたいのです」

「妃殿下の本当の望みを正しくご判断くださいますよう」


 再び目を伏せて、ギルウィルドは礼を取った。


「できれば馬を……、栗毛の牝馬を、妃殿下はお連れになっていたかと存じます。その馬をご一緒にお連れください。とてもかわいがっておいでですので、お慰めになりましょう」


 自分が引き取ってもよいと思っていたが、連れて行けるなら連れて行った方がよいだろう。今告げたとおり、ルキシスの慰めになるはずだ。

 元はソヴィーニ人の裕福な貴族の家で繫養されていた馬で、優美な見た目をしている。馬格はないが、クロフィルダイの馬たちと並んでもさほど見劣りはしまい。


「分かりました」

「これまでのご厚情に心から感謝申し上げます。殿下と妃殿下に神々の祝福のあらんことを」


 彼女の夫とはこれが最後の対話になった。

 面会を終えるとギルウィルドはその足で宮殿を後にした。

 せめて明日にしてはどうかと引き止められたが、それはあくまで儀礼的な言葉である。自分の仕事はもう終わった。伝えるべきことは全て伝えた。出立のために必要な準備も明け方までに全て整えていた。ルキシスには一応、手紙を残しておいた。工房に預けている彼女の剣は自分が引き取るつもりで、その分の対価と共に。


 愛馬のエルミューダは、厩に姿を見せたのがルキシスでなくギルウィルドだったので機嫌が優れなかった。彼はルキシスには目を閉じて顔を寄せて仔馬のように甘えるくせに、本来の主のことは自分の背中に跨る重石くらいにしか思っていないようである。ルキシスの愛馬である栗毛のクラーリパの方がまだギルウィルドに愛想がよいくらいだ。

 エルミューダとルキシスに永の別れの挨拶をさせてやれなかったのは少し可哀想ではあったが、それも所詮は人間の感傷に過ぎなかった。エルミューダはいずれ彼女のことを忘れるだろう。


 そしてそれは自分も同じだ。

 彼女と人生が交わることはもう二度とない。彼女は夫とともに故郷に戻る。自分は自分のなすべきことをする。

 必ずギゼイダを救い出す。

 そのために金が必要だし、王の血を証明しなければならない。

 ルキシスのことは、だから、すぐに忘れるだろう。風変わりな女傭兵と、少し時間を共有して、秘密を交換しただけのこと。記憶のひとつとして思い出すことはあるかもしれないが――その時まで自分が生きていればの話だ。



◆◆◆



 しかし手討ちにされる危険をおかしてまで尽くした自分の献身は実を結ばなかった。

 置いてきたはずの彼女はどういうわけでか今、自分の目の前にいた。

 何が何だか分からない。分かるのはただ、結局のところ彼女が夫の手を振り払ったという一点だけだった。


 彼女は瞬きひとつしない。

 印象深い大きな瞳からただ涙を流している。透きとおった雫が頬を滑り、顎を伝って彼女の胸元を濡らしていく。

 自分は言葉もない。何を言えばよいか見当もつかない。ただ途方に暮れるほか、一切のことをできないでいる。

 彼女はこちらを見つめたまま静かに微笑んでみせた。まだ涙を落としながら。

 ――自分が、彼女の涙を見たのは生涯で四度だけだった。その初めてが今この時だった。


「失ったものは失ったままでいたかったの」


 夢でも見ているような口調だった。

 少女のように。


「もうわたくしには手の届かないものだと分かっていた」


 怒っているわけではない。忌まわしげでもない。ただ内省している。静かに。水の底に沈んでいくように。


「手が届くように思えてもそれは元のものとは違う」


 彼女の名前を呼びそうになったが、やめた。口を挟むべきではないと気付いたからだった。


「分かってる。分かってた」


 それは古い時代の歌謡のようにも聞こえた。つまりは歌うような、どこか現実感に欠ける響きだった。


「でも、それをこうして目の前に突き付けられるのは、やっぱり、つらいことね」


 沈んだ水の底から、天上から差し込む光の帯を見上げて。

 彼女は微笑んだままでいる。

 色を持たない無色透明な悲嘆だけがそこにあった。

 彼女のことが理解できなかった。

 何故こんな選択をしたのか。何故、みすみす幸せに背を向けたのか。

 誰にも分かってもらいたくなんてない。

 こちらの困惑を見抜いたように彼女はそう呟いた。澄みきった微笑みのまま。

 こんな悲しみの表現があることを、自分はこの時初めて知った。

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