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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
ラティアという女
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4.各々の胸のうち(1)

今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。なかなか恋愛しませんけど恋愛ものです。

 何の話をするつもりかと、興味もなくうんざりと聞いていた。だが聞くうちに、穏やかならぬ気分になってきた。

 この腐れ縁の傭兵仲間は、何を思って自分にこんな話をするのか。

 これは自分が聞くべき話なのか。もっとしかるべき人物が、しかるべき覚悟を持ってのみ聞くことを許される物語ではないのか。


 しかし結局、一度も口を挟むことはできなかった。

 話し終えると、湖面のような色の薄い水色の双眸がじっとこちらを見た。


「良縁だと思っていた」


 一族に轟く悪名をも意に留めず、対価を支払ってでも彼女を迎えたいと、誠意を示してくれているのだと思っていた。それだけ愛してくれているのだと。何より権力者に嫁げば悪魔のような父親から逃れられる。それが他のどんなことよりも、彼女の幸福になると信じていた。

 でもそうではなかった、とギルウィルドは続けた。


「ギゼイダは結婚をためらっていた。だけどおれは結婚を勧めたよ。十三番目っていうのだけは気にかかったけど……、良縁だと思ってたんだ、本当に。うちのろくでもない一族とも縁を切れるし。馬鹿なガキだった」


 ギゼイダというのがこの男の姉の名前なのか。北国らしい異国めいた、聞き慣れない響きだった。


「いつも考えてる。どうして止めなかったんだろうって。最後に止められたのはおれだけだったのに。ギゼイダの手を取って、家も村も捨てて逃げ出しちまえばよかった。それだってどうにでもなったのに」


 良縁だと思ってたんだ、と彼は再び繰り返した。その拳に力が入っていることに、ルキシスは気が付いた。まだ傷も塞がっていないものを、そんなふうに負荷をかければ治りが遅くなると分からないはずがないのに。


「それはおまえのせいなのか」


 ルキシスは低い石塀の縁から腰を上げた。長く引きずるような部屋着の裾が下草の露を払った。


「わたしはそうは思わない」


 この男の家系のことや、故郷の習俗のことなど知ったことではないが。


「おまえは姉君を助けたいんだな」


 彼の右の拳に手を添えた。負傷した右腕。驚いたようにギルウィルドがその腕を引く。それを押しとどめて両手で彼の右手を包み込む。


「それは好きにしたらいいと思うが、おまえのせいではない」


 強張った拳からすっと力が抜けるのが分かった。ルキシスの手の中で、彼の指先が行き先を求めるようにわずかに動いた。


「リリ」


 今自分自身で話したことを後悔しているわけではなさそうだ。それでも何かしらの動揺らしきものを彼の瞳のうちに見出すことができた。色の薄い虹彩が波打ちながらますます色を失って、透明に溶け入ってしまいそうだった。


「……きみの言うとおりだ。おれはギゼイダを助けたい。今までの人生ずっと、後悔ばかりだ」

「わたしよりずっと若いくせに年寄りみたいな口をきく」


 そう言うほどじゃないだろ、と言って彼は口元だけで笑った。それからまた真摯な面持ちになった。


「だからこれ以上後悔したくない。きみが幸せから遠ざかろうとするのを見過ごしたくないんだ」


 ――なるほど、しつこいわけである。

 つまりはルキシスを通じて、彼は自分自身を救済しようとしているのだ。本人の自覚の有無はこちらにははかりかねるが。


「おまえのことを許してやる」


 この男の救済などのために自分の人生に立ち入ることを許すつもりはなかった。だが代わりにひとつ、別のことを許してやろうと思った。


「金が必要だったんだろう?」


 もっと金があればと思わないことはない、というようなことを、以前言っていた。

 姉とその子のために金が必要なのだろう。それで大金に目が眩んだというわけなのだ。この男は。


「何の話をしようとしてる?」

「おまえがわたしを変質者に売り飛ばそうとした話」


 あっ、と間の抜けた声が上がった。


「いや、あのそれは、悪かったと……、あれ、やっぱりまだ許されてなかった感じなんですかね」


 ギルウィルドは珍妙な敬語を駆使した。


「なんで許されると思った?」

「すいません」

「おまえはあの伯が変質者だったのも知らなかったみたいだし」

「知りませんでした。すいません」

「なんだっけ? わたしが伯妃になって女としての栄華を極めるのも悪い話じゃないんだったっけ?」

「それは反省している。本当に」


 確かにいつぞやその話をした時には、真摯に反省しているようではあった。神官としての経験から遅ればせながらその境地に至ったものかと思っていたが、たぶんそうではなくて、つまりはこういうことだったのだろう。


(思い至るのが遅いんじゃないのか)


 心の底から呆れ果てた奴である。それだけ大金に目が眩んでいたということだろうが。いやさそもそも、赤の他人のひとりやふたり、自分自身の目的のために踏み台にするくらいの賢しさがなければとても世間は渡っていけない。元より小賢しいところのある男である。姉とその子のためならルキシスがどうなろうと知ったことではあるまい。


(あるいは――)


 家族のために賢しくなったのか。

 いずれにせよ弱い方が悪い。利用される方が。踏み台にされる方が。

 だから自分も悪かったのだ。隙を見せた。そこに付け入られそうになった。それだけのことだ。


「とにかく、おまえが金のためにわたしを売り飛ばそうとしたことは許してやる。忘れないけど。あと二度めはない」

「お許しを賜れるのはありがたく……、あのさ、本当に、きみには幸せを掴んでほしいと思ってるよ」

「ふーん、そう」

「すごく興味なさそうだけど、本当に」

「本当に興味ない」

「もう一度よく考えてみろよ。きみの本当の幸せが今すぐにでもきみの手の中に戻るところじゃないのか」

「口のきき方に気をつけろよ」

「茶化すな」


 別に茶化していない。本当に舐めた口のきき方だと思ったから言っただけだ。

 それにしても、本当の幸せときたか。


(こいつに何が分かるっていうんだ)


 本心からそう思う。一方で、どこか突かれたくないところを突かれたような心地はあった。

 昨日からずっと、同じところをぐるぐると回り続けている。ここにいるべきではない。今すぐにも立ち去って、二度とアールシュウィンと関わるべきではない。本当に、そうしなければならないと分かっている――なのに。


(わたしにはそれができない)


 自分からは歩き出すことができない。

 こんな自分は自分ではないようだった。何だって、思うことは思うとおりにしてきた。島を追放されて、ひとりで自らの身を養わなければならなくなって、それからずっと。

 ――なのにどうして。

 ――本当の幸せ。

『それ』が『そう』で、自分がそれを望んでいるとでもいうのだろうか。


 馬鹿げている。追放された女は島へは戻れない。それだけの簡単なことだ。

 夢でも見るように、思考が現実の埒外へ飛んでいく。

 強い風の吹く島。潮風に乗って飛ぶ白と黒の海鳥。雨の少ない、乾いた故郷。それでも冬が終わって春になれば若草が繁って、丈高くはならなくても力強くみっしりと大地を覆っていく。

 ミモザが黄色い花を咲かせる。

 世界で一番美しい場所だった。

 若様の花嫁に選ばれたのは春まだ浅い頃だった。短い準備期間を経て秋には嫁いで、次の夏には終わった。永遠に。

 それがもしかしたらもう一度手に入るのか。


 でも『それ』はもう、かつて夢見た『それ』ではないだろう。

 自分は殺し過ぎた。

 自分に害なす相手を殺すことを何とも思っていない。今でも。

 つまりは、アールシュウィンの隣に立つ資格を自分から手放した。

 そんなことを考えていたからだろう。ひとの気配に気づくのが遅れた。

 ギルウィルドがさっと身を引いた。自分の手の中から彼の手が引き抜かれた。


「ラティア」


 建屋に続く戸口が半ば開いて、そこからかつての夫が姿を見せていた。その長身は屋敷内の暗闇にいまだ溶け込みながら、その反面朝日の中に踏み出しつつあり、陰から抜け出してくる様子は絵画的だった。

 彼はどこか難しい面持ちをしていた。強張っている、というほどではない。むしろ一見、ごく平静そうに見える。しかし違和感は消せなかった。


「殿下」


 一方、見ればギルウィルドの顔が盛大に強張っていた。彼は少しずつ後ずさり、ルキシスから距離を取ろうとする。


「殿下はなしだと昨日約束したのではなかったか」

「それは殿下が勝手に仰っただけです。わたくしは何もお約束などしていません。……でも、ご不快でしたら、御所様と」


 アールシュウィンはかすかに肩をすくめた。彼は回廊を辿ってこちらに歩み寄ってくる。石造りの低い塀に仕切られた内と外。その塀の途切れた出入口から中庭に踏み出して、ますます近くにやって来る。


「部屋にいなかったから探した」

「何のご用でしょうか」

「朝食への招待を」


 アールシュウィンは一通の封書をルキシスに向かって差し出した。それからお客人へもと、似たような封書をギルウィルドに向かっても丁重な所作で渡そうとしたのでルキシスは驚いた。


「それは使用人の仕事ですわ」


 アールシュウィンがするようなことではない。


「わたしがそうして何が悪い?」

「殿下にふさわしいおふるまいではございません」

「殿下はなしだ」


 そうだった。今自分で言ったばかりだった。

 受け取った封書を自らの胸元に押し付けながら、ルキシスは傍ら――と表現するにはいつの間にかずいぶんと後方に下がっていたギルウィルドを見上げた。

 彼は緊張した顔で、しかし招待状を受け取ろうとはしない。早朝から、朝食への招待など無礼だと不快に思っているのだろうか。確かに無作法ではある。


「……お心遣いはありがたく。しかし過分なおもてなしです。お暇のご挨拶を申し上げたいと」

「暇? せめて数日なりと滞在いただきたいとお伝えしたかと」

「これ以上お世話になるわけには――」

「お怪我の具合が心配です。もう少しこちらで様子を見させてはいただけませんか」


 我々を安心させるためにも、と続けられた言葉に、ギルウィルドはそれ以上食い下がる術を見出せなかったようだ。彼は何か言いたそうなそぶりこそ見せたが、結局は黙り込んだ。

 しかし、この三人で朝食会などまっぴらごめんである。ルキシスは招待状をアールシュウィンに突き返した。


「朝食会ならお二方でどうぞ。わたくしは結構です」


 ルキシスが突き出した封書を、アールシュウィンは受け取らなかった。しばし膠着状態に陥った。ルキシスはため息をついて封書を手元に引き戻し、それから背後を振り返ってギルウィルドにそれを押し付けた。えっ、と間の抜けた声が上がったのは反射的に彼がそれを受け取ってしまった後だった。


「じゃ、そういうことで。さよーなら」


 意図して通俗的な物言いをして、ルキシスは中に男ふたりを残してその場を立ち去った。引き止められないよう、腕を取られないよう、慎重に距離をはかって素早く足を進める。


「待ちなさい」


 そう、背中に言葉を投げかけられた。彼の手がこちらに伸ばされる気配があった。

 振り返りたい。彼の腕に飛び込みたい。かつてのように手をつないで、世界で一番美しい場所を散策して、他愛もない言葉を交わしたい。

 でもそれはできないことなのだ。たとえ島の主が許したとしても。

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