1.混乱と過ち(4) 破戒僧の語るところ
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。なかなか恋愛しませんけど恋愛ものです。
初めて人を殺したのは六歳の時だった。
つまりは六歳の頃から戦場で飯を食っている自分が、これはとんだ失態だった。だから素人は怖い。本職には想像もつかないことを、突然、それこそ爆薬が弾けるような苛烈さでしでかしたりする。
それでも失態は失態だ。
医師の診察を終え、衣服を整えながら暗澹たる気分だった。
医師というのは、本物の医師だった。すなわち、床屋が片手間にやっている町医者でなく、大学で医学を学んだ医師ということだった。
(さすがは大貴族様のお屋敷だ)
自分のような平民の流れ者にとっては場違いもよいところである。
クロフィルダイの島主のことは神殿で学んだ。王と名乗っていないだけで事実上の王だ。クロフィルダイの島とやらに行ったことはもちろんないが、西の果てを更に西に向かって海を行き、いつか辿り着くことのできる巨大な島国であるという。かつては大陸にも広大な領土を持ち、やがて衰退して自らの島に戻っていった古代の名族の生き残り。衰退したといってもその富とそれがもたらす権勢は現代でも華々しく、帝国中枢の大貴族たちとも渡り合えるほどだとか何とか。
それでも大陸の覇者である皇帝には建前上頭を垂れている。その一方で帝国の介入を拒絶し、独立を保ち、帝国の構成国家に名を連ねてはいない。
絶妙な舵取りを強いられる立ち位置――ということなのだろう。自分のような平民には想像も及ばない世界だが。
かつて一度だけ、彼女から生い立ちの話を聞いたことがあった。彼女はそういう世界の住人だった。
ちょうど全ての衣類を着込んで立ち上がったところで、ふんだんに金彩の施された浮き彫りで飾られた扉が開き、ひとりの女が姿を見せた。
一瞬、それが誰なのか分からなかった。
「怪我はどうだった」
そう言われてやっと、その小柄な女がルキシスなのだと分かった。
艶やかな群青色のドレスを着ている。差し色は黄色で、いずれも目に鮮やかな濃い色彩だった。どれだけ染料を使っているのだろう。庶民が身にまとうくすんだ色合いとはまるで違う。ドレス自体はすらりとした造りだが、袖口や胸元にはレースが幾重にも飾られて繊細ながらも豪奢な印象を与える。長い黒髪を複雑に結い上げているが、そこには金糸で連ねられた本物の真珠が何十個も編み込まれていて思わずぽかんと口が開きそうだった。しかも香水でも振っているのか、何だかお高く止まった花の香りまで漂わせている。
だが一番の眼目は――胸元を飾る首飾りだ。金の地金で草花を象り、そこに百を越えるであろう数の小さなダイヤモンドが配置されているが、その中央にはめ込まれているのは巨大なルビーだった。血のように深く赤く、しかも中央部には十字型に閃光のような白い模様が入っている。
何を言えばよいか分からなかった。彼女の胸元の小粒のダイヤモンドひとつとったって、大家族が一生食っていくのに不自由のない額にのぼるだろう。
あまりに綺羅綺羅しく、目が眩むばかりだった。実際、眩んでいたかもしれない。宝石たちの弾く光で、彼女はまるで人間シャンデリアだ。
「わたしのなりに一言でも言及すれば殺す」
「何も言ってません」
自分の様子を目の当たりにして、彼女なりに思うところがあったらしい。物騒なことを言ったので、慌てて片手を挙げた。つまりは無傷の方の腕を。
「……あとで殿下が直接お見えになると」
ルキシスは忌々しげにそう言った。
「いや、それには及ばないよ。医者に診てもらったし、もう宿に戻る」
彼女は怪訝な顔になった。
「――ええと、宿は引き払ったけど」
「え?」
「エルとクラーリパを連れてくる時に」
「エルミューダを連れてくるって?」
「えええ?」
怪訝を通り越して盛大に顔をしかめ、彼女はつかつかとギルウィルドの元まで歩み寄ってきた。
「エルもクラーリパも今はこの屋敷の厩舎に入ってる。そういう話だっただろ?」
「え? そうなの?」
「そうなのって……えええ? おまえ、大丈夫か?」
ちゃんとリーズ語で話してただろう、と彼女は言う。しかしまったく覚えていない。いつ? と訊くと、彼女は絶望的な顔をして天を仰いだ。
「おまえ、しばらく大人しくしてろ。血を失いすぎたんじゃないのか。頭が働いていないにもほどがある。もしくは目を開けたまま寝てたか」
随分な言いようである。だが、目を開けたまま寝ていたというのは言い得て妙だった。
「ま……、その、おれにもちょっと、色々と動揺というものが――」
そこまで言って、やめた。ルキシスが凄まじい目付きでこちらを睨んだからだ。
「それの怪我はどういった具合か。手は元どおり動くか」
畏まって控えていた医師に、ルキシスはいささか傲岸さを感じさせる口調で問うた。
出血量は多かったが幸いにも重要な神経を傷つけてはいない。ひと月くらいは安静にして、その後から徐々に訓練していけば運動能力に大きな問題は出ないだろうと、医師は述べた。
ひと月、と呟いてルキシスは深刻な顔をした。
「どうしたの」
「秋になってしまう。その後で東に向かっても、きっとすぐ冬になる。戦争に間に合わないかもしれない」
「ああー、まあ、安静って言っても寝たきりってわけじゃないからひと月を待たずに適当にゆっくり行くよ」
抜糸くらいは医師の手を借りず自分ひとりでもできる。
「それに徐々に訓練していけばって……」
「そりゃ、怪我しててもしてなくても、使わなけりゃ腕は落ちる。だけどさ、仕方ないじゃん。多少時間がかかったって、そんなの戦場で怪我するのと一緒だって」
「お下がり」
と、ルキシスが言ったのは自分にではない。医師に対してだ。初老の医師は畏まって深く頭を下げ、部屋を出ていった。
「未来永劫剣を握れなくなったってわけじゃないようだから、それはよかった。でも……」
ルキシスが小首を傾げ、右手の指先で自らの左の耳朶に触れた。それで気が付いた。耳飾りも変わっている。彼女はいつもさほど飾り気のない金の耳飾りをしていたが、それは単に財産を金に替えて身にまとっているというだけで、そういった蓄財方法は大陸中どこでも一般的だ。自分だって同じようにしている。それが今は、金の地金につり下がる形の繊細な真珠とルビーの耳飾りに変わっていた。首飾りと揃いなのだろう。蓄財のためでなく、身を飾るための宝飾品だった。
「わたしは今は、イッディマ……、あの侍女のことだが、彼女の主ではないから、わたしが言うことではない。だが、よく彼女を止めてくれた。それから怪我をさせてすまなかった」
彼女がそういうことを言うとは思っていなかったのでいささか驚いた。それが顔に出ていたのだろうか。目が合うと、彼女はやや瞼を伏せ気味にした。
「おまえが仕事をできない間の補償と、この不始末についての賠償は、殿下から改めてお話があると思うが、一応わたしからも申し上げてある。ええと、補償については日数分、この間の護衛の仕事を日割りにしたのと同額くらいはと思って……、それに賠償と医療費も合わせてドゥレッツァ金貨五十枚と――」
ルキシスは何か言いづらいのか、彼女にしては不明瞭につっかえつっかえ言った。
しかしドゥレッツァ金貨五十枚とは破格である。
「交渉してくれたの」
そう訊くと黙って頷く。
彼女が責任を負うべき話でもないが、彼女なりに悪いと思っているのだろう。その厚意はありがたく受け取っておこうと思う。なにせ、世の中には先立つものが必要だ。
ひとまず礼を述べると、彼女はまた黙って頷いた。
急に沈黙が落ちた。
やはり自分の負傷について責任を感じているのだろうか。確かに自分は、正直に言って巻き込まれた感しかなかったが、だとしてもやはり彼女のせいとは言えない。結局は自分がしたことだ。




