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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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3.密約(2)

男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

1日あたり1、2話くらい更新します。

 しかしそれにしたって、さっきの下働きのあの態度は何なのか。

 この少女の苦労は尽きないようだった。身内と思われるあの兄弟はろくでなしだし、下働きまで彼女を軽んじている。

 頼りになる侍女がいないわけではないようだが、それにしたって彼女の周りには敵の方が多いのではないか。

 こんな、十二、三くらいの稚い少女が。

 ルキシスはため息をつきそうになって慌ててそれを押し殺した。少女に聞かれたくはなかった。


「針と糸を持ってこい」

「お姉さん」

「刺繍を教えてやる」


 立ち上がって肌着を身に着けながらルキシスは言った。今ルキシスが使っていた裁縫道具は自らの持ち物である。殆どの日用品は馬に積んでいたので紛失してしまったが、貴重品といくばくかの品物は身に着けていたので今もこうして手元に残っていた。


「本当に? 嬉しい」


 少女は浮き立つような足取りで部屋の隅に駆け寄り、裁縫箱を持って戻って来た。

 裁縫箱も豪奢な造りだった。箱自体が全面を色とりどりの縫い取りによって飾られ、中におさめられた針や鋏も一級品である。


「糸を解くことはできるか? そう、鋏の先で……、布地を傷つけないよう気をつけて。心持ち鋏の先を上に持ち上げるように」


 明かりの入りやすい場所を少女に譲り、ルキシスはその傍らに座った。とりあえず肌着の上に中着を羽織っただけの気楽な恰好である。

 刺繍は同じ雪華模様を横一線に連ねていくもので、細やかではあるが単純な図案でもある。その分乱れなく裾の部分を埋めていけば豪奢で華麗ながら端正な印象を与える。


「隣の図案をよく見て真似をするんだ。針を刺す角度に注意して――ああ、ちょっと。針を抜く前に戻してもう一度。今のは少し斜めだっただろ、そうすると糸が歪むから」


 刺繍枠に広げた布地を指差しながら逐一指示してやる。指示される方も大変かもしれないが、指示する方もいくらかは気が張るものだった。ふだん、人に物を教えることなどそうそうない。戦場で顔を合わせたトーギィに、団長の許しを得たうえで時々手合わせをして指導してやるくらいだ。


 少女は本人の言うとおりに、なかなか針仕事は苦手なようだった。根が不器用というか、こうしようという計画は頭の中に浮かぶようなのに、そのとおりには針を刺せないといった様子で、雑なわけではないのにどうにも不格好になってしまう。

 こういうことの向き不向きは努力だけでは埋めにくいものだ。だがさほど上達はしなくとも、少なくとも慣れることはできる。慣れた感じが出るようにさえなれば、上手いとまでは言えなくともそれなりには見られるものだ。


「お姉さん、呆れた?」


 数十分ほども刺繍を続けて、やっとほつれた部分の三分の一ほどが片付いた。

 指先や目が疲れたのだろう。少女が肩を回すようにしながら顔を上げた。


「何故?」

「だって、あんまりに下手だから」

「人間には得意と不得意があるものだ」


 ルキシスだって幼い頃は自分がこんなに人殺しが得意だなんて知らなかった。そして不得意なものだっていくらでもある。


「わたしの得意なものって何かなあ」

「好きなことはないのか?」

「好きなこと……」


 少女が考え込む。顎先に指を当てる。子どもらしいふっくらとした指先だ。


「あると思うのに分からない」


 少女は途方に暮れたような顔をしてルキシスを見た。


「無理に見つけようとしなくても好きなことなら勝手にやりたくなるんじゃないのか」

「お姉さんの好きなことって何?」

「わたしか」


 人殺しは得意なだけで、別に好きでやっているわけではない、と思う。得意だからいつの間にか仕事になってしまっただけだ。いや、それもどうか。殺したくて殺している時だってある。殺すことでやっと落ち着くという夜もある。

 初めて人を殺した時には――そんなつもりではなかった。

 殺したいというのと、殺すのが好きというのは同じ意味だろうか。違う意味だろうか。よく分からなくなった。


「……言われてみると咄嗟に思いつかないな」

 他の何かを探そうとしてもやはり答えは見つからなかった。腹の立つ奴をぶちのめしている時は楽しいが、それが好きというのもやはり少し違う気がする。


「お姉さん」


 少女が再び刺繍針を手にする。まだ三分の二ほども残っているほつれの部分に向き直る。


「わたしのこと、何も訊かないのね?」

「話したいなら聞こう」

「お姉さんのことも聞きたいわ」

「わたしか」


 また同じ受け答えをしてしまった。


「お姉さんの名前、まだ聞いていない」

「ああ」


 そう言えばそうだった。


「先に言うわ。だからわたしのを聞いたらお姉さんも教えて」

「分かった」

「わたしはユシュリー。ユシュリー・ヴィユ=ジャデム。ヴィユ=ジャデム家の……、女相続人です」

「ヴィユ=ジャデム?」


 それはジャデム家の本姓ではない。分家筋ということか。

 なるほど、そういうことか。ジャデム家の本家の令嬢であれば供の者もつれず一人きりで森の中にいるわけがない。少女は分家筋の娘で、分家が治める地域がこのあたりなのだろう。


「お察しの通りジャデム家の分家筋です。でもジャデムの名を名乗ることを許されているのは本当です」

「疑っているわけではない」


 しかしあのエメラルドは分家にはあまりに過ぎた宝飾品なのではないか。そう違和感が過ったのも事実だった。


「あーと、わたしはルキシスという」

「ルキシスお姉さん?」


 少女が目を上げ、少し眉をひそめた。


「勘違いだったらごめんなさい。でもお兄さんは確か違う名前で……」

「あいつのことは気にしないでよろしい。あれは、わたしのことを勝手に違う名前で呼んでいるんだ」

「あだ名なのね」


 そういうわけではないのだが、ではほかにどう説明してよいかも分からないのでルキシスは口をつぐんだ。

 もちろんギルウィルドは、ルキシスという名前を知っている。知っていて、今少女に告げたように勝手に「リリ」などと呼んでいるだけなのだ。

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