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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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1.女傭兵、逐電す(1)

今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。

 構えた剣の切っ先が互いを向いていた。


「一応訊くけど、大人しく捕まる気はある?」


 答えなど分かっているくせに。


「全財産置いて詫びを入れるなら殺さないでおいてやる」


 言いながら、自らの笑みが深くなるのを感じていた。


「前金ももらっちゃったしね。仕事はやるよ」


 そうか。では仕方がない。


「なら死ね」



 ――話は半日前にさかのぼる。



◆◆◆



 女はルキシスと名乗っていた。

 生まれた時の名ではあるまい。男名である。


 だが男のふりをしているわけではなかった。正確には、女であることを隠してはいなかった。化粧気はなく、髪は適当に結わえただけのものを背中に垂らし、着ているものも男物のぴったりとした胴衣に穿袴(ズボン)、ついでにいくらか三白眼ぎみの目付きにはいつも険があり、何にせよ構いつけないたちなのは誰の目にも明らかだったが、女であることもまた隠れようがなかった。


 あいつは昔は男のふりをして性別を偽っていた――と、女を古くから知る者の中にはそう証言する者もいる。そして女はそれを特段否定していない。

 では何故性別を偽るのをやめ、女の姿に戻ったのか。


 答えとしてはふたつある。ひとつは、まだいくらか線の細い少年と偽れた少女期を過ぎ、女であることを隠しようもなくなってきたからだ。


 なにせ、背が伸びなかった。女としても並より背丈が低い。そのためむくつけき男たちの中に混じっていると、ちょこんと人形が混じっているような感じがあった。髪を短くし、発声を低くするよう努めても、とても男には見えなくなってしまった。


 そしてふたつめには、性別を偽らざるとも身の安全を担保できると、女が自分自身で納得したからだった。


 要するに女は腕が立った。その刃の鋭さは一突きで獅子をも倒すと評判だった。当人は、獅子と戦ったことなどないと言っているが。いずれにせよ彼女を自らの騎士団なり傭兵団なり盗賊団なりに抱えようと金子を積んだ連中の数は王侯貴族から夜盗の類まで十指では到底足りない。しかし女は今に至るまでどこの団にも所属せず、好きな時に好きな戦場に顔を出す日々を続けている。めっきり、顔を出さないこともある。そういう時は用心棒なり何なり、いずれにせよ自らの腕っぷしを活用できる雇われ仕事をやったりやらなかったりしているようだ、というのがもっぱらの噂であった。


 女騎士だの女傭兵だのというのはここ数十年でぐっと珍しくなった。ほんの百年ほど前、今よりも世の中が乱れていた時代には、戦場に出る女はそこまで珍しくはなかったという。だがそういった女たちは大抵の場合どこかの団に属しているもので、ルキシスのように属する団を持たない傭兵は乱世の中であっても珍しかったであろう。


 ルキシスがそれを成立させることができたのは、彼女が性別を偽るのをやめたふたつめの理由に依存する。


 戦場の中にあっても外にあっても、女がひとりで生きていくことは極めて困難だった。女は職人にはなれない。商売の許可証も取得できない。財産権も、土地の所有権も限られている。何をするにも父親か兄か夫か、男性親族の許可と庇護が必要だ。


 だからひとりきりの女など誰かの食い物にされる以外に道はない。運が良ければ神殿に保護され、聖職者に仕える下働きになれるかもしれないが、神官どもだって清らかな者ばかりではない。庇護する者のない女を食い物にしないとは限らない。


 当然、ルキシスにも同様の危機はあったことだろう。戦場であろうとなかろうと、彼女に不埒な真似を働こうとする輩は少なからずいたはずだ。だからこそ昔は性別を偽るような小細工もしていたのだろう。だが噂によれば、彼女に狼藉を働こうとした者は全員殺されて身ぐるみ剥がされたか、殺されない程度に痛めつけられて身ぐるみ剥がされたか、去勢されて身ぐるみ剥がされたかのいずれかだと言う。


 要するに、どのような相手であってもいざとなれば彼女自身で何とでもできる。

 それが彼女の身の安全の担保というわけで、実際、戦場での彼女の働きを見るにどうやらそれが誇張ではなさそうだというだというのが周囲の一致した意見であった。


「姐さん、何かあったの?」


 折角の戦勝の宴で渋面を隠そうともしないルキシスに水を向けたのはトーギィだった。トーギィは白蹄団(はくていだん)というそれなりの規模の傭兵団の団員で、まだ十代半ばの少年だった。ルキシスとはあちらこちらの戦場で顔を合わせ、顔馴染みといってよいだろう。


「折角勝ったのに」


 戦勝の宴と言っても、ここは下層だ。貴族や騎士のような上澄み連中がやって来るはずもない。彼らは彼らで奪取した城内の広間にでも集まり勝利を祝っていることだろう。ここは兵営の半地下にある食堂で、やたらと火を焚いているわりに暗くて熱気ばかりがむわむわとこもっている。空気が悪い。こんな場所にいるのは傭兵たちと、正規兵の中でも末端の下級兵だけだった。


 戦の勝敗が決したのは昨日の昼のことだった。そこから一日半、今日という日ももう夜更けに差し掛かりつつあるのに飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎが続いている。正式な論功行賞はまた少し先のことになるだろうし傭兵連中がそれに与れるかも定かでないが、いずれにせよ攻めていた城を奪って勝利したということで、敵から奪った酒と食料は傭兵たちにも気前よくふるまわれていた。皆、悪い気分ではなかったはずだ。酒は安物だが量はたっぷりあり、食事の方も傭兵たちの口に入るものと考えれば上等な類だった。焼かれた肉から滴り落ちるたっぷりの脂など、トーギィは眺めているだけでたまらない気持ちになる。次にこんなご馳走にありつけるのはいつのことになるだろう。


 だが、ルキシスはずっとしかめ面をしていた。そのくせ自分の幕屋に引き上げるわけでもなく、延々、延々、延々、荒々しく席に着いたその瞬間からずっと、のべつまくなしに料理の皿に手を伸ばし続けている。酒はあまり口にしていない。姐さん、うわばみなのに――と思ったところで、黙々と食事を続けるルキシスの頭上に影が落ちた。


「聞きたいな」


 影の主はそう言うなり、勝手にルキシスの隣に腰を下ろした。彼女の両隣は元より空いている。あまりに機嫌の悪い腕利きの女傭兵の姿に、周りの連中が恐れをなして近付かなかったためだ。


「兄さん」


 そう呼びこそすれど、その男は別に白蹄団の仲間というわけではなかった。ただ、顔は知っていた。一緒に戦った経験も何度かあり、ルキシス同様顔馴染みと言えた。トーギィよりは年長だし、彼もまた所属する団を持たない傭兵としてあちこちの戦場で声がかかるほどに腕が立つので、敬意をこめて、また不必要に敵を増やすこともないので兄さんと呼んでいるだけだ。ルキシスを姐さんと呼ぶのと同じだ。


「リリ、ヴェーヌ伯に呼ばれてたね? 何を言われた?」


 ルキシスは答えない。隣に座った男を一瞥だにしない。料理の皿を乱獲することに集中している――と見せかけて、彼女は明らかに苛立っていた。元々不機嫌だったが、それに拍車がかかった。トーギィにも分かるくらいなのだから、当然、隣に座った男にもそれはたやすく知れたことだろう。


「当ててあげようか」


 男が腕を伸ばして料理の皿を一枚取った。分厚い肉をナイフ一本で器用に切り分け、そのナイフをフォーク代わりにして肉を口元まで運ぶ。


「値切られたんだろう」

「殺すぞ」


 席に着いてから初めてルキシスが喋った。


「できるものならね」


 男は笑いながら軽口を叩く。ルキシスが横目に男を睨みつけた。


 トーギィは少しだけ男のことを羨ましく思った。正確には、一突きでも獅子をも倒すなどと猛々しく語られる女傭兵にこんな軽口を叩いて許されるだけの腕っぷしを、羨ましく思った。例えば同じことをトーギィが言ったとしたら――いや、自分が言うのはあまり想像がつかないので、同じ白蹄団の先輩のボゥあたりが言ったものとして、そうしたら今頃ボゥの指の二、三本は本体からおさらばしていたことだろう。


 でも今はそうなっていない。

 ということはつまり、ルキシスにそうさせないだけの力が目の前の男にはあるということだ。


 戦場で両者と関わったことのあるトーギィとしては、それは実感を持って納得できる事実だった。

目が節穴なので誤字脱字教えていただけると嬉しいです。

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