誰も知らない出会い
見切り発車ではありますが、どうぞよろしくお願いします。
by 鬼桜天夜
黄金に輝く金の塔。その足元に立つ煤汚れた赤銅色。
彼女は上をゆっくりと見上げ、大きく深呼吸した。吐きだす息から漏れるのは塔の大きさへのものか、これから待ち受ける試練への嫌気からか。どちらにせよ、この運命から逃げられないのだから、哀れなものだ。
時刻は日付を跨ごうかというところ。そして、この島が活気づき始める。夜はこれからだと言わんばかりに煌めき、輝いて、不自然に高揚感をもたらす。
そんなことを考えながらしっと上を眺めていたからか、周りの音が遠くに聞こえたいたようだ。隣に気配を感じ彼女は自分の横に視線を向ける。自分より少し上背のある彼が、自分をこんなことに巻き込んだ張本人だというのに、なぜそこまで敵意が湧いてこないのか、本当に不思議だ。
男らしい体躯、きれいに揃えられたネイル、骨ばった顔つきに、滑らかなロングの茶髪。どう考えたってミスマッチなのに、妙に似合う。へんてこな仕草も、このネオンの前じゃ何も気にならない。
「準備はできたかしら?」
「うん。行こう」
名も無き少女と正体不明のオネエ科学者という、人工島でも更に歪な二人組。行くのは"アルケディア″。その頂上では、世界中の富が手に入る、といわれている。しかし、大きな利益には大きなリスクが付きまとう。そして、それを乗り越えた先は言わぬが花だ。
そもそも、彼女がアルケディアへ身を投じることになったのは、ほんの数日前だ。
コポコポという深く鈍い音が聞こえる。
他に聞こえるのは自分の規則正しい心音のみ。視界はまだ真っ暗闇のまま。目を閉じているからだろう。なら目を開けるのが当たり前だ。
瞼がとてつもなく重く感じる。徐々に見えてきた光は、優しく青暗いもので、目が痛くなることはなかった。
心臓が大きく跳ねる。
目の前にいるであろう人たちに既視感はなく、ただただ胸騒ぎだけが大きくなっていく。
痛い。
なんで痛い?
なにもわからぬまま痛みだけが大きくなっていき、その痛みは全身へと広がっていた。
─────この悪夢を、だれか終わらせて。
「っっ!!ごほっ、っごほ」
はっと息が詰まり、吐いてしまうのかと思うほど咳き込んでしまう。周りに水がありそうな所は見当たらない。生理現象に促されるまましばらく咳をしていたが、案外早く落ち着いて、呼吸は正常に戻った。だが、冷汗はまだ収まらないし、めまいといった体調不良は治らない。
なるべく深く呼吸をしながらまたあたりを見回すと、彼女の見たことのない場所だった。
雨上がり独特の鼻につく臭いに、人っ子一人いない暗い路地裏。こんな場所にもちろん見覚えなんてなくて、どれだけ記憶をたどってもこんな場所は知らない。
そもそも、記憶をたどるって何?
もう一度思い返す。自分が今まで生きてきた人生の断片を、少しずつ、少しでも。だって、自分は何か理由があってここにいるはず、じゃなきゃなんで…
何も、思い出せない?
思考が止まりかける。何も考えたくない。この行為の果ての結末を、知っている気がするから。
大前提である、この問いも、きっと虚しく終わるのだろう。
私の名前は?
───分からない。
焦燥感だけが募っていく。治りかけていた眩暈に加えて、頭痛までひどくなってきた。彼女は顔を真っ青にさせて駆け出す。
足を止めていたら、見えない手に掴まれてしまいそうで、必死に、必死に走る。そこまで走っていないのに、肺が妙に痛い。
曲がり角から黄色の光が差し込んでいるが、それを見た途端、頭で警報が鳴り響いた。
これが悪い予感であるのは間違いないけれど、足を止めることも怖くて出来ない。
スピードを落とさず右折して、思わず彼女は足を止めた。
そこには、黄金郷があった。
どこを見渡しても金、金、金色だらけ。目眩が悪化しそうだ。
九割が金色の建物で、街灯だって金色に染め上がっている。こんな所が、現世に存在するのか。そうあっけに取られていると、不意に肩を叩かれる。
「君、こんなところで何してるの?」
いかにもいけ好かない顔で話しかけて来たのは、警察のような服を着たおじさんだった。この男が本当に警官なのかは分からないが、あの何か企んだ顔は気に入らない。
「いえ、何も」
「親御さんは?近くにいないのかな?」
「いません」
「そっか…なら、一緒に探そう。一度交番に」
「触らないで」
肩に触れようとした警官の手を叩く。目を見開いたが、また笑みを浮かべた。
「一人じゃ見つけられないだろう?2人で探した方が早く見つかる」
「そう思うのなら、そのもう片方の手にある銃をしまってから言って」
「…何を言ってるのかな?」
「そのとぼけ方はなくない?そこのカーブミラーから丸見えだし」
すぐに警官は後ろを振り返るが、あるのは街灯が等間隔で並んでいるだけである。もしかして、そう思ったのが少し遅かったか、先ほどいたところにもう少女はいなかった。彼女はそこそこ足が速いらしく、小さな背中がどんどんと遠ざかっていく。
「なっ!?クソが!!」
彼女の危機感は当たっていたようだ。警官は鬼のような表情でその背中との距離を詰めている。
「はぁっはぁっ、もうっ、一体なんなのっっ!」
相手も相当な健脚の持ち主で、数秒のアドバンテージをみるみる縮める。
ここで捕まったら何をされるかわかったもんじゃない。
トラウマを振り払うように首を横に振って、路地裏への曲がり角を左折すると、さらに加速させる。
「逃すかっっ!!」
ラストスパートと言わんばかりにスピードを上げる。ほぼ前など見ていないものだから、急に出て来た腕にも気付けず、あっさりと捕まった。
「ちょっとごめんね?」
「うっっ!?」
「音を立てないで」
腕を引っ張られたかと思ったら口を大きな手で塞がれる。息が上がって、ぶっちゃけ酸欠で頭がフラフラしてるし、抵抗する力は残っていない。
足音が近づいて来て、こっちへ来ることなく走り過ぎていった。
この人もそれを確認したのか口元の手を離す。
口いっぱいに酸素を吸い込んで吐き出した。うぅ、まずい。
「ん?あらごめんなさい!そうよね、急に息止めさせたら苦しいわよね。本当にごめんなさい」
屈みこんでいる小さな背中に、大きなてが添えられる。自分の背中をさするその手を、不思議と彼女は止められなかった。呼吸が落ち着きつつあるなか、至極当然の疑問を持ちかける。
「あんた、だれ?なんのよう?」
「そうね。誰かわからないのに、信用もへったくれもないわよね。ワタシはマギナ・ヴォイス。楽園を追放された憐れな科学者よ」
間違いを犯しても、神は許してくださる。大いなる心でご慈悲をお与えになる。
─────だが、今を生きる人間どもは違う。
追い打ちをかけるように、神さえも我が所業へ怒りを向けた。
不良品、欠陥品として処分されかけたあれが、一夜で最高傑作になった。震え上がった。歓喜で脳が痺れた。
だが、人間どもは頑なに認めようとしなかった。全てを投げ打ってまでやってきたのに、悔しさより怒りが湧き立つ。
そして、落ちてきたここは、欲望の坩堝、そう表現するしかない。
金はある。だが、生きる理由がなければ、そんなもの何も意味はない。当てもなく彷徨い、途方に暮れていた折、不意にそれは目に映った。
それからは早かった。
成すべきこと、使命感、ワタシの償いきれない罪。それらに、意味という熱が灯った瞬間だ。
「それがなに?私、なんのようって聞いたんだけど」
「アナタにお願い事、というか、協力してほしいのよ」
「私に?」
ねぇ、そう切り出された言葉からは、なぜか同情が含まれている気がした。
「アナタ、名前覚えてる?」
「…分からない。思い出そうとはしてるけど」
「…そう。そんなアナタに、酷なことを言うかもしれないけど、よく聞いて。今、アナタは指名手配犯としてこの国から追われているの」
「私が、指名手配犯?待って、なんで」
「その理由まではワタシも分からない。けどね、うまくいけば、ワタシもアナタも助かるかもしれない」
「なんであんた、えーと、マギナも追われてるの?それに、なんで私を助けるの?」
「あぁんもう!とにかく!ワタシも、アナタも、このままだと訳も分からないまま、捕まってぶっ殺されちゃうの!」
「物騒だなぁ…」
「他人事じゃないわよ!」