【コミカライズ】妹の身代わりで、呪われた王子と婚約したところ
セシリア・ヴァルドリアンは侯爵邸の中庭で、息を呑むような光景に遭遇した。
色とりどりのバラが咲き乱れ、その甘い香りが満ちている中で、婚約者であるレオナルド・エルンシュタインが女性と情熱的に抱き合い、キスを交わしていたのだ。
そして相手の女性は、実の妹であるエリカだった。
エリカはセシリアの姿に気づき、微笑みながらレオナルドの胸に頬を寄せる。
レオナルドもセシリアの存在に気づき、はっと息を呑んだ。
「お姉様、本当に申し訳ありません……わたし、レオナルド様と愛し合ってしまいましたの。真実の愛で結ばれたのです」
エリカはにこやかに微笑んで言う。
レオナルドは顔を赤らめ、恐縮の表情を浮かべていた。
「だからね、お姉様。醜い第三王子との政略結婚は、どうかお姉さまが引き受けてください。姉妹のどちらが相手かだなんて、誰も気にしないでしょうから」
セシリアはエリカとレオナルドを見つめ、微笑んだ。
「ええ、わかったわ」
セシリアが頷くと、レオナルドは驚いた顔をする。
「ごめんなさい。二人がそんな関係だなんて、全く知らなかったわ。王家への嫁入りは私が引き受けるから、二人は心置きなく幸せになってね」
――王家の第三王子ダリウスは、とても醜いという噂だった。彼の母親に嫉妬した魔女が、子供にかけた呪いだと言われていた。そのため、ダリウスは生まれて以降、離宮に閉じ込められているのだと。
そんな王子との婚姻話が侯爵家に持ち込まれたとき、長女であるセシリアには既にレオナルドと言う婚約者がいた。
そのため妹であるエリカにその話が回ったが、エリカはひどく嫌がっていた。
父と母が王家に嫁ぐのは大変名誉なことなのだと説得し、一時は受け入れていたが――……
(レオナルドと恋仲になっていたのなら、仕方ないわ)
いったいいつからだとか、レオナルドは何を考えているのかとか、どうでもよかった。
エリカがそう決めたのなら、父と母もそれを支持するだろうから。セシリアが何を言ったところで、もうこの運命は変えられない。
――セシリアはすべて受け入れた。
◆◆◆
そして、婚約式の日。
王宮の豪華な間に集まった貴族たちや神官たちが、厳かな雰囲気を漂わせていた。壁にはシルクのタペストリーや豪華な装飾が施され、天井からは煌びやかなシャンデリアが煌めいていた。
床には赤い絨毯が敷かれ、その上を歩く者たちの足音が、さらに儀式の重みを増していた。
セシリアはシルクのドレスを着て、ダイヤモンドや真珠の宝石を身に纏い、静かに立っていた。
ダリウス王子はまだ来ていない。
(呪いと言っても容姿に関することだけ。心は美しい方かもしれないわ)
セシリアはぼんやりと考える。いま胸を占めているのは、呪いや醜さに対する恐れよりも、ダリウス王子本人に対してだ。
(いえ、どんな方だとしても、ずっと呪われているとか言われて恐れられていたら、きっと本人もおつらいでしょう。せめてわたくしが友人になれたらいいのですが)
たとえどんな姿であってもセシリアはダリウスを愛する覚悟を決めていたが、愛してもらえる自信はない。
(せめて友人になれたらいいのですが)
燃え上がるような熱情がなくても、穏やかに支えられる存在になりたい。
そしてついに、ダリウス王子の入場が始まった。彼が豪華な扉をくぐり抜けて現れると、一瞬の静寂が訪れた。
セシリアは新たな婚約者となるダリウス王子と対面する。
(わたくし、美醜の基準がおかしいのかしら……?)
そこにいたのは、予想を裏切る美しい王子だった。髪は夜のように黒く、瞳は深い青で、まるで夜空に輝く星のようだった。その顔立ちは整っており、彫刻のような美しさを放っていた。
しかしその美しさに驚いているのは、セシリアだけのようだった。
他の人々はまるで怪物を恐れるように、悪霊に怯えるように、視線を逸らしている。
こんなに美しい人を前にして、ほとんど全員がそんな態度を取っていることが不思議でたまらなかった。
ダリウス王子の青い瞳は、そんなセシリアをどこか遠い目で見ていた。
◆◆◆
結婚の準備のために、セシリアはダリウスの住む離宮に居を移した。
離宮は静かな場所にあり、美しい庭園に囲まれていた。鳥のさえずりや木々が風に揺れる音が心地よく響いていた。使用人たちの数も少なく、建物内も静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。
セシリアは与えられた部屋に入る。
大きな窓から差し込む日光が室内を明るく照らしていて、美しい家具や調度品が並んでいた。飾られている花も瑞々しく咲き誇っている。
セシリアは窓に寄り、外の庭を眺めた。
(ダリウス様がお美しいのはともかく……容姿のことをとやかく言われるのは不快でしょうから、触れないでおきましょう)
美しくとも、そうでなくとも、セシリアにはあまり関係ない。あんな美しい容姿なのに呪われた醜い王子と噂されているのは不思議だったが、セシリアが考えても仕方のないことだ。
セシリアは穏やかに離宮で過ごした。使用人も教育が行き届いていて親切で、不便に思うことは何一つなかった。
ただひとつ、困りごとがあるとしたら、暇な時間があることだろうか。王族に嫁ぐための準備としての勉強や、結婚式の準備はあるが、セシリアはそれを軽々とこなしてしまうため、どうしても時間が余る。
セシリアはひとつ決意し、朝に食堂へ向かう。そこでは離宮の主であり婚約者であるダリウスがいた。セシリアは喜び、明るく挨拶をする。
「おはようございます、ダリウス様」
「……ああ」
美しい人は声まで美しい。
セシリアは感嘆しながら、話を続けた。
「ひとつお願いがあるのです」
「なんだ。もう婚約を解消したいのか」
ダリウスはつまらなさそうに言う。
「いいえ。そうではなく、庭の一角をお借りしてもいいですか? 野菜を植えたいのです」
「野菜だと……?」
ダリウスは驚いたような顔をする。
セシリアはぐいっと身を乗り出した。
「はい! 日当たりのいい一角をぜひ」
土いじりをしていれば、余暇を有意義に過ごせるだろう。
「……好きにすればいい」
許可を受けたセシリアは、早速庭の一角を借りて好きにした。
土を耕し、肥料を入れて寝かせて、野菜の種を蒔いていく。
「ああっ……憧れの土いじりができるなんて……わたくし、とっても幸せです……」
草抜きをしながら、セシリアは喜びを噛みしめた。書物でしか知らなかったことを実行できる喜びを。
そうやって連日勉強や結婚式の準備の合間に土いじりをしていると、その場所はだんだんとちょっとした畑になってきた。
――そして、ある日のこと。
「今日はとてもいい天気ですね。ダリウス様、あとで庭でお茶をしませんか?」
セシリアが朝食の席でダリウスに提案し、二人は十時のティータイムを庭で過ごすことにした。
緑に囲まれた庭で、明るい陽射しの下。テーブルに真っ白なクロスを広げて、心地よい風の中、お茶と軽食を楽しんで過ごす。
会話らしき会話はほとんどなかったが、セシリアはまったく気にならなかった。会話がなくても気まずくなることもなく、心はとても落ち着いていた。
「ダリウス様、見ていただきたいものがあるのです」
セシリアはダリウスを自分の畑に連れていく。
「ふふっ、どうです? ちょっとしたものになってきたでしょう?」
畑にはきれいに畝立てされた土が並び、発芽した野菜たちがきらきらと輝いていた。
セシリアの自慢の畑だ。
「きっとおいしい野菜がたくさん穫れます。そうしたら、料理長に料理してもらいましょう」
楽しみで頬が緩むセシリアを、ダリウスが青い瞳で見つめていた。爽やかな風が、彼の黒髪を優しく揺らしていた。
「君は私が怖くないのか?」
突然の問いに、セシリアは笑顔で答えた。
「全然。だって、きっと、私の方が強いですもの。ダリウス様をお守りできるように、毎日鍛えていますから」
そう言って、力こぶを作って見せる。
すると、ダリウスが吹き出すように笑った。それは、セシリアが初めて見るダリウスの笑顔だった。
「不敬でしたか?」
「いや、構わない」
ダリウスは楽しそうに微笑む。
「君は不思議な人だな……最初から私の姿に恐れもしなかった」
「驚きはしましたわよ。とっても素敵な方でしたので」
セシリアが笑顔で答えると、ダリウスは驚いているようだった。そしてその顔もまた美しい。不思議と日を追うごとに美しさに磨きがかかっているように見えた。
「姿はともあれ……呪いが怖くないのか?」
「はい、まったく」
再び尋ねられ、セシリアは答える。
本当に、まったく怖くない。
「呪いというものが、誰かの思いに起因するものなのでしたら、わたくしはその誰かに決して負けません。ダリウス様を必ずお守りいたします」
セシリアはダリウスを見上げ、力強く宣言した。
「だって、わたくしはダリウス様の妻になるのですもの」
◆◆◆
ある日、妹のエリカがセシリアの様子を見に離宮を訪れた。応接間でエリカはセシリアに興味津々と言った様子で尋ねてくる。
「お姉様、第三王子殿下はどのような御方ですか?」
「ダリウス様はとっても美しい御方よ」
「美しい……?」
「ええ、とても。わたくし、あんな綺麗な殿方を初めて見たわ」
エリカは心底驚いたように呆然としていた。
「なにそれ? 呪いで醜い姿というのは、嘘なの?」
「呪いがどんなものかはわからないけれど、噂は当てにならないわね」
その時、部屋にダリウスが姿を現す。
「ダリウス様、妹のエリカです」
「ああ、君がエリカ・ヴァルドリアン嬢か」
名前を呼ばれたエリカの頬が、みるみる赤く色づいていく。ダリウスはセシリアとエリカを見つめ、微笑みながら言った。
「セシリアからは、あなたのことをよく聞いている。大変姉妹仲が良いと。これからもお互いに支え合ってもらえると嬉しく思う」
「はい……もちろんです……」
うっとりとしながら答え、ダリウスが退室した後もずっと扉を眺めていた。
「お姉様」
エリカはくるりと振り返り、セシリアに告げる。
「わたし、ダリウス様が好きになってしまったわ」
「ええっ……」
驚くセシリアに、エリカは笑顔で続ける。
「だから返してください。元々わたしにきていた結婚話ですもの。結婚式はまだ先。姉妹が入れ替わったって、大した問題じゃないわ」
「ダメよ、エリカ。落ち着きなさい。レオナルド様はどうなるの?」
真実の愛で結ばれた相手ではなかったのか。
さすがにセシリアも呆れてしまった。
レオナルドをセシリアから奪っておいて、またすぐに鞍替えだなんて。
「……そうですね」
エリカが反省したように項垂れるのを見て、セシリアは少し安心した。
エリカはまたすぐ立ち直ったようで、顔を上げて明るく笑う。
「ねえ、お姉様。一度家に帰ってきませんか? お父様もお母様もお兄様も、お姉様のお話が聞きたいときっと思っているわ」
「そ、そうね」
ダリウスと婚約し、離宮で暮らし始めてから、一度も家に戻っていない。
「……エリカ、レオナルド様との未来を忘れてはダメよ」
念のため釘を刺すと、エリカはにこりと笑う。
「ええ、もちろんよ。お姉様」
あまりにも明るい振る舞いに、逆に不安になる。
(本当に大丈夫かしら……)
◆◆◆
セシリアはダリウスと話し合い、一度家族に会いに帰ることにした。家族は彼女の帰りを心待ちにしており、久しぶりの再会に喜びを感じた。いままで以上に温かく迎え入れられた。
――エリカがいないことだけが気になったが、どうやらレオナルドの家に行っているらしい。
そして夕食の最中、セシリアは突然抗えないほどの強い睡魔に襲われる。
目が覚めたときには自分のベッドに横たわっていた。まだ夜が明けず、ランプの明かりが部屋を照らしていた。
住み慣れた部屋には、セシリアが大切にしている本や思い出の品々が並んでいた。彼女はそっと身を起こし、部屋を見回した。すると、静かにドアが開き、一人の人影が現れた。
「起きていたのか……」
声に気づいて、セシリアは驚いて尋ねた。
「……レオナルド様?」
入ってきたのは、セシリアの元婚約者でエリカの婚約者であるレオナルドだった。彼は部屋の中へ足を踏み入れ、セシリアの顔を見つめると、どこか切なげな表情で微笑んだ。
正確な時間はわからないが、夜分遅く、女性の部屋に入ってくるなんて失礼なことだ。セシリアはレオナルドに怒りを覚える。しかし、その怒りも一瞬で消えるような言葉が彼の口から飛び出した。
「セシリア。――僕と結婚してほしい」
突然の求婚に、セシリアは呆然としてしまった。女性の部屋に無遠慮に入り込んで、寝起きの相手にいきなり求婚するなんて。しかも実の妹と不貞行為をしていた元婚約者。
寝起きで頭がうまく回らない。夢だったらどれだけよかったかと思ってしまう。
「いったいどうなさいました。あなたの真実の愛の相手はエリカでしょう」
「僕が間違っていた。僕が本当に愛していたのは、セシリアだ」
「……わたくしはもうダリウス様の婚約者です」
「その役目は、本来の相手であるエリカに戻ったそうだ」
セシリアは驚きと失望で言葉を失った。
「それは、王家も了承されていることなのでしょうか?」
「…………」
レオナルドは答えない。詳細は彼も知らないのかもしれない。
「それがエリカの望みですか? ……それで、あなたは自棄になってまたわたくしに求婚ですか? あまりにも節操がないのではなくて」
「これは君の両親も望んでいることだ」
セシリアは絶句した。
「ふっ……ふふっ……」
笑いが込み上げてくる。
「……まずは部屋から出てください。エリカを交えて話し合いましょう」
「エリカは既に離宮に行っている」
レオナルドは苦々しい表情で言う。彼もまだエリカに未練があるのかもしれない。
そしてエリカも、ダリウスを諦めるつもりはなかったのだろう。家族に訴えて、婚約を元の形に戻す気なのだ。
確かにそれが本来の姿なのかもしれない。だが――……
セシリアの中で何かが切れた。
――さすがに。この扱いは。あまりにも。腹立たしい。
セシリアはゆっくりとベッドから立ち上がる。
「セシリア――」
「ふんっ!」
セシリアは大きく踏み込み、迫ってくるレオナルドを護衛術で一瞬のうちに倒した。鍛えに鍛えたセシリアの動きは素早く、力強く、レオナルドは床に叩き付けられた。
レオナルドの苦しそうな呻き声と息が部屋の中に響く。
その瞬間、部屋の扉が再び開いた。
「――本当に、君は並みの男より強いな」
颯爽と現れたダリウスは感心したようにセシリアと床のレオナルドを交互に見つめた。
「ダリウス様、どうしてここに?」
「もちろん妻を迎えに来た」
当然とばかりに答える。
その答えを聞いて、セシリアの胸に喜びが湧き上がる。
「まだ妻じゃありませんわよ。未来の旦那様」
セシリアはダリウスの言葉に笑顔を浮かべ、二人は共にレオナルドを見下ろす。
「彼女は私の婚約者だ。レオナルド・エルンシュタイン殿」
「……も、申し訳ございません……」
ダリウスは深い溜め息をついて続けた。
「エリカ・ヴァルドリアンは城に捕らえてある」
「あの子が何かしましたか?」
「私の寝所に忍び込んできた」
ダリウスの言葉に、セシリアは目を見開く。
「……申し訳ございません……」
「君が謝ることではない。君は何かされていないか?」
ダリウスはそう言いながら上着を脱ぎ、セシリアの肩にかける。彼の体温を分け与えられるようで、とてもあたたかく感じた。
「はい……」
「よかった。では、帰ろうか」
◆◆◆
馬車がゆっくりと夜道を進む。その中で、セシリアの隣に座るダリウスが静かに話し始めた。
「セシリア、君に私の呪いの話をしたい」
月明かりが窓から差し込み、ダリウスの顔がぼんやりと照らされている。彼の瞳は真剣そのものだった。
「私にかけられた呪いは、私を嫌悪する者や恐れるものには醜い姿で映るという呪いだ」
「――醜い姿になる呪いをかけられていると知っている者は、皆一様に私の姿を見て恐れおののいていた」
セシリアはその言葉を聞き、他の人たちの態度を思い出す。彼らはダリウスを遠巻きにし、恐れおののいていた。
「だが君の態度は、まったく普通だった。新鮮なほどに」
「あなたがどのような姿だとしても、あなた自身と向き合おうと思っていましたので」
馬車が揺れながら進む中、セシリアはダリウスに寄り添い、彼女の思いを伝えた。
「エリカには、あなたがとても美しい姿だと話しました。その話を聞いてからダリウス様を見たエリカも、呪いに振り回されずにダリウス様がとても美しい姿に見えたのでしょうね」
セシリアの言葉に、ダリウスは微笑んだ。彼の瞳は優しくセシリアを映していた。
夜空に輝く星々が馬車の窓から差し込む中、セシリアはダリウスに向かって言った。
「ダリウス様、一緒に呪いを解きましょう」
「いや。君が本当の姿を知っていてくれれば、それでいい」
「そうだ、キスをしてみましょう。呪いを解く定番ですもの」
「話を聞いていないな……」
「聞いていますが」
「そうか――」
ダリウスの美しい顔が月明かりに照らされている。いざという段階になって、セシリアは恥ずかしくなってきた。
「や、やっぱりやめておきましょう」
セシリアは逃げようとしたが、ダリウスは優しく微笑み、セシリアの頬に指を這わせた。
「セシリア、私は君を愛している」
「…………」
「君と共にこの瞬間を刻みたい」
ダリウスの瞳に射抜かれて、心の中に安らぎが広がる。
二人は見つめ合い、キスを交わす。そのキスはまるで永遠を誓うかのように優しく、深く、熱を帯びていた。
「ダリウス様、なんだかますます光り輝いていません?」
「そうだな。セシリアがますます美しく、愛しく、光り輝いて見える」
「わたくしではなく……」
セシリアは真っ赤になりながら、ダリウスの胸に顔を埋める。
このキスで呪いが解けていたとしても、そうでなかったとしても、彼と共に生きていきたい。その想いがセシリアの胸に強く響いた。
――そして時が流れ、王国には光り輝くように美しい王子とその隣に立つ美しく聡明な王子妃の姿が見られるようになった。
かつての呪いの話は遠い過去の幻影となり、ふたりは深い愛情で結ばれ、幸せな時を過ごし続けた。