記述14 硬く冷たい壁の中で 第3節
開戦から三日後の朝のこと。出立の支度を調えた俺は、他の仲間たちをフライギアに残してたった一人、ペルデンテ行きの輸送列車に乗り込んだ。鞄の中にはフレアに用意してもらった推薦状と、つい昨日の夕に砦内の関所で発行してもらった入国許可証とが、しっかりと入っている。
指定された座席に座り、味がしない携帯食料で遅めの朝食をとっていると、出車を知らせる汽笛が鳴って車輪が回り始める。ガラスがはめ込まれていない窓から強めの風が飛び込んできて、俺の前髪を忙しなく左右へ揺らした。
ブリキのコンテナみたいに頼りない輸送車輌。電車のようにも見える外観をしていたけれど、線路は無いから長距離移動バスに近い乗り物であるようだ。バスは砦の門をくぐり、長いトンネルを通過し、まもなくして高原へ出る。青々と茂った草むらの上、力強い車輪の回転に砂と土とを巻き込みながら、バスは真っ直ぐにペルデンテの首都へと向かってひた走る。
走行音はガタガタとうるさいが、車内の雰囲気自体はとても静かだ。二つ前の座席から誰かが新聞をめくる音が聞こえてくるほどで、自分以外にはほとんど乗客がいないことがよくわかる。ペルデンテの技術者不足は自分が思っていたよりもずっと深刻なのだろう。
車窓の外に流れていく高原の景色、その果てに連なる険しい山々の風貌を眺めていると、改めて「遠くへ来たんだな」という実感がわいてきた。
故郷に閉じこもっていたままでは、死ぬまで見ることができなかったであろう多種多様なものごとの数々。決して良いものばかりではないけれど、どんなものでも知らないままでいるよりもずっと良い。
そんなことを考えながら、背もたれに体をゆったりと預け、瞼を閉じた。
出発から三時間が経過した頃、バスは目的地であった首都郊外の軍事基地に到着する。バスを降りた先には基地の職員と思しき軍服の男が一人立っていて、乗客の名前と通行書類とを一人ずつ確認していく。しばらくして確認が終わると、一同は一列に並んでだだっ広い駐車場を横断し、軍事基地の中へ入っていった。
灰色のコンクリートで囲われた素っ気ない風貌の廊下を歩き進み、階段を降りて地下に入る。地下は換気が行き届いていないせいか全体的に埃っぽく、空気もどんよりと濁っていた。床には油を踏んで歩き回った後のような黒々とした足跡がいくつも行き交っていて、なんだか不気味な雰囲気すら感じられた。
さらに通された先は、廊下よりもさらに陰気な空気が漂う、独房のような雰囲気の待合室。席に座ると、その場にいる全員に向けて分厚い書類の束が配られた。
「表紙に書かれた番号の順に呼び出すので、それまでに渡した資料に目を通しておくように」
書類には技術者雇用の短期契約についての注意事項がびっしりと書き込まれていた。
最初の番号の人が呼び出され、それから一時間後に自分の番が回ってくる。装備していたマスクとゴーグルを外して素顔を見せた後、何枚かの契約書にサインをさせられた。
「これからキミには、ペルデンテ国内で発見された不審物の検査と解析をしていただく。契約の期間は二週間。進捗が芳しくない場合には期間延長もありえるが、その間、こちらの軍事基地の外には出ないよう、よろしく頼む」
「不審物の検査ですか?」
「近頃国内の各地で、いつ投棄されたかわからない謎の機械が多く発見されていてな。危険物ではない確認まではとれているが、技術者不足のために処分が後回しになってしまっていた。もしもアルレスの関係者がなんらかの方法で設置していったものであるならば、その意図を把握したうえで相応の処分を実行したい……しかしながら、現状では何の機械なのかすらわからない状態にある」
説明するよりも実際に見た方が早い。そう言われ、恰幅の良い背格好をした職員の後に続き、再び薄暗い廊下を歩き進む。廊下の端に位置する鉄製扉の前までやってきたところで、職員はガチャガチャと音を鳴らして部屋の鍵を開け、ドアノブを回す。蝶番が軋む耳障りな音を鳴らしながら、扉が開く。
ぶわりと、もともと空気がよくなかった地下階の廊下に、こびり付いた真っ黒な油と錆びた鉄の臭いが混ざり合った陰湿な空気が流れ込んでくる。異臭の先にはコンクリートの床と壁に囲まれた薄暗い部屋。その真ん中には、明らかにそれだけ世界観が違う銀色の球体が、どっしりと、物言わずに鎮座していた。
「ここがキミの作業場兼寝床だ。サンプルを調べるのに使えそうな物はそこの棚に全て揃っている。他に必要なものがある場合などは壁に立てかけてある通信機を使って連絡してくれたまえ」
たったそれだけの説明をしただけで、職員は俺一人を薄汚れた空間の中に残して作業室を出て行ってしまう。そしてすぐに扉の向こうからガチャリと嫌な音がして、確認してみると外側から鍵がかけられている。俺はまるで信用されていないことに溜め息を一つ吐いた。戦時中なのだから当然のことかとは思いつつ、やっぱりいい気分はしない。
廊下を歩く職員の足音が小さく遠ざかっていくのが、静かな部屋の中ではよく聞き取れた。その足音が完全に消え去ったことを確認したところで、俺は鍵がかかってしまった扉の外へ向けて、声をかけた。
「ねぇ、ウルド。近くにいるかい?」
「いるよ。出て行ってもいい?」
返事は天井の方から、すぐにかえってきた。
「ウルドの好きにするといいよ」
そう言うと、まもなくして天井にあった通気口の格子がガコリと音を立てて取り外され、その間からスタリとウルドが部屋の中へ飛び下りてきた。
「うわぁ、汚れまみれになっちゃった。きったない……」
どんなルートを通ってきたのか不明だが、部屋に入って早々にマントを脱いでパタパタと埃や泥を払い始めたウルドを見て、俺は「お疲れ様」と笑って言った。