記述14 硬く冷たい壁の中で 第1節
アルレスキューレの戦闘機がペルデンテの国境地帯を急襲した、その日の夜。入国して早々に派手な足止めを食らってしまった俺たちは、本来なら通過するだけになるはずだった国境トンネルの中で一晩を過ごすことになった。
車道の端に身を寄せ合って停車する竜車の中、キャラバン隊員から渡された毛布一枚を体に巻き付けて、瞼を閉じる。日中の寒暖差が激しいペルデンテの夜は肌寒く、ところどころに小さな穴が空いた毛布では不安があったが、何も無いよりは遥かにありがたかった。
ランプの灯りが消えた後の竜車の中は真っ暗で、内も外も昼の騒ぎようが嘘だったみたいにしっとりと静まりかえっている。狭い空間の中、すでに眠りについたマグナとライフの規則正しい寝息だけがスースーと聞こえてくる。
自分の方はというと、まるで寝付けずに今もこうして暗闇の中で思考を走らせている。昔から睡眠をとるのが得意ではないうえに、こうも慣れない環境ですんなり眠りにつけるほど器用ではない。それに、夜の内に考えておきたいことだってたくさんあった。
形ばかりに閉じていた瞼を開き、横になっていた体を起きあがらせる。そのままなるべく音をたてないように傍らに置いておいたカバンから通信端末を取り出した。端末画面の明るい光がマグナたちの眠りを妨げないよう、毛布の中に顔を埋めながら電源を入れる。
画面は、昼に届いたソウドからのメッセージが表示されたままになっている。
『赤軍隊長から脅迫を受けて急遽アルレスキュリア城へ向かわなくてはならなくなった』
……という、唐突すぎる内容の伝達。
何が起きたのか詳しい話を聞くより先に、彼らは陽が落ちるより早く赤軍が所有する軍用フライギアに乗ってアルレスキュリア城へと向かってしまった。
留守を任せていたはずのフライギアは現在黒軍の兵士のもとに一時的に預けられていることなど、旅を続けるために必要な情報は全て書かれていたけれど、だからといってすんなりと了承できる話ではなかった。
エッジが旅仲間から離脱してしまう。さて、まだ始まったばかりの『龍探しの旅』はどうなってしまうのだろうか。そもそも、例の神様らしき存在と交わした契約はどうなるのか。我ながら薄情な思考回路ではあると思うが、俺にとってはそれこそが問題であった。
『龍』と『神様』、その神秘的な概念を追いかけるための、現状における最大の手がかりがエッジ・シルヴァなのだ。俺にはエッジの側にいなくてはならない事情がある。けれど、そんな個人的な理由のために彼らの自由な選択を妨げる気にはなれなかった。
通信端末の画面をもう一度見る。そこにはアルレスキュリア城に向かうことを決めたのはエッジの意思であると、ハッキリ書き込まれている。脅されて仕方なく、という話ならばどうにか逃げられるように協力できたところだが、本人が望んだことであれば文句の言い様がない。
ならばせめて、自分たちも後でアルレスへ向かう……という意思を伝えてみたものの、ソウドは「来なくていい」と冷たい返事をよこしてきた。
『行き先はアルレスキュリア城。危ない思いをして城下まで来たところで、普通の人間は城の中までは簡単に立ち寄れない。ましてや今は戦時中。永遠の別れってわけでもないのだから、オマエたちは旅を続けるといい』
俺は届いたメールの文面を何度も読み直し、今後のことについて仲間内で意見を交わし合った。ソウドの言い分はもっともなものだと、ライフは言う。ウルドも「危ないことはしない方がいい」と言う。マグナは「アルレスにはもう戻れない」と言う。
多少の理不尽と不満は感じるものの、俺たちはエッジとソウドのアルレス行きを黙って見送るより他なかった。
『何かあったらすぐ連絡してほしい』
そんな社交辞令みたいな言葉だけを最後に書き添えて、両者は離別の道を選んだ。
随分、あっさりとした最後になってしまった。
眠りにつけない意識を真っ暗な天幕に向けて、逆さ氷柱で過ごした夜を思い出す。それはまるで夢の中で体験した物語のように、おぼろげな靄のようになって自分の記憶の中にずっと渦巻いている。
自分はエルベラーゼ・アルレスキュリアの息子なのだと語る、あの時のエッジはとても寂しそうだった。誰にだって存在している両親との血の繋がり、それ以外に、自分には他者とのつながりがないと宣言しているようなものだったからだ。
そんな彼に居場所を与えてみるのはどうかという、自分の考えには今も間違いは無かったと思う。浅はかな下心がこもった提案であったとはいえ、ここまでの旅路の中、エッジは日を重ねるごとに笑顔の数を増やしていたように見えていた。それもほとんど、ソウドのおかげではあったと思うけれど、楽しそうに笑って暮れていた。
衣食住の安定と、目的を同じくする仲間と、平穏な日々。毎日違った体験を重ねていく世界旅行。名前を呼んで、手を繋いで、一緒にいようと約束し合った。そのうえで、悪く言えば『逃げられた』。
まぁ、仕方ない。こういうこともある。だって自分は、今もこうして何の感情も揺らさずに、次の行程について思考を巡らせている。エッジがいなくなってしまったことそのものについては、少しも、これっぽっちも、寂しさなんて感じていない。そういう性分なんだから、仕方ない。
思えば自分は今までの人生の中で一度たりとも、心の底から誰かの幸福を願ったことなどなかった。そんな自分の薄情な性分のツケが回ってきたのだろうか。
そんな自分の思考の流れに失笑する。
「今更生まれ変わるなんてできないしな」
誰にも聞こえないくらいの小声で呟き、俺はもう一度横になっていた体を起きあがらせて、竜車の外へ出て行った。
夜のトンネルの中とはいえ、竜車の外はいたるところで燃えている焚き火のおかげで思ったより明るい。それでも足下を照らす光は必要だから、俺は竜車の乗り込み口横に引っかけられていたオイルランプを手に取って、マッチ棒で火を付けた。油に火が燃え移り、自分の周囲がオレンジ色の光に包まれる。
「眠れないの?」
さて、どこを見て回ろうか。そう思いながらぼんやりと周囲を見回していると、聞き慣れた綺麗な声が頭の上にふってきた。眠りたくないと言って一人竜車の外へ出て行ってしまっていた、ウルドの声だ。
「昔から寝付きが悪いのが困りものでさ。現代人の悪いところ」
返事をすると、ウルドは闇の中からひょこりと姿を現し、俺の前に立つ。オイルランプのほのかな灯りに照らされた黒髪は艶やかで、色白の肌はいつも以上に白く見えた。相変わらずの美人ぶり。
「あれだけの騒ぎがあった後じゃあ仕方ないよ。今だって、またいつアルレスの連中が爆弾を落としてくるかわからないんだから」
「ウルドは……今のアルレスキュリア軍をどう思ってるんだい?」
「嫌いだよ。今も何も、昔からずっと嫌いなまま。抜け出してこれてせいせいしてる」
「そっか。変なこと聞いちゃってゴメン。後腐れでもあったらこんな状況で困るかなと思って」
「心配してくれてありがとう。でも、僕よりもエッジくんだよね」
「……ウルドも、やっぱり彼のことは心配?」
「そんなんじゃないよ」
そこでウルドは口を閉じ、バツが悪そうにそっぽを向く。その話は今はしたくないと、態度で示している。
俺は黙ったままになってしまったウルドの手を引いて、一緒に夜のトンネルの中を散歩しないかと声かけた。ウルドはコクリと頷き、俺の後に続いてゆったりと歩き始める。
景色は代わり映えのしない暗闇ばかり。それでも歩いている時に肌に当たる冷たい風の感触は心地良い。
トンネルの中には自分たちが同行させてもらっているキャラバンの他にも様々な人たちが避難をしている。中には、その身一つで逃げてきた現地民の姿もちらほらとあった。もしかしたら、もとより家を持たない人たちもたくさんこの場所へ集まってきているのかもしれない。
いたるところに用意された簡素な寝床の横には焚き火がいくつも照っていて、その傍らでは大人たちが背中を丸めて座り込み、寝ずの話し合いを繰り広げている。
彼らはもう、今までと同じ生活に戻れなくなってしまった。
「ディアはいつまで旅を続けるの?」
隣で同じものを眺めていたウルドが、俺に問いを投げかける。
「今までと一緒だよ」
迷いのない確かな答えを一つ、暗闇の中に放り捨てる。ウルドは再び黙り込み、それからしばらくの間、何もない暗闇の中を一緒に見つめ続けた。
「よぉ、ディア・テラス! 夜の散歩かい?」
そんな物思いに耽る夜散歩の途中で、最近よく耳にする、あの女性の声がドシリと耳の中に飛び込んできた。振り向いた先には、何やら壊れた機械の山の前で座り込むフレア・ケベスの姿。
彼女の姿を見た途端、さっきまで大人しかったウルドの態度がムッと急激に不機嫌になってしまった。そしてぴょこんと俺の横から急に飛び上がったと思ったら、次の瞬間には暗闇の中へ姿を消してしまっていた。
俺と二人きりの時間を邪魔されたことに腹が立ったのか、フレアのことが気にいっていないのか……理由はたぶん、両方だ。