記述13 手繰りよせた糸の先 第5節
「……断ると言ったら、お前たちはどうするつもりなんだ?」
ようやく口を開いたエッジの声は無機質で冷静なものだった。琥珀色の大きな二つの瞳がラングヴァイレの目をまっすぐに見据えている。
「断れないようにするため、我々はあなたに接触する今日という日を開戦日に選びました」
「脅迫ということか? 敵意は無いとは言いつつ、随分と過激な態度だ」
「はい。あえて交渉とは言いません。これは脅迫です。どうか冷静になって聞いて下さいませ、エッジ様。私たちは先程、ペルデンテ共和国内の各所にとある軍事兵器を投下いたしました。これは一度起動すれば破壊されるまで周辺一帯への無差別攻撃を繰り返す、正真正銘の殺戮兵器。あなたが王城への同行の誘いを断った場合、我々は遠隔操作にてこの殺戮兵器を一斉に起動させます」
「そんなことを言い出すヤツのことを信用するとでも思ってるのか?」
俺は二人の会話に割り込み、エッジを自分の体で隠すように腕を広げた。
「どうせ大人しく従ったところで、戦争はもう始まってる。オマエたちは遅かれ早かれ、その殺戮兵器を起動するに決まってる!」
ふざけたことを言うな。ただ端的な怒りと拒絶を露わにした言葉を目の前の侵略者に叩きつけた。
ところが、背に庇ったはずのエッジが俺の腕を引き、前へ出る。どういうつもりかと思って彼の顔を見ると、エッジは静かに両眼を閉じ、何かを思案する素振りをする。
「だが、民衆たちが避難するまでの時間は稼げると」
「エッジ!?」
改めて告げられたエッジの考えは想定外のものだった。エッジは少なからず、すでに彼らのことを信用し始めている。こんな得体の知れない物騒な交渉内容を真に受けるくらいには。
エッジは俺の方をもう一度振り返り、「すまない」と小さな声で詫びを入れた。
「……俺は彼らに従おうと思う」
「なっ、なんでだよ!? というか、留守番はどうするんだ! ディアたちが帰ってくるまでここにいるって約束しただろ」
「約束を破ってしまうことについては、俺も心苦しく思っている。だが、人命が関わっているとならば従わざるをえない」
「ダメだ! こんなものは罠か何かに決まっている! 城になんて行ったりしたら、オマエ……」
ついさっきまで聞かされていた昔話を思い出す。大罪人レトロ・シルヴァと王女エルベラーゼ・アルレスキュリアの間に生まれたエッジは、紛れもなく王家の血筋に連なるもの。その途方もない話が真実だとして、ならば今目の前にいる彼らがエッジに求めていることとは何か。王制国家アルレスキューレは国王を暗殺により失ったばかりの混乱した情勢の中にある。何を企んでいるかなどわかったものではない。
それでなくても彼は、両親を失ってから今に至るまでずっと、自分の出自をひた隠しにしながら静かに暮らしてきたのだ。今更血筋がなんだのかんだのというつまらない理由で、都合良く自由を奪われるいわれなどない。
……にも関わらず、俺の憤りとは裏腹に、エッジはもうすでに諦めたような態度を見せ始めている。
「ソウド、俺の身を按じてくれて、ありがとう。しかし大丈夫だ。俺を城に招き入れようと命じた者の魂胆はわからないが、少なくとも、ここにいる彼らのことは信用しても良いだろう」
「エッジ様……」
ラングヴァイレが目を大きく開き、エッジの顔を見る。
「初めて会った相手ではない。テディ・ラングヴァイレ……覚えているぞ。お前は、あの時にハイマートで出会った家出少年だろう。赤軍隊長など、随分と出世したものだな」
「記憶に預かり光栄でございます」
「そのがんばりを見るに、お前が自分の国を大切に思う気持ちは子供の頃と変わらないと見る。だから、信じる。それに俺も……いつかは迎えが来ると思っていた。それが良いことであれ、悪いことであれ」
ここが潮時だと言わんばかりに、エッジは観念したように琥珀色の瞳を閉じる。喜びも悲しみも浮かんでいない、静かな表情をしている。
「オマエはそういうところが甘いんだ」
「わかってくれないか、ソウド?」
「わかるわけないだろ! エッジがよくても、俺たちは全然よくないからな!」
俺はエッジの腕を掴み、自分の方を体ごと振り返らせる。さらに向かい合ったエッジの肩に両手を置き、至近距離から琥珀色の瞳を覗き込んだ。まるで我儘を言う子供に言い聞かせる時のような気分だ。
「まさかオマエ、自分を犠牲にすればそれ以外の全部が上手くいくとでも思っていないだろうな?」
至近距離から覗き込んだエッジの瞳に動揺が走る。「そんなつもりではない」とすら言い返してこない。大した覚悟をしているものだ。
「だが、ソウド……彼らにはきっと諦めるつもりがない。ここで従わずに俺が逃げ出したところで、次の手段を企ててくるだけだ。そうすれば皆に、迷惑がかかる……そんなことにだってなって欲しくない」
「迷惑かけてるのはどう考えてもあっちの方だろ!」
「不便な思いをさせてしまう点では同じだ!」
「何を思うかはそれぞれが決めることだ! お前一人で勝手に判断な!」
「相談している余裕がないんだ! 戦争はもう始まっているし、彼らは殺戮兵器とやらをすでにペルデンテに投下してしまっている!」
「つまりもう手遅れってことじゃないか!! どうしてわからないんだ!!」
言い争いは徐々に徐々にヒートアップしていく。エッジも俺も途中から何を言っているかわからなくなってくるくらい、自分の主張を貫くことに夢中になっていた。
「エッジはいつもそうだ! 人が良すぎていつもいつも貧乏くじばかり引いてる。周りがそんなオマエを心配そうに見ていることを気にもせず、知らないフリばかり」
「では、俺は一体どうすればいいと言うんだ!」
「自分がしたいことをハッキリ言ってみろよ! 誰かのためとかそういうのじゃなくて、自分の本音が何を望んでいるか、ちゃんと伝えてから行動しろ!!」
「ならば、俺は……」
そこでついに、エッジの口が止まった。言い争いの間ずっと真っ直ぐにぶつかり合っていた視線が、迷いをおびて宙を泳ぐ。彷徨う視線を捕まえて、もう一度自分の目を見るように訴える。エッジは途方に暮れたように目を伏せ……「ごめん」と、彼らしくない弱々しい声を溢した。
「本当は……迎えが来たことが嬉しかったんだ。罠でも構わないと思えるくらいには」
後ろで様子を窺っているラングヴァイレたちには聞こえないように、俺だけに聞こえるくらいの声で、エッジは自分の本音をつぶやいた。言ってはいけないことを言ってしまったと、エッジはそう深く思い込んでしまったのか、再び俺から目を逸らしてしまった。
長い口論の末、やっとのことで引き出せたエッジの本音。「嬉しかった」なんて、そんなことを言われてしまえば、これ以上責める気など起きてこない。
父と母の両方を喪ってから、五十年。彼は得意な出自と体質のせいで誰にも頼ることができず、人生のほとんどを雪原という限られた空間で過ごしてきたのだと打ち明けてくれていた。
人命をかける脅迫までされてしまうのはエッジにとっても遺憾ではある。しかしながら、ずっと孤独だった自分に居場所を与えてくれるならば、ついて行ってみたい……と、そう思うのも無理はない話だった。それも、どうせならば自分の出自に深く関わるアルレスキューレの誰かが、自分のことを見つけ出してはくれないかと、ずっと、思っていた。
故郷からの迎えがやっと来た。その魂胆が良いものであろうと、なかろうと、これを喜ばずにいられるわけがない。彼らから必要とされる機会があれば、できる限り応えたい。どこにもいいけなかったあの頃のような生活には戻りたくない。これは間違いなく自分の望み、自分の意思だと、エッジは言う。酷く申し訳なさそうに、とてつもなく悪いことを言っているように、自分の本音と向き合った結果がこれであった。
「本当にいいのか?」
俺は目を閉じ、ハァと溜息を一つ吐いた後に、エッジにもう一度問いかける。エッジは今度こそ俺の目を真っ直ぐに見つめ直し、小さく頷いた。
「じゃあ、仕方ないな……俺もエッジについて行こう」
「えっ!?」
思いだけない一言を聞いて、今度はエッジの方が驚きの反応をする。
「オマエがなんと言おうと、アルレスキュリア城がろくでもない場所だってことは変えようもないからな。たった一人で行かせるなんて、許せたもんじゃない。だから俺もついて行く。そもそも、俺はディアやウルドなんかじゃなくて、エッジに付き添って旅をしているんだ。何もおかしなことじゃないだろ」
俺はラングヴァイレとディノがいる方を改めて振り返り、キッと睨みつけた。
ラングヴァイレは慌てて助けを求めるような様子でディノの顔を見る。するとディノがコクコクと頭を縦に振り、それを見たラングヴァイレが改めて背筋を伸ばして返事をする。
「もちろん! ソウド・ゼウセウト様ならば大歓迎でございます!」
「なんで俺まで『様付け』なんだよ」
「いえ、それは……また別の機会にお話しいたします」
「ともかく、話がまとまったならさっさと撤収しようぜ、赤軍隊長。エッジ様に同行を承諾してもらった以上、今回の侵攻は打ち切り。そういう約束だもんな」
交渉は成立。一連のやり取りを繰り広げている間も、ペルデンテの国境地帯の混乱は勢いを増す一方であった。行動するならば何事においても早い方が良い。
「ディアたちは大丈夫だろうか」
エッジが国境砦の方を見上げる。それを見て、俺は懐から通信端末を取り出し、画面を確認した。まだ向こうからの連絡は来ていない。
取り急ぎ、ペルデンテとアルレスキューレの戦争が始まったことを報せるメッセージだけでも送っておくことにした。急遽二人揃ってのアルレスキューレ行きが決まってしまった旨を伝えるのは、返信が来た後にしなくてはならない。なにせ言い訳を考えるのが、少しばかり大変そうなのだ。