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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述10 爆ぜる真紅の防波堤
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記述10 爆ぜる真紅の防波堤 第7節

 黒い生物は動かない。いや、それはもはや生物ではなくなっていた。ただの肉の塊に成り果ててしまっている……にもかかわらず、それはまだ動いていた。腕も足も、頭すら無くなってしまった姿であるはずなのに、残された筋肉だけで揺れるように、震えるように、動いていた。

 死にかけの肉塊は赤水晶が敷き詰められた鮮やかな湖畔の上を、ナメクジのように這い進む。どこかへ向かおうと懸命に前進していることはわかるが、その進んだ先には真っ暗に淀んだ湖の底しかない。

 何をするつもりなのか。どこへ行くつもりなのか。いまだに蚊帳の外からことのいきさつを見物しているだけにすぎない俺たちには、その健気な生物の最期の姿を、ただただ遠くから見守ることしかなかった。

 赤黒い肉の一部が水に浸る音が、ピチャリと、小さく聞こえてくる。水に濡れた肉の表面から油のような液体が染み出ていく様が、遠くからでもよく見えた。黒く濁った夜の湖面に、光沢を持ったまだら模様の汚染水が混じり込み、ゆったりと広がっていく。

 湖の中を這い進み続けた肉塊は、どうどう体の全てを水に浸しきるところまで到達し、なおも進み続けた。自らの意思でもって湖の下へと沈んでいった黒い生物の亡骸は、二度と俺たちの前に姿を現さなかった。

「死んだ方がマシってことなのかな」

 ことの成り行きを見つめていたディアが、ぽつりとつぶやく。

 銃で撃たれても、炎に焼かれても、強烈な威力で叩き潰されても死なない、強靭な生命力を持った生物だった。そんな生物の最期がこのようなかたちで終わってしまった場面に、俺たちは成り行きで立ち会ってしまった。苦いものを飲み込んだ後のような後味の悪さが、胸の奥でもやもやと渦巻いている。

「もういいだろう。これで全部見届けたんだから、さっさと帰ろう」

 そう言って他のやつらの方を振り返る。するとそこで、視線がたまたま、自分たちの足下近くまで飛び散っていた小さな血溜まりの方を向いた。血溜まりがかすかに蠢いていたから目が留まったのだ。さらに注意深く見てみると、ぶくぶくと気泡のようなものが液体の中から湧き出ている。

 まだ生きている? そんな馬鹿な。

 血溜まりの真ん中から、小さな肉の欠片が起きあがってきた。

 それを、ウルドは靴底でもって力一杯踏み潰した。

「ちゃんと死んでろよ」

 軽蔑心に満ちた表情だった。


 パンッ

 そこへ一発の銃弾が飛び込んできて、ウルドの頭部を真横から撃ち貫いた。

 銃声の小気味良い音が、静寂の中で落ち着いていた鼓膜を叩き、網膜には弾けた鮮血の赤がぶちまけられた。

 ウルドの体が指の先まで一瞬で硬直し、硬い水晶石の上に倒れ込む。赤い宝石の地面よりさらに赤く赤く色付いた鮮血が、うつ伏せになった頭部の隙間からあふれ出てくる。

 反応がない。動かない。起きあがらない。 即死だ。


 あまりにも唐突なできごとを前にして、現実を受け入れるより先に体が動いた。直感でわかったのだ。すぐに、次の攻撃が来る。

「逃げろ!!」

 と、声を上げた直後に、今度は自分の背後から何かが倒れる音がした。振り返ると、マグナが羽織っていた分厚いマントの表面に、赤い染みが広がっていくのが見えた。あどけない少年の顔が、怯えた表情を残したまま少しも動かず硬直している。

 ウルドが撃たれた方向とはまた逆の方向からの攻撃だった。挟まれている。あるいはそれ以上に完璧に囲い込まれている。一体いつから。一体どうして。答えがわからないことを考えている暇など少しも無い。

 次の銃撃が飛んでくる。今度は一発ずつではなく、何発も何発も続けざまに。猟銃の連射速度ではない。けれど威力は十分すぎるほどで、自分にとっては全く知る由が無いタイプの銃弾だ。攻撃しているのは、あの猟師たちではない。

 俺とエッジは仲間の体を湖のほとりに残したまま、森の方へ向けて駆けだそうとした。草むらの中に逃げ込んでしまえば少しは時間が稼げる。

 しかし、あと少しのところでエッジが右足を負傷した。エッジの苦痛に歪んだうめき声が聞こえ、俺は足を止めてエッジの方へ急いで走り寄った。

 銃撃が自分の左肩を撃ち貫いていった。大したことはない。

 足の筋をやられ、すっかり立てなくなってしまったエッジを前に、「大丈夫」とか「すぐに逃げよう」とか、そんなコミュニケーションをしている時間の余裕は無い。

 俺は咄嗟の判断で倒れ込んだエッジの体を持ち上げ、森の中の草むらへ力一杯投げ飛ばした。死ぬよりマシだ。これでエッジは大丈夫だと、自分に強く言い聞かせる。

 その後にまだ生きているディアの方を振り向き、駆け出した。

 銃撃が脇腹に当たる。まだ動ける。

 ディアは倒れたウルドの体の傍にしゃがみ込んでいた。まだ生きているようだが、気が動転しているのかどうか知らないが、「早く逃げよう」という俺の言葉をまったく聞き入れてくれない。

「オマエまで死なないでくれ!!」

 ウルドの傍を離れようとしないディアの腕を引いて、無理矢理立ち上がらせようとした、そこで唐突に、銃撃の乱射がピタリと止まった。

 赤い湖に再び冷えた静寂の温度が舞い戻ってくる。

 

 ガシャリ、ガシャリ、

 

 何かが近付いてくる足音がして、顔を上げた。足音は森の奥から聞こえてくる。そのまま少しも動けず、しばらく待っていると、真っ白な木々の間から、機械の鎧に身を包んだ何者かが姿を現わした。数は三つ。包囲されている分も考えると、まだ他に倍以上の仲間が潜んでいることだろう。

 人間の顔の代わりに頭部に取り付けられた金色のライトがこちらを見据えている。感情の無い機械の眼差しだ。けれど見えざる意思の力は確実に備わっている。

「どうしてこんなところに」

 そう言って驚くディアは、彼らが何者なのかを知っているようだった。

 ならばアレがディアが言っていたフロムテラスの……思考を整理するより先に、先頭に立っていた機械兵の腕が俺の眉間に向かって銃口を向けた。

 鎧と同じ銀色の装甲で覆われた見たことのない形状の機関銃だった。これで皆を撃ったのか。

 冷徹にこちらを見据えた機械の瞳。

 右手が動き、パチリと引き金が鳴る音。 閃光。 銃声。

 冗談みたいに体を貫いていった激痛の塊と、弾ける自分の血肉。

 

 撃ち殺されたのだと気付いた頃には、全てが終わっていた。


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