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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述10 爆ぜる真紅の防波堤
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記述10 爆ぜる真紅の防波堤 第3節

『ディアの部屋にある予備の薬箱をもってきてほしい』

「誰かが怪我でもしたのか?」

『違うよ。さっき言ったバケモノに薬をあげたいんだって』

「バケモノなのに?」

『ディアの我儘だよ』

 どうやらディアは「僕はやめておいた方がいいよって言ったのに」という、ウルドの抗議を受け入れてくれなかったらしい。一方で二人に同行していたマグナはディアに同意し、多数決でこちらへ連絡を入れることになったという。見えない通信端末の向こう側でウルドが不満げにそっぽを向いたことが、なんとなく伝わってきた。

 こうしてウルドから連絡を受けた俺とエッジは、それぞれが必要な荷物を所持した状態でフライギアの外へ出た。見知らぬ土地というわけだから、どんな些細な用事であろうとなるべく二人以上で行動した方が良いと思ったからだ。

 一方でフライギアに一人きりとなってしまったライフには、改めて留守を任せるうえでの注意点を話して聞かせた。戸締りをしっかりしておくことの他に、必要があれがフライギアの外部装甲に備え付けられた防護システムやステルス機能を使うように説明しておいた。幸いにも、ライフはアルレス人貴族のわりには機械の扱いが得意な部類の人間であった。

 薬箱を使う相手が人間ではないことがわかっている以上、先の通信内容から鑑みても、これから行う薬箱の配達はそれほど急を要するものではないように思えた。それでも現在の時刻と夕闇に染まりかけた空の色の移り変わりはちっとも待ってはくれないため、俺とエッジはなるべく急いでウルドたちのもとへ駆けつけることにした。

 通信端末が受信した座標位置をもとに方角と距離をはかり、白い森の中を二人で突っ切っていく。地面はべしょべしょとぬかるんでいて、こうして走っている間にも何度か水溜まりを踏みつけた。

 湿度も気温も高い。そのせいか、走れば走るほど肌にじっとりとした汗が滲んだ。

 走っている間に四方八方を流れていく森の景色は、遠目に眺めていた時よりもずっと白く、白く、何もかもが真っ白に染まっていた。雪山や雪原の白とは違う。少しの生命も時間の流れも感じることがない、静寂の中にずっしりとした存在感だけを残す、硬い質感の白色だった。

 その白色は石の塊のように見えたかもしれないし、浜辺に打ちあがった貝殻の内側のようだったかもしれない。あるいは、白骨化した動物の死骸、干上がった海の底から剥き出しになった珊瑚礁の墓場のような、そういう類のものに似ていた。

 木々の間を走り抜ける人間の足音が静寂に満ちた森の中で鼓動のように響き渡っているようだった。それ以外に音は無い。俺は走っている途中でエッジに「ここはなんだか、森全体が死んでいるみたいに不気味な場所だ」と声をかけた。エッジも同じ印象を感じていたらしく「長居はしたくないな」と返事をしてくれた。

 それから再び通信端末の画面を確認する。画面上の疑似マップには、ウルドたちの現在地を示す位置座標が表示されている。もう、すぐ近くまで来ている。俺とエッジは立ち止まり、あの三人がこの辺りの木々の裏側などに隠れていないかどうか、注意深くう周囲を見渡した。

 森の中は相変わらず、白以外の色を知らないように真っ白だった。

「あそこに人が入れそうな穴がある」

 エッジが声をあげ、その場所を指でさし示した。見てみると、一際大きな倒木と倒木がよりかかり積み重なってできた木々の隙間が、トンネルのような奥行きを持って深く続いているのを見つけた。

 穴の入り口まで近付いてみたところで、二人の足がほぼ同時にピタリと止まった。穴の奥から漏れ出てくる空気に、生ゴミが腐ったような臭いが混ざっている。「何かがいる」のは間違いないと、直感的に気付かざるをえなかった。

 エッジはカバンの中から懐中電灯を二つ取り出すと、その片方を俺へ手渡した。

「この中に入ってみよう」

「まったく、あぶなげなモノに手を出すのが得意なヤツらばかりだ」

 隙間だけらけの枝葉の屋根に覆われたこのトンネル穴は、夕焼け色の木漏れ日に照らされてほんのわずかに明るんでいた。そして入口から覗き込んだ時の想像より遥かに奥深くまで続いているようにも見えた。

 足元には崩れた落ち葉と、折れた枯れ枝が混ざってできた腐葉土がべったりと敷き詰められている。ここもまた泥っぽく湿気ている。踏みしめた靴の裏側にはくっきりと足跡が残るのが、なんだか不愉快な感じがした。

 嫌な気配を感じているのはエッジも同じだった。俺とエッジは手にした懐中電灯の光で、足元や天井を丹念に照らし回しながら、慎重に奥へと進んでいった。

 奥へ進めば進むほど、鼻孔を刺激する悪臭はますます強くなっていく。

 そこでふと、薄暗いトンネルの奥から「こっちだよ!」という甲高い声が一つ聞こえてきた。懐中電灯の光を声のした方へ向けてみると、少し離れた草藪の前でウルドが手を振っているのを見つけた。

「早かったじゃん」

「こういう時は急いだ方が良いんだ」

 俺は薬箱が入ったカバンをウルドに差し出した。しかしウルドはこれを受け取らなかった。

「ディアに渡して。僕はこれ以上は近付きたくもないんだ」

 そう言って、ウルドは穴のさらに奥の方、草藪の向こう側を指さした。そこには橙色のあたたかみがある携帯ランプの光がふんわりと照っていた。光の真ん中にはマグナと思われる小さな後ろ姿がある。ディアはどこだろう。

 俺はウルドの横を通り過ぎ、真っ白な葉を茂らせた草藪の奥へと、さらに進んだ。

 そこでやっと、マグナがこちらに背を向けていた理由に気付いた。何かいる。臭いがする。

 マグナが見つめる視界の先に、俺は懐中電灯の光をおそるおそる運んでみた。

 するとそこには、赤黒い血だまりみたいな肉の塊が一つ、ぐったりと歪に長い四肢を地べたに投げ捨てるようにしながら、横たわっていた。

 見た瞬間に、これこそが周囲に充満していた異臭の正体であると、すぐにわかった。

 肉体が爛れているのだ。生きたまま腐敗しているのだ。

 背骨の曲がった不調和な体躯。不必要に長い腕。節足動物のように関節を剥き出しにした、細すぎる後ろ脚。

 小さな頭。乱雑に生えた長細い歯。とがった脊椎の骨が背筋からほとんど露出していて、肉は、この骨を中心に、どろどろと細胞ごと溶け崩れているように見えた。

 一目見た瞬間に「死体」だと判別したくてたまらなかったその肉塊からは、よく耳を傾けると「ずおぉ、ずおぉ」と、隙間風みたいな息づかいがかすかに聞こえてきた。まだ生きている。

 こちらの存在に気付いたか、そうでないのか、小さな頭が不意に地べたから持ち上がった。

 どろりとした重油のような体液が、顔の横まで裂けた口の端からこぼれ落ちるのを見た。その真っ黒な顔面には、目も鼻もなかった。

 そしてディアは、この怪物の傍らに、寄り添うように立ち尽くし、じっと押し黙っていた。

 


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