記述2 薄暗がりな月夜の下で 第3節
大浴場で体を温めた後に通された部屋は、なんというか、ハッキリと表現するならば独房のような所だった。広さはそれなりで、同建物内の廊下などと比べるといくらか清潔に管理されてはいる。しかし部屋の窓にガラスではなく鉄格子が付いている時点でお察し下さいという風だった。
机やベッドといった必要最低限な家具は備え付けられていたが、それ以外はほとんど何もない。簡素極まりない豆電球の証明――博物館でしか見たことがない――と、なんとなくで敷かれているゴワゴワした毛皮の敷物。部屋の隅には床板に穴を開けただけのトイレまである。もはや水洗式ですらない。恐る恐る蓋を開けて中を覗いてみると、まさしく底無しの闇が広がっていた。廃棄物を燃料資源にでも変換しているというなら少しは評価できる構造なのかもしれないけれど。いや、どうだろう。
そんなこんなであれこれ部屋の中を物色していると、部屋の外から ガンッ! ガンッ! と鉄製の扉を叩く力強いノック音が聞こえてきた。さっきの少年だろうか。
「入ってまーす!」
「そりゃあそうでしょう」
冗談を冗談で返しながら部屋の中へ入り込んできたのは、やっぱりさっきの白い服を着た少年だ。彼は両手で鉛色をした平たいトレイを抱え持っていて、その上には大きな缶詰と魔法瓶と食器類が無造作に積んであった。
「やあ、食事を持ってきたよ」
無骨なデザインをしたテーブルの上にトレイが置かれる。少年がちょいちょいとこちらに向けて手招きするものだから、重い腰をあげて彼の方まで近付いていった。
食事かぁ……と思いながら、俺より先にテーブルに座って缶詰の蓋を切り始めた少年の様子をまじまじと眺める。
「缶詰の中身が気になるのかい? 残念ながらただの乾パンだとも。この砦は特に物資不足に悩まされているもので」
カパッ と缶詰の蓋が開いた。なるほど、確かに外見上は何の変哲もな乾パンだ。
俺がテーブルの椅子に腰掛けると、そのタイミングを見計らっていた少年が早速の質問を投げかけてきた。
「どうして閉じ込められているか、わかるかい?」
「わかりませんよ、本当に」
取調はまだ続いている。
「おやまぁそれは意外。本当に部外者だったりするのかな。だとすれば、それはそれで大変だろうねぇ。さぁさ、せめて今だけでもゆっくりと、お茶を飲みながら談笑でもしようじゃないか」
「……お茶は遠慮させていただきます。飲み物なら自分で用意したものがありますので」
「毒なんて入っていませんよ?」
「こんな部屋に招き入れておいて、それは無いですよ」
どうして閉じ込められているか、わかるかい? なんて胡乱な言葉を気楽に舌先で転がし始める人間を信用できるはずがないだろう。
「スイートルームなら感謝する余地はあったかもしれませんけど、欠陥住宅じゃないですか。見て下さいよ、窓なんて鉄格子があるだけでずっと開きっぱなしです。寝てる間にまた雨が降ってきたりしたら、今度こそ私は凍え死んでしまうかもしれません。そこの扉には外側から鍵がかけてあるせいで出られませんし」
「そいつは悪かった」
少年は涼しい顔でカップにお茶を注ぎ、乾パンを口に放り入れる。モシャ、モシャ、と乾いた咀嚼音が聞こえる。
「万が一ってことがあるものだからね。本当は君の荷物だって全て没収したいくらいなんだ。けれども我々にだって情はあるものだから、君のコートもゴーグルも洗浄して殺菌してから返して差し上げましょうということになったんだ。恐らく……日が暮れる頃には乾燥した状態でこの部屋に届く手筈になっているとも」
「随分と親切ですね」
「君の存在は我々にとって大いなる脅威になるやもしれない。敵に回したくないのだよ」
妙な言い回しばかりするな、この子。
「さっき話していた『怪物』というヤツですか?」
「めざとい。しかしその怪物が一体何者なのかは、部外者の君には到底話せない」
「別に無理に聞き出すつもりはありませんよ。当事者になってしまっても困りますし……あなたがたの事情にどうして巻き込まれてしまっているのか、それさえ分かれば十分です」
「ふむ。それなら答えてあげても良いとも」
「へぇー……じゃあ、どうしてですか?」
「金髪、金目、白い肌に特徴的な三角耳。そのうえやたらめったら端正な顔立ち。役満ではありませんか」
「急に褒めるんですね」
「別に。客観的な視点から得た情報を列挙しているだけさ。だって君……フロムテラス人でしょう?」
少年の口から思いがけない単語が飛び出した。虚をつかれたせいで動きがピタリと止まった俺を見て、少年は嘲笑うように喉を鳴らした。
「図星だ」
子供めいた見かけのわりに、随分と狡猾で隙のない相手なんだと理解した。
「あなた、何歳なんですか?」
「二十九さね」
「わぁお、年上」
「敬いたまえ。こう見えてやんごとない出自でもありますよ」
「ふーん」
自分で聞いておきながらつまんなそうな空返事をしてしまった。
「フロムテラス……長らく実在が不明瞭な架空の都市だとでも思っていたけれども、まさか現実に存在していたとはね。君の姿を初めてお目にかかった時には、まさしくオバケでも見たような心地になったものだよ」
「私の故郷はオバケの王国か何かだと思われているんですか?」
「噂が真実だとすれば、超文明都市なんてオバケ王国と似たようなものではないかな? とはいえその噂を口にできるものだって、この国の中でも極少数の限られた者だけ。それこそ『情報通』な剣指揮者か、王侯貴族に直接傭われた国有数の科学者か、支配者自身か」
「あなたはその中の一人だったと?」
「そうとも! そしてね、君。気を付けたまえよ。この国には君の身柄を付け狙っている、恐ろしい存在が潜伏しているに違いない。なんて言ったって、手配書なんて面倒なものが出回っているくらいなのだからね」
「手配書?」
外見だけ少年の姿をしている彼が、もこもこした上着のポケットから一枚の紙切れをひっぱり出す。それをテーブルの上、鉛色のトレイの横にパッと広げてみせる。
紙面に書かれた文章を声に出して読みあげてみると、そこにはまさしく俺の容姿そのものな特徴がつらつらと書き記されていた。
「金髪金目、白い肌の異国人。見かけたらこちらまでご連絡。なるべく危害は加えず、生け捕り推奨。報酬は状態により要相談、好待遇」
危害は加えず、という所から僅かながらの優しさを感じないこともない。しかしこれは一体何なのか。故郷の中であれば命を狙われる心当たりがいくらでもあるのだが、ここはフロムテラスではない。監視局が手配を始めたにしても情報の出回りが早い気がする。
単純に考えてみれば、他人の空似にすぎなくて、俺は巻き込まれてしまっているだけなのかもしれない。けれど……自分以外のフロムテラス人が好き好んで都市の外に出ようと考えるとは思えない。じゃあやっぱり……俺?
「心当たりがありそうな顔をしているよ?」
「いや、全然。家出と職務放棄くらいしか」
「ふむ……君にも君の事情があるということかな。とはいえ私としても、この手配書が本当に君のことを示しているかどうかを疑ってはいる。しかし肝心なのは『そういう尋ね人がいる』という点にこそあり、不幸なことに君はその尋ね人に似すぎていた」
彼は手配書の一番目立つ所に赤字で書かれた「報酬は要相談」の文字を人差し指の先でなぞった。金額の上限も下限も提示されていない秘密主義なワンフレーズ。その字面からは面倒ごとの香りがたっぷりと漂っている。
「悪い人間に狙われるには十分すぎる理由でしょう」
気の滅入りそうな話だ。
「それで……手始めにあなたが私をこの独房に閉じ込めたと」
「これも仕事さ。恨んでもらっても構いませんけれど」
カップの中身をくいっと飲み干し、彼はぴょんと跳ねるように椅子から立ち上がった。二十九歳の動きではない。
「それで君、名前は?」
彼は振り向きながら最後の質問らしきものを俺に尋ねてくる。
「ディアですよ」
「偽名では?」
「ありません」
「そうかい。私の名前はアルカだ。カメイについては黙秘といこう。それはまた、別のどこかで顔を合わせた時にでも、ね?」
ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべながら、彼はそれだけ言うと部屋の外へ出て行った。カチャリ、と鍵がかけられる音がして、またここに閉じ込められてしまった現実を突きつけられる。
どうしよっかな。どうしようもないんだけど。
ベッドの端に転がしていたカバンの中から水筒を取り出し、コクリと一杯口にしながら部屋の中を見渡した。花瓶も額縁もない。こざっぱりとした檻の中の光景。テーブルの上には蓋の開いた乾パンと、中身が空になった魔法瓶。
「まだ旅に出たばっかりなんだけどなぁ」
虚空に向かって呟きながら、側にあったベッドの上に倒れ込んだ。