番外記述9.5 どうせ染まるなら白がいい 第3節
王制国家アルレスキューレの中央にそびえるアルレスキュリア城の周囲には、富裕者層の国民が暮らす高級住宅街がといくつかの重要な軍用施設が円を描くように広がっている。その円の外側には食品の管理と生産を行う工場と、物資を保管する倉庫街とが連なり……そのさらに次になってやっと、平民が自由に往来できる商業地区、繁華街、短期滞在者向けの宿泊施設などが続く。
このように説明してみればいかにも多くの国民の生活の中心地であるように見えるかもしれないが、実際の数値を見ると、城下街で暮らしている住民の人口比率は、アルレス国民全体の数パーセントにも満たない、ごく少数のものでしかない。大陸の半分以上の大地に広大な領土を持つアルレスキューレであればこの数字にも納得できるかもしれないが、ことはもっと単純な話、ただ単に城下街が狭いのである。
城下街地区というのは、このウィルダム大陸の中でも屈指の安全性と利便性を兼ね備えた場所であるが、その分生活に必要な費用がとても高い。物価の高さはいうまでもないが、最も平民の頭を悩ませるのは高額すぎるにもほどがある住宅税と家賃だ。
なぜこうも高額になってしまったかというと、やはり狭いから。もともとそう広くはない城下街の土地を居住希望者同士で日夜奪い合っているため、需要と供給が釣り合わずに値が跳ね上がる。
そこにがめつい貴族たちが考案した高額な安全保障税とか医療税とか、単純な年貢の徴収か賄賂とか、そういう類の余計な出費も重なってくる。バカげた話であるが、こんな状況にあったとしてもブランド性の高い人気物件はいつまで経っても人気物件のままだというのだから、奇妙なことこのうえない。
けれども流石にこの状況をおかしく思うものも国民の中には存在する。特に社会で暮らす人々の営みを俯瞰的な視点から眺めることができる、上流階級の中の上流階級、セレブの中のセレブであれば、このおかしさにも当たり前のように気付いている。そのため、彼らのような余裕のある人々が王城の近くに屋敷や別荘を構えようとする際には、あえて条件が厳しい城下街の土地を避けて、一回り郊外に広がる隣接区画の空き地を購入する。
かの有名な黒軍隊長ダムダ・トラストもまた、そのうちの一人であった。
国内外問わず大の派手好きとして知られる彼の豪邸は、遠巻きから外観を見るだけでも『宮殿』のような迫力ある佇まいをもって鎮座している。けっして邸宅とか屋敷とか、そういった一般的な言葉が似合うような規模の建築物ではない。
その広大な私有領地の玄関に位置する門の前までやって来たところで、私は備え付けのインターホンのボタンを押して要件を言った。
『あら、ラングヴァイレの坊ちゃんじゃないですか。お久しゅうございますね。ごめんなさい、今日はディノもデニスも留守なのよ』
という、門番を任されている女性からのなんともいえない返答が返ってくる。こういう場面で妙に庶民的な雰囲気が漂ってしまうところが、ダムダ様が他の権力者たちとは一味違う点である。
「今回はダムダ様にお会いしたいと思い、こちらをお訪ねしました」
『まぁ、そうでしたの? それなら……うん…………え? ……あー、そう、そうなの? わかりましたわ。伝えますね。あぁすみません、ちょっと別の方から教えてもらいましてね。なんだか伝言の引継ぎがあったみたいなの。テディくんが今日屋敷に訪ねにきたら、ダムダ様は地下研究所の三階にいらっしゃると伝えるように……って』
「地下研究所ですか?」
『そう。お城の地下にあるらしいけれど、実はこの屋敷にも研究所へ通うための地下通路がありますのよ。場所のデータを送りますから、お手持ちの端末で確認してくださいまし』
「ありがとうございます」
まもなくして門に備え付けられていたモニターに暗号コードが表示される。私はコードを読み取った後に表示された屋敷データの真新しさに、まず驚かされた。前に来たのは確か一年くらい前だったと思うけれど、敷地内に建つ建物の配置やらなんやらが以前とぜんぜん違っている。拡張に拡張を重ねている、というよりは、魔改造に魔改造を重ね、上にも下にも伸びてしまっているらしい。
驚きの後に続く、仕方のない人だなぁという若干の呆れ。そんな気持ちを抱きながら、私は開いた大門の隙間から、広すぎる庭園の中へと歩き進んでいった。
地下研究所という呼び名を聞けば、誰もがいかにも怪しい実験を日々行っているような胡散臭い場所を想像するだろう。実際には、その安直な想像の数倍は危険な場所だ。
地下へ続く昇降路の鉄板を一枚、二枚と隔てた先にあるその空間では、連日連夜、多種多様なテーマの研究が平行して行われている。ここでは科学こそがこの世界の真理であり、科学こそが人を救い、人を死に至らしめる、唯一正統な手段であると考えられている。
より素晴らしい研究成果を得るためには何をすればいいか、何をコストとして支払えばよいのか彼らは考え続ける。その研究を進めるうえで被検体とされた実験動物がどのように扱われようとも、あるいは研究に携わるものの命がコストとして消費されようとも、そこに価値ある結果さえあれば良いのだ。実にシンプルな倫理観であるが、私は彼らのそういう単純な思想のありかたを、あまり好ましく思ってはいない。彼らはつまり、好きなことに夢中になりすぎているだけなのだ。
とはいえ私も王制国家アルレスキューレ正規軍第四部隊赤軍隊長の地位を預かるものとして、ここの研究者たちには随分とお世話になっている。というのも、何を隠そう赤軍に就任するための一般的な条件の一つに「人体の改造手術を施すこと」が存在するからだ。隊長ともなれば大脳や脊椎に機械を埋め込む必要があるため、頭蓋骨を切り離したり、額の肉を切除したりと、大変な大手術であった。
発光ダイオードの白色に照らされた明るい廊下を歩きながら、通い慣れた研究所の様子を見回した。しかし本日はどうやら、いつもよりも人の数が少ないようだ。こういう時は大抵、別の階層で行っている規模の大きな実験のために別の階層の研究者を動員しているか……あるいは特別な事情があって人払いをした状態にあるかのどちらか。今回は恐らく、後者の方だろう。
一人か二人しか姿が見えないガラス張りの休憩室の横を通り過ぎた時、廊下の向かい側から、やや奇抜な服装と髪型をした何者かが歩いてくるのが見えた。それが最近顔を合わせていなかった知り合いであると気付いた私は、思わず子供のような調子で手を振って呼びかけてしまった。
「テディお兄さま! テディお兄さまじゃありませんか!!」
私がかけた声よりも遥かに大きな女の子の声が、静寂な研究所のフロア一帯に響き渡った。
白と黒の可憐なエプロンドレスに大きな灰色の縦ロールを頭から二つもぶら下げた小柄な少女、デニス・トラスト。彼女はダムダ・トラストの実の娘であり、私の幼馴染であるディノの異母兄妹である。彼女も自分も幼い頃から深い交流のある関係というわけで、デニスは私のことを実の兄と同じくらい慕ってくれている。『お兄さま』というある種誤解を招かれるような呼び方にいたっては、もう十何年も前に慣れてしまった。ちなみに実の兄のことは『お兄ちゃん』と呼んでいる。何が違うと言うのだろう。
デニスは声を上げて呼びかけたすぐ後に、ハッと口を閉じて軽く顔を赤らめた。ここは病院のような場所なものだから、大声を出すのはまずかったと気付いたのだろう。悪目立ちしていないか周囲の様子を厳重に見回した後、しばらくして安心した様子でピョンピョンとこちらへ近付いてきた。
「久しぶりですね、デニスちゃん。いい子にしていましたか?」
「はい! お久しぶりですわよ、お兄さま! それで、本日はもしや、お父様に会いにいらしたのではありませんか?」
「おや、鋭いですね。その通りですよ。先ほどトラスト邸へ行ってみたら、主人ならば地下研究所に向かったと教えられまして」
「なるほどです。そうでございましたか。ならばちょうどよいタイミングだったかもしれませんね。今、お父様はとあるお方のメンテナンスが完了するのを、すぐ近くのラウンジで待っているところです。デニスもちょうど手が空いていたところでしたので、お父様がいらっしゃるところまで案内いたしますわよ!」
「ありがとう、デニス。とても助かります」
でも大声はほどほどにね、と念のためもう一度注意を促してから、私はデニスの後を追って廊下をさらに奥まで進んでいく。そうやって辿り着いたラウンジには、彼女の言う通り、ソファに座って優雅にくつろぐダムダ・トラストという男の姿があった。
「……ダムダ様の腕におとまりになっている、あちらの方は……?」
「ダムダ様直属部隊所属の大鷲様でございましてよ」
「大鷲……」
先述の通り、ダムダ様はラウンジルームの真ん中にある一際大きなソファに座って優雅にくつろいでいる。そしてその左腕には、大樹の枝のように太い二つの脚を生やした大型の鳥類、いや、猛禽類が、漆黒の羽根をバタバタとはためかせながら主人と戯れていた。
なぜか事情を知っているデニスの話によると、もともとあの大鷲はこの研究所で培養された実験動物であったらしい。それをヘッドハンティングが大好きなダムダ様が「優秀だから」という理由で自軍にスカウトし、機械を用いないアナログ式の連絡手段として採用してしまったとかなんとか。
その大鷲の彼女もまた、現在はダムダ様と同じく休憩中の身であるらしく、こうしてラウンジでパタパタと羽根を休ませている……という経緯で、ラウンジはこんな状況になっているらしい。もちろん今は、ダムダ様と大鷲の他に、同じ空間でくつろごうとしている猛者はいない。
ラウンジの入り口付近で立ち止まり、デニスとからこの物珍しい状況に関する説明を受けていると、話し声に気付いたダムダ様がわざわざ振り返ってこちらへ声をかけてくださった。
「こちらへいらっしゃい」
ダムダ様はこのように私を自分の向かい側にあるソファへ座るように誘導する。その表情には少しの驚きや意外に思うような様子は見られず、いかにも私が今このタイミングで自分のもとを訪ねにくることを見越していたかのようであった。
私がソファに腰を下ろすと、ダムダ様の腕に止まっていた大鷲はヒュウっと静かな音をたてて部屋の中を飛んでいき、壁際に用意されていた専用のベッドの中へ着地していった。
「随分と見事な飛び姿ですね」
「出会って早々に自慢の部下を褒めていただけるとはありがたい。貴方のそういうところを私は好ましく思っておりますよ、ラングヴァイレ卿」
そう指摘されて初めて、生まれて初めて至近距離で見る大鷲の迫力に気を取られすぎていたことに気付いた。もしかしたらこのお方は、他の通行人の注意をそらすため、わざと大鷲を腕に留めながら休息を取っていたのかもしれない。あるいは、休息など始めからとっていなかったのやも、とも。
私は今一度眉間に力を込め、背筋を二度ほど伸ばした後に、改めてダムダ様と正面から向き合った。子供の頃から見知った関係ではあるが、何度対面しても緊張させられる相手だ。
「本日は、ダムダ様から私に話があると聞いて、訪ねにきました」
「こうして時間をとって面会するのは半年ぶりでしょうか。ふむ、では何から話せばよいものでしょうか……」
「勿体ぶらなくても結構です。ディノから聞きました。お話の内容は、次期国王の戴冠候補者についてであると」
「そこまで聞いているのならば話は早い。では……単刀直入に言わせていただきましょう。ラングヴァイレ卿、私は貴方を、その候補者を決める評議会に参加してもらいたいと考えているのです。貴方が望みさえすれば、席を一つ、上等なものを用意いたしましょうと、そういう話がしたかった」
「評議会……」
「貴方は拗ね日頃から国のことを深く愛し、その行く末を案じてくれるものであると評価したうえでの収集ですよ。赤軍隊長という地位だけでは容易に到達しえない特別な機会です。ぜひ、有効に活用していただきたい」
「ですが、失礼ながら、その評議は……」
「不毛であると?」
「……」
「その現状に変化を与えたくて、こうしてあなたに声をかけているのではありませんか」
ダムダ・トラストはニヤリと、楽しくも悲しくもない表情を顔に浮かべて笑った。
評議会に参加させてもらえるという点については、願ってもいない絶好の機会であるため断りようがない。けれども、評議されるテーマがあまりにもよろしくない。次期国王の候補者選びなど、今のアルレスキューレで時間を使って話し合ったところでつつがなく進行するはずがなく、時間を無駄に浪費することの代名詞のような行為であった。そんなことは、この国の誰よりも今私の目の前にいる男ならば熟知しているはずだった。にもかかわらず、このような声掛けをしてくださるという意向の裏側には、一体どのような思惑があるというのだろう。
「なに、今後の評議が上手くいくかどうかを不安に思っているのは貴方だけではありません。一向に姿を見せてくれない次期国王の候補者を少しでもかき集めるべく、この評議会では今までにも様々な施策が考案されてきました。例えば次期国王には今までにない特権をいくつも持たせることを約束してみたり、あるいは親衛隊の規模を拡張させる許可をとってみたり。けれどもやはり、どれも空振り。格落ちした国王の玉座は金メッキが剥がれた銅像のように物寂しく劣化しきってしまっており、今となっては誰も命と引き換えに欲するものではなくなってしまった。地位も、名誉も、権力もない、座したものの心に安らぎすら与えられない無益な椅子にすぎません」
「本来であれば、あの玉座はこの大陸の誰よりも医大な人間が君臨する場所であったはずなのに」
「おっしゃる通り。しかし……そうですね。貴族の権威が実質的に国王よりも強力に高まってしまった理由については、私にもいくらか責任があります。貴方と同じなのですよ、ラングヴァイレ卿。私もこの国の未来を、国民の行く末を憂いている。それがいかに不毛な憂いであると、知っていながらね」
国民からの人気が高く、なおかつ国王などよりも遥かに立派な地位と功績を持つ貴族の代表格であるダムダ様は、過去に貴族院と評議会両方からの推薦を断っている。国民の誰もが君主の座におわすことを許容できるほどの器を持っていながら、それを行わなかった。薄情なのか義理堅いのかイマイチ判別しかねる彼とて、そのことを少なからず申し訳ないものであると認識する感性くらいは持ち合わせていたようだった。
私はこの点において、彼のことをほんの少し恨んでいた。けれどその恨みが「ほんの少し」で済んでいることにもまた、ワケがある。こうも我々が次期国王の候補者選考に悩まされる、最たる理由。それは他でもない、建国以来脈々と続いていた偉大なるアルレスキュリア王家の血筋が、約五十年前に起きた王族大虐殺を契機に実質的に途絶えてしまったことにある。
高貴な玉座には高貴なものを座らせる。それができない年月が長く続けば続くほど、玉座の輝きは失われていく。今となってはお飾りにすぎない国王陛下の玉座を再び黄金の威光で満たすためには、何が必要なのか、考える。考えたところで、同じ答えしか出てこない。
「王家の血筋さえ途絶えなければ、こんなことには……」
「やはり、貴方にとっても最も重要な条件は、そちらなのですね」
含みのあるダムダ様の言葉をきいて、自然と俯いてしまっていた顔をスッと上げた。話し相手である彼の顔を改めて見つめてみるが、いつも通りの品の良い微笑みをたたえたままであった。
「あの……ご会談中に失礼いたします、ダムダ様」
向かい合ったまましばしの沈黙を挟んでいたところで、不意に同じくラウンジルームで何かをしていたデニスが会話に割って入って来た。手には通信端末と思われる丸い箱を持っていて、その表情は先ほどとは比べ物にならないくらい慎重に強張っている。
「どうなさいましたか?」と、ダムダ様が続きの言葉を促すと、デニスは改めて、続きの報告をするために、口を開いた。
「安静室でお眠りになっていた、イデアール・アルレスキュリア様が、お目覚めになられました」
この期に及んで、このタイミングで、あの老いぼれの名前が出てくるなんて……趣味の悪い冗談であると言ってもらいたかった。