記述2 薄暗がりな月夜の下で 第2節
俺を土砂降りの中に連行した男たちは、この辺り一帯を巡廻している「警備兵」というものたちだった。警備と聞くと、彼らを雇用する管理者がその上にいて、賃金などを払って治安を守っていたりするのだろうと思うかもしれないが、その後に「兵」が付くとなるとここまで雰囲気が変わってくるのか。彼らはいっそ感心させられてしまうほどの横暴さをしていた。
対面した民間人を相手に平気な顔で発砲を始めるくらいなのだから、彼らが守っているものは、治安とか平穏とかそういうものではない。もっともっと政治的に歪んだ、利己的な欲望のもとに存在する「秩序」なのだろう。彼らがのさばる社会の闇の深さは、その挙動の一つ一つから丁寧に感じ取れた。その証拠とでも言わんばかりに俺の背中には今まさに銃口が突きつけられている。俺はいつ引き金を引かれるかわからない冷ややかな恐怖を感じながら、降り止まない雨の中を行進するはめになっていた。
そうやって辿り着いたのは背の高い……ダムのような建築物だ。五階建てのビル程度の高さを持つ巨大な塀が、立ち入り禁止区域をフェンスで囲うような気楽さで通行人の行く手を阻んでいる。なぜ人の居住区内にダムなんてものがあるのか。大人しく歩を進めながら周囲の様子を眺めていると、どうやらこれが堰き止めたいものは水ではなく人であることがわかった。塀の近くには大量の荷物を背負った人間が何人も何人も長蛇の列を作って並んでいる。これは国が国民の自由な往来を管理するために作った関所なのだろう。
そして俺は、その関所内に併設されたアルレスキューレ国軍の辺境基地へ連れ込まれた。
関所に入って真っ先に通されたのは、取調室だ。別に彼らの口から「ここは取調室ですよ。今からあなたを相手に尋問を始めますよ。正しい答えを言わないとここから出られませんよ」と親切に教えてもらえたわけではないが、部屋の内装を見た瞬間にそういうことを察せる程度にはあからさまな雰囲気を持った空間だった。
鉄のパイプを適当につなぎ合わせて作った椅子が、小さな机の横に無造作に置いてある。それを見ていると隣に立っていた警備兵に「座れ」と低い声で命令された。無闇に逆らっても仕方ないので、言われるがまま席についた。
硬くて冷たい座り心地。しかも今の俺は髪も服も、全身びしょ濡れ。当然ズボンの中までぐっしょりしているわけだから、膝の裏に濡れた服の生地が冷たく張り付いて気持ち悪かった。靴の中もカポカポする。服の裾からは絶えず泥水が滴り落ちる始末で、そのせいで石敷きの床に濁った色の水溜まりができてしまう。いいのかなぁ、と思いながら、さっきからこちらを怖い顔をしながら見下ろしている警備兵に声をかけた。
「あの……」
「なんだ?」
「上着を脱いでもいいですか?」
兵士は俺の全身に不躾な視線を向け、不機嫌そうに目を細めた後に「まぁいいだろう」と返事をした。早速その言葉に甘えることにしよう。水を吸って重くなった外套をせっせと脱ぎ取り、ひとまず床の上に置いておくことにした。
凝り固まった肩を片手で揉みながら周囲を見回す。どうしたものかなぁ……なんて頭の中で溜息をついていると、早速小さな机の向かい側に誰かが座る音がした。顔を見てみると、俺をここに連れてきた三人の中で一番偉そうな態度を見せていた男だった。
「名前は?」
有無を言わさぬ語調。男は自分が名乗るより先にこちらの名前を聞いてきた。がっしりとした顎に無精髭を蓄えた、いかにも武闘派ですと言わんばかりの威圧感に満ちた外見をしている。俺と一緒に雨の中を歩いてきたはずなのに、そちらだけ服が濡れてないのは大変不服だ。もう着替えたのか? なんて、軽口が言える状況じゃないんだけどさ。
名前かあ……としばし頭の中で考える。
「ディアと言います」
「短いな。家名は無いのか?」
「カメイって、なんですか?」
しらを切ることにした。こんな所へ無理矢理連れ込まれた後に実家の名前なんて出せたもんじゃない。それはたとえ、初めて足を運んだ異国の地であろうとも。
「ふむ、では見たところアブロードか。どこから来た?」
アブロード? 耳慣れない言葉に少しだけ首を傾げる。ニュアンス的には外来種みたいなものかな?
「この町の東です」
「下手な嘘はやめておけ。そちら側には辺境荒野と終わりの崖しかない。オマエは地図すら見たことがない貧乏人か?」
「……言われてみれば、確かに見たことがありません。地図、あるなら是非とも見せていただきたい」
「見せてやるわけがないだろ。さっきから随分と図々しいヤツだな。自分が置かれている状況をわかっているのか?」
「正直な所さっぱりですよ。私は何か悪いことをしましたか?」
「……」
男は黙り込み、右肘を机に置いて頬杖を付きながら髭を撫でる。もっと色々と勢いよく捲し立てられると思っていたが、案外と大人しい。もしかして俺の処遇をどうするべきか迷っているのだろうか。
「では、その……」
コンッ コンッ
男がもう一度口を開こうとしたタイミングで、部屋に一つしかない扉からノックの音がした。
「やぁ副隊長殿。また招かれざる来客ですか?」
鉄製の扉が開くと、背丈の小さな少年がひょっこりと部屋の中に顔を覗き込ませてきた。その子はするりと音も無く部屋の中へ入り込み、簡素な取調室の真ん中にある机の方まで近付いてきた。
小さな体に真っ白でふわふわした生地の上着を着込んでいて、ちょこちょこと体を上下に揺らしながら跳ねるように歩く姿は小動物のように可愛らしい印象を受ける。こういう無骨な雰囲気の軍事基地にはそぐわない存在感をもっている気がする。そんな彼は俺の向かいの席に座る図体の大きな軍服男に向けて、呆れたような訳知り口調で話しかけ始めた。
「話は聞いていますとも。最近は人攫いの件数が増えに増え続けておりますので、君たちも毎日大変でしょうにね」
少年は俺の方をちらりと一瞥する。
男の方も俺の顔をまじまじと見つめ、舌打ちをしながら「どうすればいい?」と少年に問いかけた。どうやらこちらの少年の方が基地内での発言力が強いらしい。
「どうもこうもありませんさ。彼を早くお風呂にいれてあげなさい」
風呂、あるんだ。いいのかな。
「今のうちに絞っておいた方が良いだろう。いつ何をされるかわかったもんじゃない」
「私としてはこのシチュエーションの方がよっぽど肝が冷えますとも。君はこのタイミングであの怪物を敵に回すつもりなのですか? ちょいとばかり蛮勇が過ぎますよ」
「……心当たりがあるのか?」
「情報通なもので」
少年はおどけた態度で肩をすくめる。
二人の会話は当事者の俺を置き去りにしながらトントンとテンポ良く進む。怪物とか情報通とか気になる単語が飛び交っているが、「それってなんですか?」と俺が口を挟めるような空気ではなかった。
しばらく彼らの会話を蚊帳の外から見学していると、不意に小さな背中がくるりと翻り、こちらへ話しかけてきた。
「やあやあ、ディア殿。この度は弊区画のならず者たちが迷惑をかけてしまったようで、誠に申し訳ない。お詫びと言ってはなんだけれど、君が今夜一晩寝泊まりするための部屋を用意してさしあげましょう。お風呂も、洗濯も、なんなら食事も用意しよう。どうだい、もてなしを受ける準備はできているかな?」
「もてなし? うん……よくわからないけど、被害者として扱ってくれるというのなら、吝かではないよ」
「いやいや、とんでもない! 君の姿を見れば一目で保護されるべき対象であるとわかるとも。誰だって思うとも。そこに座っている大男とてそれくらいのことは承知していたさ。ただ、顔が怖いから誤解されてしまっていたのかもしれないけれどもね」
ついさっき「何をされるかわかったもんじゃない」と発言していたような気がするけれど、まぁいいか、聞き流すことにしよう。
「さぁ、そうと決まれば話は早い! 風邪を引く前に大浴場まで案内しよう。安心したまえよ、この時間なら先客など誰もいないはずだから」
少年は意気揚々と歩き出し、俺が椅子から立ち上がるより先に部屋を出て行ってしまった。
「あ、追いかけなきゃダメですか?」
と、向かいの男に聞いてみるが、彼は返事をしてくれなかった。
「早く来たまえよー!」
部屋の外、たぶん廊下の奥側から声がする。
今は成り行きに任せておくべきなのかな。そう思って床に直置きしていた上着を持ちあげ、彼の後を追いかけた。