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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述9 赤い大地と精霊の歌
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記述9 赤い大地と精霊の歌 第4節

「ようは、過去と現在と、ついでに未来までわかってしまう魔法の本ってところさ」

 夢か幻のような聞き心地がしたアデルファ・クルトの物語が話し終わる。するとアルカはその語りの最後にもう一度、俺が持っている赤い宝石……『龍の鱗』へ視線を落とした。

「君が持っているその宝石は、別にただ綺麗だからという理由で家宝にされていたわけじゃない。厳密には、家宝というより保管物といった方が、取り扱いの方針として相応しかった。曰く付きというヤツだね。万が一にでも外へ持ち出されたりしないよう、クルト家の者が先祖代々大切に管理していたんだ」

「そんなこと、私は全く聞かされていなかったわ」

「君が生まれたのは持ち出された後だったからだろうに。それに加え、基本的には当主から当主へ秘密とともに受け継がれるものだから、家族の中に知らない人がいてもおかしくない。たとえばお母様なんかも知らないんじゃないかな」

 自分の手の平の中に収まっている、真っ赤な宝石。こうやって眺めている限りでは、ただ大粒で珍しそうな宝物という印象を受けるだけで、何の変哲も見られない。

「だったら、今からでもクルト家に返した方がいいんじゃないかな?」

「ディアがそれでいいって言うなら、私は喜んで龍の鱗を受け取るよ。でも、率直に言って、やめた方が良い」

「どうして?」

「曰く付き、と言ったでしょ? 恐らくディアはもう、龍の鱗から加護を受けてしまっている」

「加護……」

 思い当たる点ならばあった。

「伝説があるんだ。龍の鱗には、その持ち主の運命を見通し、遥か未来までの行く末を定め、意図しない使命への従属を促す力がある。それは時に君を破滅にだって導くだろう。しかしその宿命の対価として、霊魂の心を読み取る不思議な力を与える。神龍の加護、あるいは奇跡との邂逅とも呼ばれる、人智を逸した神秘体験をその身に授かる権利であると言い伝えられている」

 神秘体験。そう言われて俺の脳裏に蘇ってきたものは、一面の銀世界と新緑の地下洞窟、虹色の花畑の光景だった。

「先の預言書に引き続き、実にオカルトめいた話ではあるけれど、どうだい? 当代の龍の鱗の持ち主になった君は、ここまでの旅路の中で何か妙なものを見たり、聞いたり、あるいは出遭ってしまったりはしていなかったかな?」

 逆さ氷柱だ。

 あの時、俺の周りには確かに何かが起きていた。何かが変わろうとしていた。

 黒い影の塊が空と大地を覆い尽くし、その真ん中で鋭利な眼孔を持つ二つの瞳がこちらを見つめていた。

 龍とは何か。神とは何か。大陸の中心にそびえる逆さ氷柱とは、一体何だったのか。

 一夜限りの夢物語のように眼前から霧消してしまった、あの奇跡の邂逅を、俺は確かな現実であるように認識してしまっている。どこまでが真実なのか判別する機能が停止している。全てが、本当のことのように聞こえてしまう。

 すでに俺の中の常識的な固定概念は、神秘という名前の狂気的な怪物に喰い殺されてしまった後であった。そんなことに、今、やっと気付いたのだ。

 このアルカ・クルトという青年の言葉の全てが仮に真実であるとしたら、どうだろう。世界の在り方とは一体どうなっているのだろう。どのような状態が正しいのだろう。

 俺があの日に出会った老人は、一体何者であったのか。

 俺は心中の動揺を勘付かれないよう、表情を固めたまま、静かに黙り込んだ。そんな俺の代わりにライフが口を開き、アルカに本来なら俺が言うべきはずだった文句を返してくれた。 

「確かに多少はハラハラしたところがあったけれど、そんな冗談みたいな出来事に遭遇したりなんかしていないわ。ねぇ、ディア。あなたもそうだったでしょう? 私たち、このラムボアードまでずっと一緒に行動していたじゃない」

「そりゃあ、もちろん」

 相槌を求められ、その通りであると機械的に返事をした。

 遭難しかけたり、大きなダンゴムシの群れが街を襲ったりしているところは見たけれど、俺たちは無事に今日を過ごしている。いたって順風満帆な大冒険の真っ最中だ。

「遭難も獣害も大した事件なんて言えないわよ。だって私たちは冒険にでかけたんだもの」

 ライフの度胸は大したものである。俺は彼女の物怖じしない正直な姿勢に便乗し、なんとか平常を装うことに努めた。けれど表情は嘘くさく固まったままで、うまく取り繕えていない気がする。頬の横を大粒の汗が一滴、たらりと滑り落ちていった。

「信じてもらいたいから話したわけじゃないよ。話してもらいたそうにしていたから、話してあげたんだ。だからどう思うかは君たち次第なのさ」

 アルカは自分が持つ余裕を見せつけるようにニヤニヤと口元に笑みを浮かべる。

「私は以前から、アデルファが屋敷の蔵から持ち去っていった龍の鱗が欲しくてたまらなかったんだ。奪い取ってでも……ってほどではないけれどもね。なにせ、祝福と呪いはいついかなる時も表裏一体。さっきの言葉の言い換えになるけど、神龍の加護は持ち主にそれはもう特別に格別な力を授ける一方で、生死と自由に関わる重大な使命を与える。君がその使命を怖れて鱗を私へ譲渡してくれるというならば、快く受け入れるつもりではある。でも、それですでに定められてしまったであろう君の運命が元通りになるという保証はどこにもない。だからできる限り大切に所持しておくことだ。お守り気分で、それこそ死ぬまでね」

 縁起でもないことを言う。彼は俺が死んだ後に墓石の下でも漁るつもりなのだろうか。残念ながら大人しく墓に入るような死に方をするつもりはないけれど。

「アルカは、どうしてそんなに色々なことを知っているんだい?」

「わざわざ調べているからに決まっているさ。人生は立ち止まっていては退屈で仕方ない。変わらない景色の向こう側、瓦礫の山や灼熱の砂漠を越えた先にまだ見ぬ魅力的な宝物があると知ってしまったならば、追究せずにはいられない。見たところ、ディア・テラス。君も同じタイプの大馬鹿者だ。未知に挑むための素養がある」

「あんまり褒められてる感じがしない言い回しだ」

「なに、こう見えてちゃんと感心している。だからこうして助言だってする。例えばほら……あそこを見てごらん」

 そう言ってアルカが指をさしたのは、大渓谷の崖を挟んだ対岸部、ラムボアードの西側に建つ一風変わった佇まいをした建物だった。遠目に見た限りでは、裕福な貴人たちが休日に立ち寄る劇場を彷彿とする外観をしている。

「あれはウィルダム大陸ではとても珍しい、美術館という名前の施設なんだ」

 美術館というと、俺が知っている美術館のそれと同じだろうか。保存価値の高い美術作品を一カ所に集めた展示場、あるいは文化人たちが集まる社交場みたいなところだ。

 基本的に今日を生きることに必死なウィルダム大陸の人間たちにも、そういった文化的な施設を求めるだけの心の豊かさがあったのかと、失礼ながら意外に思った。城下街にあった王立図書館はあんなに閑古鳥が鳴いていたのに、あの美術館の方は遠目に眺めるだけでも賑やかに華やいだ空気を纏っている。

「絵画、彫刻、工芸品、絶滅した生物の剥製、人間のミイラなんかがあって、趣味はちょっと悪いけど愉快な娯楽施設だよ。お金持ちが多く立ち寄るラムボアードだからこそ経営が成り立つ大掛かりな施設だけど……やっていることは田舎の見世物小屋とそう変わりない。でも存在には価値がある」

「一体何があるっていうのよ。お兄様ったら、さっきからもったいぶった口振りばかりしているわよ」

「おぉ、辛口な妹よ。ならば手短に話そう。絵があるのさ。世にも珍しい空想生物『龍』の姿を描いたとされる、とある一つの傑作的絵画が」

「龍の絵!?」

 アルカはニコリと擬音が出る調子で笑う。興味があるなら行ってみてごらんと、暗黙のうちに伝えてくる……と思ったら、彼は唐突に身を翻し、大きくジャンプした。瞬く間に視界からいなくなったアルカの姿を探して周囲を急いで見回してみると、彼は近くにあった商店の屋根の上でこちらを見下ろしながら仁王立ちをしていた。いつの間にあんなところに。

「話はこれでおしまい。だから私はこの辺りで失礼させていただくよ!」

「ちょ、ちょっと!! 急に逃げるんじゃないわよ!!」 

 唐突に告げられた別れの言葉を聞いたライフが、驚きとともに大声をあげる。

 ライフは大急ぎでアルカの後を追いかけようとしたけれど、アルカは彼女の怒鳴り声より先に素早く屋根の上をつたい走って、あっという間に距離を開いてしまう。とても追いかけられたものではない。

「あぁそれと、最後にもう一つだけ君たちに助言を送ってあげよう! 心優しい兄弟に感謝したまえ!」

「心優しいなら家族との連絡手段くらいよこしていきなさい!!」

 至極ごもっともライフの怒りがラムボアードの街中に白昼堂々響き渡る。

 けれど当の本人は声の主の方をすっかりと無視した様子で、俺の顔を見下ろしながら楽しそうにこう言い残した。

 

「尾行には気を付けた方がいい。君たちは逃げ延びたのではなく、見逃してもらえただけなんだからね!」


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